59 しばし離れて
「嫌ネー、離れたくないデース!!」
あれから諸々あって、フェニーチェ法国へ帰ることとなったジュディは、いまだ往生際悪くタチカゼに抱きついていた。
「せっかくこれから『命剣』の研究が本格的に始まるのに、中断しなきゃならないなんて殺生ネー!! ミーはずっとシンマキングダムにいたいデース!!」
まあ、そんな理由から何だが。
「おいジュディ。我がままを言うな」
そんな彼女をたしなめるようにルクレシェアが言う。
「貴様がここに来たのは、本格的なフェニーチェ交渉団に先立って、シンマ王国の状況を探るためだろう。その役割を果たすためにも、報告のためにフェニーチェへ戻るのは必定だ」
「だったらルクレシェア様が戻ればいいデース!! ミーはここに残って研究するネー!!」
「我には、ここで果たすべき重大な役割がある!」
とルクレシェアは自信満々に言う。
「わたくしと一緒に、ユキムラの子どもを生むって役割が、ね?」
「なー?」
とクロユリ姫とバッチリ視線を合わせるのであった。
ああ……。
「だったらミーもタチカゼさんのベイビーを生むネー! そしてファミリー三人で幸せに暮らしながら研究に没頭するデース!!」
「なあッ!?」
唐突な爆弾発言に、タチカゼの顔が真っ赤になった。
最初に現れた時はフェニーチェ排斥を訴えてはばからなかったコイツが、普通にジュディの見送りに並んでいることが既に珍事ではあるが、もう少しこの珍事を満喫してみてはどうか。
「オイ彼氏、なんか言ってやれ」
「ぐぬぅ……!?」
真面目なタチカゼは気恥ずかしさに表情を歪ませたが、しかしコイツの中で、生真面目さに勝る何かが芽生え始めたらしい。
「………………あー、ジュディよ。お前も役目をもって国に忠誠を尽くす者なら。役目を果たさねばならん。故国へ帰り、その役目を果たすのだ」
「タチカゼさん……?」
「そして許しを得て、もう一度シンマへと来い。その時はそれがしが一番に出迎えてやる。…………あー、なんだ」
とタチカゼは、恥ずかしそうに視線を逸らした。
「やはり風剣『スサノオ』は、お前との協力なしでは生み出せないようだからな。それがしが新たなる強さを手に入れるためにも、お前は必要な存在だ」
「タチカゼさん……!!」
「早く戻って来て、それがしを助けてくれ」
「ハイデース!! ミーはベリーベリー超特急で、スカッシュのボールのごとく帰ってきますネー!! そしてタチカゼさんを体の隅々まで調査しますネー!!」
と改めてタチカゼに抱きつくジュディだった。
そのスイカもかくやと言うべき大きな乳房が、押し付けられて毬のごとく潰れる。
「んぎゃああああッッ!? だから人目もはばからず抱きつくでないわ!! お前にはもう少し恥じらいというものがだな!?」
この二人、どちらが常に主導権を持つか、既に決定したかのようなものだった。
* * *
こうして、ジュディの乗る高速艇が水平線の向こうに消えるまで、僕たちは船着き場を動くことはなかった。
実際には、タチカゼのヤツが微動だにしなかったので、僕らも動くに動けなかっただけなのだが。
「……お前はこれからどうするんだ?」
まず僕は、気になっていた疑問をタチカゼにぶつけてみた。
シンマ国内に充満する『夷狄討ち払うべし』の憤懣。
その先端が具体的なものとなって、フェニーチェ交渉の最前線とも言うべきこの雷領にやってきたのがタチカゼだ。
しかしそのタチカゼは、僕との戦い、ジュディとの協力によって変わった。
変わった彼は、いかなる行動をとるのか?
「それがしも一度、風領へ戻る」
と断言した。
「戻り、父上を始め多くの人々に、ここであったことを包み漏らさず報告する。ジュディとの……、もとい!! ……フェニーチェとの交流は、我らシンマにも想像以上の発展をもたらす。その可能性を無視し、ただ安直に討ち払えば、それでいいのかと……」
そう言うために、故郷へ戻ると言うのか。
「それがしは、フェニーチェを討ち払うためにここへやってきた。役目も果たさず、目的とまったく逆の物言いをして、失敗しただの変節漢だのと罵られることだろう。……しかし!」
カッと目を見開くタチカゼ。
「己の中に芽生えた道理に逆らうわけにはいかん!! それこそが真の変節漢だからだ!!」
どうやらコイツの生真面目さは、筋金入りのものらしい。
だからこそ自分の中の変わってしまった考えにも正面から向き合え、それに襲い来る外圧にも正面から立ち向かえる。
一本筋が通っているからこそ風のごとく自在に立ち振る舞える。
生一本の風、タチカゼか。
「この雷領首都となる城壁の内に、ヤマウチ家の逗留屋敷を建てておこう」
「よろしく頼む。建設費用は、それがしの出世払いと言うことで」
僕とタチカゼの視線が、バチリと合わさった。
「しかし、お前は不思議な男だ。百年間失われていた雷剣を復活させたというだけでも不可解だというのにな」
「う……」
「我らとの戦いの最中も、風剣の持ち主であるそれがし以上に風剣に詳しいような口ぶりだった。風剣だけでなく、過去最高の風剣の使い手、ヤマウチ家の開祖カゼトヨ様についても……」
まあ、前世で実際戦った相手だからな。
というのはまさか口にもできないわけで。
僕が風剣について詳しいのも、前世で風公カゼトヨと幾度となく剣を合わせた結果に過ぎない。
あの戦国乱世、雷公ユキムラだった僕はカゼトヨだけでなく、風林火山そして影、すべての大公たちと死闘を繰り広げた。
死力を尽くして戦う相手は、時に親類以上に理解することを要求される。
相手を乗り越え勝つために。
「もしかしたらお前は、本当に雷公ユキムラの生まれかわりなのかもしれんな」
「えーと……」
「フッ、冗談だ。このそれがしが冗談と言うとは、つくづく感化されたものよ」
そしてタチカゼもまた、この雷領を去っていった。
シンマ王国の中を吹き荒れる渦と、外から吹き込む新風が混ざり合い、それぞれの場所へと帰って行ったのだ。
雷領に吹く一番風は、こうして収まったのだった。