58 八雲立つ
「うおッ!?」
突然、何かから横殴りにされて吹っ飛ばされた。
何事か?
また音波砲かと思われたが、我が雷剣の雷鳴でグチャグチャに空気を乱されては空気の振動など掻き消されてしまう。
タチカゼら自身風障壁を張っている状態で余裕もないはずだ。
これは、まさか……!
吹っ飛ばされたショックで雷剣もいったん消え、タチカゼ、ジュディは雷蛇の恐怖から解放された。
そして、その手に持つ一振りの刃……。
「刃が……、ない!?」
風剣が消えていた。
本来であれば圧縮した空気によって光の屈折率が変わり、まるで透明の刃がそこにあるように見える風剣。
しかし今はタチカゼの手にも、ジュディの手にも、風剣は見当たらなかった。
それなのに二人はしっかりと手を繋いでいる。
片方だけでなく両方の手を。
とりわけモナド・クリスタルを装着していない方の、本来風剣を持っているはずの手は、二人重ね合わせてしっかり僕の方へ突き付けられていた。
その手の形は、まるで一つの柄を二人で握り合っているかのようだった。
「……そこにあるな、風剣」
真実何もない、透明な何かすら窺えないタチカゼとジュディの手の中を見詰めて、僕は言った。
「ついに至ったか。風剣の真骨頂たる『速さ』を超えた『疾さ』に」
「……わからん」
タチカゼは静かに答えた。
今までのヤツにはない柔らかくて静かな声だった。
「それがしにとっても、これは初めて踏んだ領域。これが境地なのか、ただの迷い道なのか。それもわからん」
「ノーデース! これは成功デース!!」
ジュディが力強く言った。
「タチカゼさんは、恐るべきアイデアで風剣を進化させたデース! その証拠を今お見せするデース!!」
言うが早いか、ジュディはタチカゼと二つ重ねた手を左右に激しく降った。
それと同時に僕を襲う、先ほどと同じ衝撃。
「ぐおッ!?」
上下左右どころか、背後からも制限なく襲ってくる衝撃。その正体は目で捉えることはできない。
「何アレ!? 何が起こっているの!?」
「また音波攻撃か!? しかし、それなら背後から襲ってくるというのは……!?」
戦いを見守るクロユリとルクレシェアも、攻撃の正体がわからず戸惑うばかり。
しかし僕は、この攻撃がどういうものかわかっていた。
過去に。
前世で。
これと何度も戦ったことがあったから。
「空気を支配したな……!」
僕は答えを言い渡すように言った。
「さっきまでとは格が違う。この辺一帯の空気をすべて支配下に置いたんだ。自分の周り、手の届く範囲どころじゃない。ずっと広い範囲の空気を」
その範囲の中には僕自身も入っている。
つまり、僕に直接触れている空気。僕がいな呼吸している空気すら、今はタチカゼの支配下なのだ。
いや、タチカゼをサポートしているジュディと二人の支配下か。
「だからこそ、今のような芸当ができる。今のは、僕と直接接している空気を使って直に殴りつけたんだ」
「…………」
「空気はすべてを満たすもの。何処にでも存在し、すべてに接している。だからこそいちいち飛ばしたりする必要などない。どこを目標にしようと、既にそこに到達しているのだから」
それが『疾さ』。
何かをしようと決めた時にすでに終わっている『疾さ』。
「この『疾さ』には、いかに雷剣といえど追いつくことができない。僕の放つ雷光が、たとえ音を越えた速さで駆けたとしても。すべてを満たす空気は既に目標に接しているのだから」
これを成した時。風剣のモットーは成立するのだ。
「『疾きこと風の如し』。その極意を掴んだなタチカゼ」
「貴様……! 貴様は……!?」
「風剣が形を失い、本当に何も見えないかのようになったのは、『命剣』の範囲が劇的に広がって、ここらの空気すべてがお前たちの操る風剣になったからだ。そもそも自由にて拠り所のない風。それを一ヶ所に凝り固めて剣の形を成すこと自体不条理だ」
かつて前世の僕と戦った風公カゼトヨも、それと同じ剣を使った。
自分の周囲の空気すべてを刃と変え、縦横無尽自由自在に僕を――、雷公ユキムラを翻弄したものだった。
ヤツと刃を交えるには決死の覚悟が必要で、常に寿命がすり減る思いで戦ったものだ。
「タチカゼ。お前は今まさに風公カゼトヨの境地に立った。そこのジュディと共に。お前の風剣は、まさにカゼトヨの使った風剣と同じもの」
風剣『スサノオ』。
「風剣『スサノオ』……! 伝説にのみ語られる、あの最強の風剣……!」
タチカゼは、呆然とした思いで見えない刀身を見詰めた。
「それがしが……、ヤマウチ家開祖の、歴代最強と謳われたカゼトヨ様の域に足を踏み入れたというのか……!? 末弟の役立たずと言われたこのそれがしが……!?」
そんな酷いこと言われてたんですか?
「やったネー!!」
そして手放しに喜んで、タチカゼの抱きつくジュディ。
もっともコイツら最初から両手を繋ぎっぱなしなので、元からくっ付いていたのがさらにくっ付いた感じに過ぎないのだが。
「タチカゼさんのアイデアは、立派に成功して超うまくいったネー!! タチカゼさんは立派な研究者脳デース!!」
「うおおおおおッ!? おい、何を浮かれている!? 戦いはまだ続いているのだ! ちょっとでも油断すれば雷で黒こげに……!?」
と慌てふためくタチカゼだったが、僕にはもうその気はなかった。
「いや、いいだろう」
手の平にわずかに残った稲妻の名残りも振り払った。
「僕の負けでいいよ。完成された風剣『スサノオ』と戦うのは骨が折れるからな。こんなところで生き死にの勝負なんかしたくない」
「貴様……」
「それに、お前が勝った時の条件ももう成立しないだろう」
人目もはばからず抱き合っているタチカゼとジュディを見て、ニヤニヤせずにはいられないのだった。