04 兄弟
弟に弁当を届けたところで用事は終わりとばかりに思っていたが、そうはならなかった。
弟のジロウだけでなく、道場主の先生や、道場で稽古していた他の門下生まで揃って僕を引き留めにかかる。
「お城の父上にはワシから『遅れる』と使いを出しておこう。久々に参ったのだから茶でも飲んでいきなさい」
と強引に僕を座らせる先生だった。
なんだかよくわからない。
「……そ、粗茶でございます」
あれこれするうちに本当にお茶が出てきた。
差し出してくるのは、ここの道場主の娘さんで、たしか僕と同齢だったはず。
「ありがとうございます」
礼と共に湯呑を受け取ると、娘さんはすぐさま踵を返して掛け去っていった。
空のお盆で顔を隠しながら。
「…………なんだ?」
「セキさんは、兄ちゃんのことが好きなんだよ」
隣に座るジロウが冷やかし気味。
「先生は、自分の娘のセキさんと兄ちゃんを結婚させたいんだぜ。『命剣』こそ出せないけど、それ以外の身捌き剣使いは奥伝まで残らず修めて、この道場始まって以来の俊才とか言われてんだからな。先生もセキさんも気にいるに決まってるじゃん」
まあ事実ではある。
この道場が伝える流派において、最終奥義と言うべき奥伝を会得したのは十四歳の頃。先生によれば最年少記録とのことらしい。
「さっきのグズ三人が絡んできたのだって、八割は嫉妬からだぜ? アイツら、ろくに稽古もしないくせに道場に通ってるのはセキさん目当てだからな。兄ちゃんのことがさぞかし目障りだったんだろ」
「そうなのか。僕はてっきり見下したい相手が欲しいのだとばかり思っていた」
「残り二割がそれさ。兄ちゃんは『命剣』が出せないから」
それもまた事実、ということにしておこう。
僕の命は、太平の世においてみだりに見せるべきものではない。
「あーあ、兄ちゃんなんで『命剣』作れないのかな? それさえ揃えば完璧だってのに」
「誰にも得手不得手はある。それにシンマ王家が世を治める今のご時世、『命剣』が使えないからって大した問題じゃないさ。父上も昔、この道場で腕を振るっていたと言うが、今じゃそんなこととはまったく関係なく普請を頑張ってるだろ」
『命剣』とは突き詰めれば命の武器。
そして平和の中に武器は必要ないのだ。
「それが嫌なんだって!」
ジロウが興奮して立ち上がった。
「先祖代々続けてきたからって、なんでオレたちまでお城の修繕や掃除だけして一生を終えないといけないんだよ!? オレはそんなの嫌だぜ! オレは鍛えた剣を振るって、功成り名遂げてやるんだ!」
若さならではの野望に満ち溢れたジロウだった。
「功名を得るには機会が必要だ。その機会が……」
つまりいくさが、
「……平和な時代にはまったくない」
「そうかな?」
ジロウが不敵に笑いだした。
なんだ?
「兄ちゃん知らないのかよ? もうすぐシンマ王国に異国が攻め込んでくるかもしれないって話を?」
「フェニーチェ法国か」
僕だって、普請勤めとは言え毎日お城へ上がっているのだ。
剣道楽の弟より世事に疎いということはない。
「期待外れだぞジロウ。あの国は交渉にやって来たんだ。ケンカを売りに来たわけじゃない」
シンマ王国は大陸の外れにある島国で、そもそも外国との交渉がまったくない。
その中で、わざわざお船で海を渡ってやってきたのがフェニーチェ法国とか言う国だ。
先日忽然と王都に面する湾内に現れて、シンマ王家に交渉を求めてきた。
シンマ王家は要求に答え、王城の奥底では連日会議が続けられている。
交渉内容はいまだ民間に明らかにされていないが、異国にいかなる意図ありや? と城下ではその噂に持ちきりだった。
内容が明らかでなければ目の前の愚弟のごとく、自分の都合のいいように解釈するヤツは必ず出てくるわけで……。
「そもそも初代ヤスユキ王様が建てたこの国を、異人が踏み荒らすこと自体不遜なことだぜ! 交渉なんて言っておいて、結局最後は戦争になるに決まってるんだ。そうしたらオレは、この道場で鍛えた剣で、異人どもをバッタバッタと斬り捨ててやるんだ!!」
勇ましく語るジロウ。
最近、妙に肩に力が入っているなと思ったら、これが原因だったのか。
「そんで大手柄を上げて、王様からお褒め頂き、正式な警備兵に取り立ててもらうんだ。大出世してやるんだ! 家だって今住んでる平屋なんかじゃなく、もっと大きなお屋敷に兄ちゃんや母ちゃんたちを住まわせてやるから見てろよ!!」
「はいはい」
僕は話半分に聞きながらお茶をすすった。
弟ジロウは、若さゆえの野放図な夢を胸いっぱいに膨らませていた。
「話が弾んでいるようだな」
様々なゴタゴタを済ませて先生――、この道場の主人が入室してきた。
僕にとっては幼き日に学ばせてもらった師匠でもある。
今まさに学んでいる只中でありジロウと並び、威儀を正して平伏する。
「まあそうかしこまらずに。しかしユキムラは、本当に弟を可愛がっておるな。まさに雷公のごとくじゃ」
「? どういうことっすか師匠?」
先生の言に訝って、弟ジロウが尋ねる。
「こっちのユキムラの、名の由来にもなった雷公ユキムラは、シンマ王国以前の戦国時代を生きた人物じゃ。彼の人も、人一倍肉親愛の強いお人であったと伝わっておる」
…………。
「中でも特に、腹違いの弟には格別の愛情を注いでおったとか。不幸にもその弟君が若くして夭折した際には人目もはばからず泣き叫び、弟に代わって雷公の座に就くことも頑なに拒否したという」
……。
まあ、その雷公ユキムラってのが今ここにいるヤマダ=ユキムラの前世なのですが。
昔の自分のことを歴史上のこととして聞かされるって凄く落ち着かない気分。
「ん? ちょっと待って?」
ジロウが何か引っかかったようだ。
「なんかおかしくないすか? 雷公って、今でいうところの王様みたいなものなんでしょう。ユキムラ……、兄ちゃんじゃない昔の方ね? 昔のユキムラも兄ちゃんだったけど、弟の代わりに雷公になったの?」
「雷公ユキムラは庶子だったんだよ」
ジロウは、「王になるなら弟より兄の方が先」だと言いたいのだろう。
前世の記憶を、歴史上の出来事として説明する珍妙さ。
「今のシンマ王家や四天王家もそうだけど、王様ってのは複数の女性と結婚できるんだ。で、その妻にも正妻とか側室とかの序列がある。王様の跡を継ぐのは、正妻との間に生まれた子どもって言うのが常識なんだよ」
「雷公ユキムラは、前雷公と側室との間に生まれた子どもだったという。それゆえ嫡子たる弟君が早死にした際も、それを理由に雷公の座に就くことを固辞したのだが、結局民や臣からの要望に押され雷公とならざるを得なくなった」
そして、後にシンマ国王となる影公ヤスユキとの泥沼の戦争に突入していく。
何故雷公ユキムラは、ヤスユキと親交を結ばなかったのか?
それ以前まで雷州と影州は、同盟関係と言っていいぐらいに仲がよかったではないか?
それなのにユキムラが雷公となった途端、全面戦争の状態に。
やはり雷公ユキムラは武将であり、王の器ではなかったのだ。……という評価を転生後に歴史書で見た。
「そっかー、じゃあオレも、フェニーチェ法国と戦争になっていくさ場に行くようになっても、絶対生きて帰らなきゃな」
今世の弟ジロウが、しみじみと言った。
「兄ちゃんが泣きべそ掻かないようにな!」
「…………」
とりあえず僕は、右手でジロウのドヤ顔を覆い握りつつ、左手で後頭部をグリグリした。
「あだだだだだだ! 痛い痛い痛い痛い……!」
「アホめ。まずそもそもいくさなんて起きないよ」
「サムライとしては歯痒いことながら、ユキムラの言う通りであろう。天下太平、それに越したことはない。……そこでだ、ユキムラ」
はい?
何ですか先生、急に改まって?
「娘のセキに茶を出させたはずだが、どうであった? ……あれも美しく育ったであろう?」
ちょっと先生まさか、本当に……!?
どうやって惚けようか思案していた最中、遠くの海の方から地響きのような轟音が鳴り渡った。
それが、シンマ王国に百年続いた平穏の終わりを告げる音となった。