41 風の珍客
それから日を送るごとに様々なことが変わっていった。
長く人の住まわなかった反逆の地・雷州をこの僕――、ヤマダ=ユキムラが預かって雷領と改めてより約一ヶ月。
やって来たすぐのころは、何もないサラ地にどうしたものかと思っていたが、今ではそのサラ地の上に少しずつ家屋が建って、人が住む地に相応しい様相を呈し始めている。
元々ルクレシェアが作り上げていた張りぼて城壁を枠にしたから、土台は出来上がっていたというべきだが。
その後もフェニーチェ法王令嬢ルクレシェアとシンマ王女クロユリ姫の協力あって、雷領の都市化は一段と捗る。
クロユリ姫は、お父上たるシンマ王ヤスユキ陛下に働きかけて、多くの大工や杣人たちを送ってくれた。
ルクレシェアも、フェニーチェで発達した魔法技術をフル活用して都市作りを支援してくれている。
この分ならば、これまでのシンマ王国の常識を遥かに超える早さで、シンマ王国内にあるどの都市にも負けない巨大都市を完成させることが出来そうだった。
現在、食糧事情はユキマス陛下が送ってくださる資材に頼りきりだが、既に城壁外で開墾を進め、粟や豆類といった早く収穫できるものを主軸に栽培を始めていた。
ゆくゆくは稲田を何十枚も広げ、自給自足を目指してはいるが。
「麦も育てろよ麦も! 焼き立てパンが食べたいぞ!」
とルクレシェアから訴えられたので、麦も育てることになった。
……でもパンって何だ?
* * *
そんなこんなで、僕らがこの雷領に居ついて一ヶ月ほど経ってからのことだ。
その日も何事もなく、平和に過ぎ去っていくかと思われていた。
* * *
「はー、おいしー」
雷領で食べる朝食は、僕がヤマダ=ユキムラとしてシンマ王国に生まれてから毎朝食べてきたものと変わらなかった。
クロユリ姫の作る手料理が、ウチの母上直伝のものであるからだ。
「うふふ、努力がこんなに早く報われるなんて思わなかったわ」
こんなに早い段階で胃袋ガッシリ掴まれるとは思いませんでした。
雷領での都市建築もすっかり進んで、僕たちは新たにできたシンマ屋敷に移り住んでいた。
木の柱、畳の触り心地に、フェニーチェ生まれのルクレシェアもすっかりご満悦で、今では領主夫妻用の屋敷に三人揃って寝起きしていた。
そこで食べる朝食はまた格別なものだ。
「ねえねえ、この味噌汁どうかしら? ユキムラの家じゃ、具にタマネギを入れるって聞いたからたくさん入れてみたのよ!」
「うん! 美味しい!」
たしかに実家の味だ。
タマネギがよく煮えて甘味が出ている。
「それから焼タマネギ! お義母様の得意料理なんでしょう!?」
「たしかに!」
ウチの母上って簡単な料理が得意なんだな。
「ユキムラの御実家から分けてもらった糠でタマネギを漬けてみたの! ユキムラのお家じゃタマネギまで漬け物にするって変わってると思ったけど、思いきって漬けてみたわ!!」
「わーい!」
……なんで我が家こんなにタマネギ好きなんだっけ?
しかし故郷を離れても食べ慣れたものを食べられるというのはとてもありがたいものだ。
「くっそう……! 悔しいが、たしかに美味しいぞ……!!」
と同じく食卓を囲むルクレシェアが悔しそうだが、美味しいものを食べて幸せ気だ。
彼女もこの一ヶ月で随分箸の使い方が上手くなった。
「クロユリに美味しいご飯を毎日食べられるのは嬉しいが、同じユキムラ殿の妻としてクロユリだけに台所を任せるのは不甲斐ない……! 小麦粉!! 小麦粉さえあれば我も、ユキムラのために美味しいパンを焼いてあげられるのに!?」
だからパンって何?
「あとドライイーストと、生地を寝かせるバスケットとオーブンさえあれば! それにバターかジャム。あと一緒に飲むためのコーヒーもあれば!」
「要るものたくさんありますね……!」
ま、現在のシンマ王国においてフェニーチェ法国との交渉準備のために築き上げようとされる雷領だ。
向こうの食文化についても研究が必要だとは思うけれど……。
「よっし、フェニーチェから新使節が到着したら、父上への通信を託そう。そしてフェニーチェから大量の小麦粉とジャムと、乳を搾り出すウシを送ってもらうのだ!!」
「ルクレシェア、目的が微妙に変わっているわよ!!」
たしかに。
僕たちが雷領でフェニーチェ新使節を迎える準備をしているのは、相手国の無茶な要求から母国シンマを守るためだ。
けっして、両国から色々持ち込んで面白都市を建設しようという意図からではない。
「いいではないか! 両国の文化が交じり合い、理解が深まれば、お互いを認め合う心が生まれ、自然と争いは遠ざかる! それこそ、戦争を避けて両国の満足いく結果を得られる最善の道ではないか!?」
「どうしたの!? ルクレシェアがまともなことを言っているわよ!?」
この一ヶ月でクロユリ姫が培ったルクレシェアへの評価も散々なものだった。
「でも、言われてみるとその通りよね。よくわからない相手と友だちになんかなれないし。お互いの考え方や文化を紹介しあって理解を深め合うことが、最良の答えを導きだす方法なのかもしれないわ」
「そのための雷領ではないか。我は、いずれ来る同胞のためにも、この街を素晴らしく仕上げたいと思っている!!」
二人の言う通りかもしれないな。
ともすれば戦乱の皮きりとなるのがごく自然の、異なる文化の初接触。
それを何とか争いなしで切り抜けたいというのがシンマ王ユキマス陛下の望みでもある。
その望みを託された雷領の新領主として、すべきことは決まっているのかもしれないな。
「小麦なら……、シンマでもどこかで作っているよな?」
「ユキムラ?」
「ユキマス陛下に頼んで小麦粉とやら、送ってもらうか。ルクレシェア、料理のための設備なんかは、キミの錬金魔法で作れるんだろう?」
「……ッ!? 無論だ! パンどころかニシンパイだって焼ける大型オーブンを建造して見せよう!!」
とルクレシェアは瞳を輝かせながら言うのだった。
一ヶ所にいながらシンマ、フェニーチェ両国のご飯が楽しめる。雷領も楽しい街になりそうだな。そんな明るい予感がした。
そこへ……。
「甘ァァーーーーいッッ!!」
と、何者かからの大声が外から聞こえてきた。鼓膜に突き刺さるほどの大声。
「何よッ!?」
「甘い!? バターよりジャムの方がいいということか!?」
クロユリ姫やルクレシェアも、突然の異変に箸を止める。
僕たちが朝食を摂っているのは、新しく築造されたシンマ屋敷の居間。開け放たれた障子から縁側をまたいで庭を眺めることができた。
その庭のさらに奥は、今は見事な漆喰の壁が出来上がっている。
声は、その壁の向こうから聞こえてきた……?
「甘い! 甘い! 神国シンマを侵さんとする夷狄。触れてすぐさま斬り捨てずして何とする!?」
漆喰の壁にヒビが入り、砕け散った。
破片が豪風と共に舞い上がる。
「きゃああああッ!?」
「な、何だこれはッ!?」
この風。まさか……!?
ともかくも破られた壁から、一人の巨漢が現れた。
杉の巨木のように真っ直ぐと立っていた。
見上げるほどの大男。ピンと伸びた背筋が、益々背の大きさを強調する。
「本家の手緩さを案じて来て見れば、やはり危惧した通りになっていたな」
と大男は言った。
壁の向こうから聞こえたものと同じだった。
「夷狄ことごとく滅すべし、シンマ王国清浄なるべし。その鉄則を守れぬシンマ王家に、サムライを率いる資格なし! この期に及んでは、王家に次ぐサムライの長の家が、その役目を果たしに参った」
「アナタ……、まさか……!?」
思い当たる節があったのか、クロユリ姫の喉が震えた。
僕もそうだった。
ただし、僕が揺さぶられた記憶は、前世における記憶だった。
前世――、雷公ユキムラとしての死に際の記憶。影公ヤスユキと共に僕のことを囲み斬りした、四州の長の一人。
風剣を携える……。
「シンマ王国、四天王家が一、ヤマウチ家が四男ヤマウチ=タチカゼ。シンマ王国を洗濯するために、素早く参った!!」