38 文明の断絶
そんなわけで、僕らの都市開発計画は本格的にスタートした。
「アース・メタモルフォーゼ!! ふはははははははッ!!」
クロユリ姫という動力源を得たことで、ルクレシェアの魔法は絶好調。
足元の土をどんどんセメントとやらに変えていく。
「次は向こうの区画をお願いしますー」
「ここには何を建てる予定なの?」
「うーん、舞踏館?」
既に地鎮祭と縄張りはある程度済ませていて、まずいくつか屋敷を建築する算段だった。
シンマ船で一緒に乗り入れてきた配下たちに命じて、木材の調達に行かせてある。
ソイツらが切り倒してきた直木を何十本と持ち帰るころには、ルクレシェアによってセメント製の堅い土台が完成していることだろう。
「この土台なら、相当な重量にも耐えられる。デカい屋敷を建てるのが容易ってことだな」
「それだけじゃなく、ルクレシェアが魔法で整えてくれた時点で柱を立てる穴とかを土台に開けてくれているから、組み上げも容易よ。思った以上に作業が捗りそうだわ」
恐るべしフェニーチェの魔法技術及び建築技術。
彼らが建造した軍艦が、危うくシンマ王都を制圧しかけたことを思いだした。
やはり彼の国は、侮っていい相手ではない。
「はーっはっはっはっは!! そうだろう? 凄いだろう!? フェニーチェの魔法技術力は世界一だろう!?」
そしてルクレシェアは初めて訪れた自分の優勢に有頂天。
もう口から笑いが止まらないと言わんばかりの勢いだった。
「どうだ? このまま我の錬金魔法で家も建ててしまわないか!? フェニーチェ建築の豪壮な城を築いてみせるぞ!!」
「「それはいいです」」
「あれッ!?」
僕とクロユリ姫、二人ピッタリ気合のこもった拒絶にルクレシェア困惑。
「どうしたのだ!? え? 何故? フェニーチェ法国の超絶技巧はわかっていただけたと思ったのに!?」
……たしかに、フェニーチェの家を建てる技術は凄い。
家を建てることは。
「でも、そうして建った家がねえ」
この基地に来てから実際に僕たちが泊まったのは、そのフェニーチェ風建築の中。
僕たちを脅すためのハッタリで建てた城壁の一部に設えられた部屋だが……。それはもう……、住み心地が……!
「総石造……、セメント製? で、底冷えするわ湿気がこもるわ。お世辞にも住みやすい環境とは……! 一日二日泊まる程度ならまだいいけれど……!」
「あそこに常態的に泊まるとなると、ちょっとしんどいですよね。それに何と言うか、精神的に来ますよね」
石みたいに硬いものに何十日と取り囲まれてると、自分の吐く息すら跳ね返って来そうでとても落ち着かない。
精神が削られる。
「やっぱり人が住む家は、木とか畳とか、柔らかみがあるものがないとダメですよ」
「そうよねー、一日も早くシンマ屋敷に移り住みたいわよねー」
クロユリ姫もおおむね同じ意見らしかった。
「ひえええええ……! フェニーチェの住環境ボロクソの評価……!?」
やっと上り坂が来たと思われたルクレシェアの目前に谷。
「あ、あの……、住環境のことで、ついでに確認したいことがあるんだけれど……!」
ん? どうした?
クロユリ姫が急にモジモジして、遠慮がちに言い出した。
「あの、わたくし、こちらに到着してから一度も……、その」
一度息を整えて、言う。
「お風呂に、入ってないんだけれども……!!」
ああ、そう言えばたしかに。
「でも、なんでクロユリ姫そんな遠慮がちに言うんです? お姫様なんだからもっと居丈高に文句つけてもいいでしょうに」
「ユキムラ! アナタわたくしを何だと思っているの!? わたくし、こう見えても遠慮深いのよ!!」
え?
え?
「最後にお風呂を貰ったのは、船旅の途中寄港地で。先日は体を洗わずに寝て、今とても埃っぽい感じがするの。ねえ、ルクレシェア。こちらにお風呂はないの?」
「お風呂って何だ?」
「え?」
とルクレシェア。
ええ……?
「あの……、お湯を沸かして、その中に入って、体を洗うものなんですけれど……!」
皆知ってて当たり前のことをわざわざ説明するって意外に難しいと気づく。
それでもルクレシェアは、あまりピンと来ていないようだった。
「うーん、あっ、バスルームのことか? 体を洗うと言ったら、それしかない!」
「よかった! 文明の断絶を味わうところだったわ! この施設にもちゃんとお風呂があるのね!?」
「ないぞ!」
僕とクロユリ姫は、揃ってズッコケた。
「フェニーチェにもバスルームという体を洗うための部屋は存在するが、この基地にはない! 急拵えでそこまで手が回らなかったからだ!!」
「なんでよ!? いくら急拵えだからって、生活に必要不可欠なものはやむなく作るものじゃないの!? お風呂ってその範囲内でしょう!?」
「え? そんなに要るか? バスルーム?」
「え?」「えッ!?」
固い友情で結ばれたはずの二人に、一陣の隙間風が吹いた。
「あの……、お風呂が絶対必要じゃないって……! ならルクレシェア、アナタ体を洗う時はどうしているの?」
「タオルを濡らして体を拭けばいいではないか。洗面器一杯の水で充分足りるだろ」
クロユリ姫の顔が「ヒッ!?」と引きつるのを僕は見逃さなかった。
「この基地だと、水を得るには川から汲んでこないといけないけどな。その手間が惜しくて、体を拭くのもついついサボってしまう……!」
あはははは……! と照れ笑いするルクレシェア。
クロユリ姫が絶句しているので、僕が代わりに尋ねざるを得なかった。
「ちなみにルクレシェア。最後にその、体を拭いたのは、いつごろ?」
「えーっと、……三日? いや四日前かな?」
「!!!!!!!!!」
ビシュン!
そんな音を立ててクロユリ姫は大きく後退した。
より正確に言うと、ルクレシェアとの距離を開けた。
「え? どうしたんだクロユリ?」
戸惑うルクレシェアが一歩踏み出すと……、クロユリ姫が一歩後退。
その繰り返しで二人の距離は一向に縮まらない。
「どうしたというんだクロユリ!? 何故、我を近づかせてくれないんだ!? 我々は硬い友情の絆で結ばれたのではなかったのか!?」
「わたくしの友だちは、毎日お風呂に入る清潔な人だけです」
無慈悲なクロユリ姫の一言だった。