32 外交特区
最初フェニーチェ法国からは、法王令嬢たるルクレシェア率いる交渉団がやってきて、まあ盛大に玉砕した。
「……ルクレシェアって、駆け引きの才能はあんまりないわよね」
今や友だち同士となったルクレシェアへ、クロユリ姫が忌憚ない一言。
まあ、その評価は甘んじて受けるべしというところだ。
答えを出し渋るユキマス王に焦れて王都を砲撃するわ。そのせいで窮地に陥ったのにハッタリで乗り切ろうとするわ。無謀。
「し、仕方ないのだ。なにせ我々フェニーチェ交渉団は、我と、あともう一人の司令官がいたから」
「「え?」」
僕とクロユリ姫、二人揃って首を傾げる。
「我が、兄を見返したいがために交渉団の指揮を執ったことは話しただろう? それは我が父である法王に直接願い出て実現したのだが、兄上は兄上で自分の息がかかった者を交渉団に押し込んでいた」
ルクレシェアの兄、レーザ=ボルジア。
彼もまた法王の子どもだが、時に法王の権力を凌ぐこともある曲者らしい。
ルクレシェアの口振りでは、シンマの『命剣』を求めているのはこのレーザの方が積極的であるようにも思えた。
「つまり最初フェニーチェ交渉団は、ルクレシェアともう一人で、指揮者が二人いたのか……!」
なんとも現場で混乱するのが必至となりそうな……!
「その人が、最初にシンマ王都に特使として訪れたガロッペ=ピンペード卿だ。ソイツが貴公らの首都に砲撃を加えたのだ」
「あーあーあー」
「彼の指揮でサド動力艦を全部動員し、ユキムラ殿に沈められる結果となった。彼は、我に一言も相談なく……!」
おかげで拠点に残されたルクレシェアたちは窮地となったわけか。
そのガロッペ卿とやらは、多分まだ捕虜としてシンマ王城の牢に囚われているはず。
「彼の焦りがすべてを狂わせたのだ! 我はもっと慎重に、時間をかけて交渉していきたかったのに……!」
「えぇ~? でも、そのあとのハッタリ攻勢は間違いなくルクレシェアの指示でしょう?」
「クロユリ! 追い詰められた我の心情も察してくれ!」
いつの間にか「クロユリ」「ルクレシェア」と呼び捨て合うようになった二人。
打ち解ける速度がハンパではないのだが。
まあ、反省会はここまでにしておくとして……!
「問題は、フェニーチェは必ずまたやって来るということだ。シンマの『命剣』を諦めない限り」
それにルクレシェア当人のこともある。
功を焦った身内のせいで大海を横断できる動力艦を失い、彼女は本国帰還の手段を基本的に失った。
法王の息女が安否不明となれば、捨て置くことはよもやあるまい。
「ルクレシェアの救助を兼ねた後続隊が来るまでに、彼らを迎える準備をしておかなければならない」
「迎えるって、まさか……!?」
「大丈夫、迎え撃つとかそういう意味じゃないです。あくまで平和的に……」
それがシンマ国王ユキマス陛下の御意思でもあるし。
「そのためにユキマス陛下は、僕にこの雷領を預けた。百年も人が住まず、ただの荒野と化したこの土地を」
「どういうこと? ユキムラ?」
「ここを、フェニーチェからの使者を歓待する。ただそれだけの場所にしようと言うんですよ」
フェニーチェは既に王都砲撃というとんでもないことをやらかしている。
これを再び王都に入れるなど国民感情が許さないし、だからこそシンマ国内にどこか別の、国外交渉の窓口が必要だ。
「ここ雷領はつい最近まで無人の荒野。そこを利用されフェニーチェに拠点を作られたぐらいだ。同じことを繰り返させないためにも。交渉の窓口をここに作る」
「そのためにユキムラ殿を、雷領の領主に封じたわけだな?」
どうせこの無人の荒野が、王都や他の領並みに発展するには何十年という歳月が必要だ。
ならばその前に。
「ここを国外交渉の拠点に作り上げてやるか。そのためだけに建造された都市。つまり外交特区だ」
「何だかよくわからないけど凄いわ! わたくしたちの愛の住処が、そんなハイカラな場所になるなんて!!」
愛の住処!?
「最初に聞いた時は、この地が皆で仲良く暮らしていける楽園に変わるのかと思ったのだが、それ以上に素晴らしいことになるのだな! この我もフェニーチェ法王の娘として、協力させてもらおう!」
クロユリ姫とルクレシェアのやる気が振り切れんばかりだ。
何がここまで彼女らを奮い立たせるの?
「いやー、何だか夢が広がるわよね。ルクレシェアはどんな領地にしたかった?」
「湖が欲しいな」
ん?
「湖面にボートを浮かべて、水遊びができるような……! 最初は我とユキムラ殿とクロユリで三人。裸で泳ぎ合って……! いずれ時が経ったら子供と一緒に家族で遊びに行くのだ……!」
「素敵! わたくしは庭園を築きたいわね。季節の花々を植えて一年中花見ができるような……! 春の桜、夏の蓮華、秋の紅葉……。冬は雪景色を、ユキムラやルクレシェアと並んで堪能したいわ……!」
「それはいいな、この地がフェニーチェからの外交窓口となるなら、あちらの草花も海を渡って入って来るぞ! シンマとフェニーチェ、両国の花が我が家の庭で咲き乱れるのだ!」
「素敵、素敵だわ! 二つの国が交流することで、そんな素敵な空間が生まれるのね! もっとたくさんの可能性が感じられるわ!」
「そうだな! 私たちの暮らすには家は、シンマとフェニーチェの美術品を飾らせよう! 客が痺れるような配置を二人で考えるのだ!」
「家のことばかり考えてはダメよ! ユキムラはこの土地の領主様になるんだから!」
「そうだな、ユキムラの妻である我らが遊びほうけては、夫の名を汚すことになる! 領民が幸せに暮らし、領主を尊敬してくれるように我らも頑張らねば!」
「お祭りを開いてはどうかしら!? 年に一回決まった日に領民たちを招いて、皆で歌ったり踊ったりするの! その中心でユキムラは、領主として人気を鰻登りにさせるのよ!」
「ではそのお祭りの名前は……!」
「「ユキムラ祭!!」」
やめてッッッ!!
自分の名前を付けたお祭りとかどんだけ浮かれたヤツなんですか僕は!?
いかん、いかんぞ!?
僕の領主就任が、ここまで二人の夢見る少女的想像力を刺激するものだったとは!
彼女らにとって、今や雷州改め雷領はどこまでも広がる夢の大地。何もない荒野だからこそ、そこにどんな夢想でも描き出すことができる。
……ダメだ! 領地経営なんてそんな甘いものじゃない!
前世の記憶がある僕だからこそわかるんだ!
あの手この手で税を出し渋る農民との殺伐とした関係とか、兵力を安定させるため無宿人を受け入れれば案の定犯罪を起こして処罰しなければならなかったり。
とにかく領主の仕事というのは、夢を追ってちゃ成り立たない仕事なんだ! 現実に縛られないと……!!
「ねえユキムラ!」
「ユキムラ殿は、領内にどんなものを築きたい?」
現実を教えて注意しようとしたところ、キラキラ輝く瞳が二人がかりで僕を照らす。
その瞳が……!
あまりに純粋すぎて……!
「み、皆で一緒にご飯を食べれる食卓があれば……!」
「ユキムラ殿!」
「さすがユキムラ! アナタのそういうところ大好きよ!」
僕は乙女たちの純真さに屈した。