25 遠き彼の国
「はあ……!」
「まったく……!!」
なんで?
なんで二人揃って機嫌悪くなっちゃったの?
僕何か悪いことでもしたのだろうか?
誰か知っていたら教えてほしい。
「あの……、クロユリ姫?」
「ちっ、何よユキムラ?」
「お姫様が舌打ちしないで!!」
ついさっきまであんなに甘ったるい雰囲気に満ち溢れていた寝室が、一気に殺伐となってしまった。
……何故甘ったるい雰囲気だったかは、僕にはわからないが。
いや、本当はわかっているのかもしれないが、僕の心と体が全力でわかることを拒否しているというか。
「って言うかアナタ!」
八つ当たりか。クロユリ姫の激情がルクレシェアに向いた。
「わたくしはともかく何でアナタまでガッカリしているのよ!? アナタは囚われの身なの、虜囚なの! 無理やりキズモノにされるところだったのに、それを回避できてなんで不機嫌なのよ!? むしろ純潔を守れて喜びなさいよ!」
「た、たしかに貴公の言う通りだが……。そうだな、何故こうまでガッカリしているんだ我は?」
自分のことだろうに。理由がわからず戸惑いがちのルクレシェア。
「……もしかしたら、我がこんな遠い異国までやって来た理由と、関係があるのかもしれない」
「ほうほう」
クロユリ姫が聞く体勢に入った!?
「貴公ら二人は、我のことをお姫様だと言うが、厳密には違う。クロユリ殿、貴公のように生まれついての王の娘ではないのだ」
「え?」
それはつまり?
「フェニーチェ法王の座は、世襲制ではない。大臣クラスと言うべき枢機卿の中から、選挙で選ばれる。我が父も元々はフェニーチェ一地方の貴族から出発して、法王にまで成り上がった」
「ほおう」
洒落ではない。
ところによって国家の仕組みも様々な種類があるのだな。そうやって王を決める方法があったとは。
僕自身、王を決める方法なんて二つしか思い浮かばなかった。血統か、武力か。それぐらいだ。
「フェニーチェ法国は、魔法技術の下に集った人々が立ち上げた国だ。一種のギルドというヤツでな。学者や研究者たちが相互扶助のために立ち上げた組合がだんだん大きくなり、国家レベルまで拡大してフェニーチェ法国となった」
だから国の根幹には技術や知識が置かれ、それをもっともうまく扱える者に指導者の座が与えられる。
今代はそれが、ルクレシェアのお父さんだった、ということか。
「我自身も物心ついた頃、父はまだ枢機卿の一人で、しかも序列は低かった。次の法王に選ばれるなど誰も思っていなかった。だから我も自由で、魔法技術や剣技を夢中で習い覚えていた。他の貴族の娘のように、お茶会や詩の朗読会などには興味を持てなくてな」
そんなお転婆のルクレシェアに、法王になる前のお父さんは、こう言ったという。
『ルクレシェア、お前はとても才能豊かな子だ。どこにも嫁に行かなくていいから好きなことを頑張りなさい』と。
「「親バカ……!」」
僕もクロユリ姫も揃って呟いた。
「風向きが変わったのは父上が法王に就任してから。元々父上が法王になれたのは、レーザ兄上が水面下で動いたからだと聞いた。その兄上が、父上の法王就任以来、我と顔を合わせるたびに言うのだ。『いつでも嫁に行ける準備をしておけ』『ボルジア家のために』『お前は役立つ男に嫁がなければならない』などと……!」
思い出して、ルクレシェアは拳をギュッと強く握った。
「我は反発した。これまでたくさん勉強して、体も鍛えて、周囲から知勇兼備と讃えられるようになった。それでいい気になったわけではないが、兄上の言いようは、まるで我には女であることにしか価値がないみたいじゃないか! 我のこれまでの努力が踏みにじられたような気がした……!!」
だから彼女は行動に出た。
「父上に直接頼み込んで、シンマ交渉団の指揮者にしてもらった。ここで成果を上げれば、兄上に我が実力を見せつけることができると……! 我を政略結婚の道具としか見ない、兄上が愚かだったと証明してやると……!」
して、その結果は散々だったわけだが。
成果を上げるどころか、今や虜囚の身だし。
「う~ん……」
以上の話を聞いて、クロユリ姫がなんか唸り出した。
「アナタの本国での立場とか、ここまでやって来た動機なんかはわかったわ。でも肝心の、何故アナタがユキムラに抱かれなくてガッカリしたのか? ってところに繋がらないんだけど?」
今……。
物凄くお茶を濁すべきところをハッキリ言ったような……。
「うむ、そこについて詳しく説明させてもらおう。……我のことを政略結婚の駒としか見ていない兄上だが、にも拘らず、その扱いが下手くそでな」
「と言いますと?」
「我の下に来る縁談話が、軒並み微妙なものばかりなのだ。姻戚関係を結ぶにも、そこまでする価値はあるか? と首を捻りたくなる中流貴族や、落ち目になった旧大勢力とか……」
はあ……?
「婿候補自体も、うだつの上がらない平凡男ばかりで、それを見るたび余計我は腹が立った。『こんな三流男しか嫁ぎ先はないのか?』『我は女としても、その程度の価値しかないと思われているのか?』と。だから余計自分の実力を示したくて兄上に反発した」
そして本国を飛び出し、シンマ王国にやって来た。
「そこで出会ったユキムラ殿は、我がフェニーチェで見てきたボンボン貴族などとは比べ物にならぬ勇者だった。自分の命すら簡単に捨て去る苛烈な判断。それでいて我やクロユリ殿など、女性には優しい。最初は凄く怖かったが、段々とこう思えてきた……」
ルクレシェア曰く。
――ああ、こんな人が我が国にもいたら、迷わず嫁いだのだが。
「……と」
そう呟くルクレシェアの顔を見て、気づいてしまった。
これは恋する乙女の表情だと。
「そう思うと、たとえ凌辱であっても、ユキムラ殿と通じ合えるのが嬉しくて……。そうでないとわかった瞬間残念になってしまって……」
そしてルクレシェアは、クロユリ姫の方を向く。
「すまない。ユキムラ殿は貴公のフィアンセであるのに。別の女が横恋慕するという話を聞くだけでも不快だろう。今のは捕虜の戯れ言だと思って聞き流してくれ」
しかしクロユリ姫は、ルクレシェアの白い手をおもむろにギュッと握り、こう言った。
「……わかる!」