18 船旅
それからさらに数日、僕たちはその間ずっと船上にいた。
「うあ~、もう船しんどい~。揺れない地面が恋しい~」
前世、雷公ユキムラの頃から船になんて乗ったことがないのに。
何日にも渡って揺れ続ける船の上に足の裏を置くことは、想像以上にしんどかった。
「もう、シンマ王国の新しい英雄が情けないわね。船員たちが見ているのだからシャキッとしなさい!」
と言いつつも、優しく背中を撫でてくれるクロユリだった。
「もう何日も船の上なんですけど……。あとどれくらいしたら目的地に着くんですか?」
目的地とはつまり、フェニーチェ法国がシンマ国内に作りやがったという拠点。
フェニーチェ法国自体は当然のことながら遠い海の向こうにあり、そこからシンマ王国へとやってくるなら手間も時間も相当なものとなる。
しかしシンマ王国の近辺、あるいは内部に基地を作り、補給や滞在を安定させれば、それはシンマ王国へ様々な影響を与えるための大きな橋頭保となる。
それは僕たちシンマ王国にとっては非常に大きな問題だった……。
「思い出すほどに大失態ですね。自分の縄張りの中で、そんな危険なものが築き上げられていたのに気づきもしなかったなんて」
「それも平和ボケの一種ということね。……でも、実際に拠点が築かれた場所を知って、納得してしまったわ。あんなところに建てられたら、気づけないのも無理ないわよ」
とクロユリ姫が納得してしまう場所とは……。
雷州。
シンマ王国以前――、六つの州が天下の覇権を奪い合っていた頃。
天下人へ最後まで従わなかった雷公ユキムラが率い、それゆえに雷帝の死後捨て置かれた地。
僕は故郷を発って、故郷に戻ってきたわけか。
かつて雷公ユキムラが治めていた雷州は、シンマ王国の成立によって独立自治体から国内一地方へと転落した。
それだけに留まらず六州の中で唯一、初代ヤスユキ王への臣従を最後まで拒んだ州として他五州より低い扱いは避けられなかった。
住民は強制移住を言い渡され、散り散りとなって他五州へと吸収。雷州の民は自己同一性を失い、歴史に埋没し、消失した。
住む者の去った雷州は以後百年、無人の荒野と化して野ざらしというわけだ。
それはそれでいい。
雷州を滅ぼした張本人として言わせてもらえば、あれはそうなるべき土地だった。
ともかくとして。
「今は人一人住まず、荒れ果てた陸の孤島……。そんな場所で異人が跳梁跋扈しようと、目に届くはずがない、か……!」
「本当に憎たらしいわ。誰も使っていなければ、ヒトの家の庭に住み着いていいなんて思っているのかしら? だとしたらフェニーチェ法国とはなんと常識のない国なんでしょう!?」
クロユリ姫はプンプンだった。
こんな精神状態のまま向こうに到着したら、フェニーチェの拠点代表を会うなりぶん殴るとかしでかさないか?
「くれぐれもお願いしますけど、向こうでは大人の対応でお願いしますよ? 僕たちはあくまで交渉に行くんですから……!」
「それも、向こうの出方次第でしょう?」
たしかに。
フェニーチャ側は既に喧嘩腰で、向こうに非のある一件を全部こちらに責任ありとして、要求を無理やり通そうとしている。
交渉は決裂する可能性が高く、そうなれば戦闘は必至。
だからこそ真っ当なシンマ官僚は怖くて行く気になれず、僕のような異分子にお鉢が回ってきた。
最悪の事態となっても、クロユリ姫だけは守り通せるようにしておかないと。
「心配無用だわ! もし戦いになっても、わたくしは戦力として立派に夫の役に立ってみせる! 何しろこのわたくしには、影剣『カーリー』なあるんだから!」
と、その手から細身の黒剣を発生させる。
僕はそれを見て、早速やれやれとなった。
「クロユリさん。初めてそれを見せた時、僕はなんと言いましたっけ?」
「うっぐ……ッ!?」
浮かれるのを咎められた子供みたいな姫。
「シンマの影剣は『知られざること影の如し』。ゆえに誰にも知られず、誰にも気づかれてはならない。そう教えたのを忘れてはいませんよね?」
「わ、忘れてなんかいないわよ!」
姫は、噛みつくように僕へ反論した。
「だからわたくしは、誰も見ていないところで影剣を出したわ。見ているのはアナタだけよ!」
たしかに、今僕たちが佇んでいる木造船の甲板は僕とクロユリ姫以外におらず、他の船員は船内に引っ込んでいるか、ずっと向こうで何かの作業に没頭していた。
「でも、僕が見ているじゃないですか」
「アナタはいいのよ! いずれわたくしの夫となる人だから、身内だから! 秘密の剣を見せたっていいでしょう!? だって……」
ボアッと、唐突にクロユリ姫の顔が真っ赤になった。
なんだ?
「うあああ……、ダメダメ、わたくしこれから滅茶苦茶恥ずかしいこと言う……!」
「?」
「あ、アナタには、わたくしの裸だって見せていいんだから、影剣だって見せていいわよ!!」
ガツンとやられた。
クロユリ姫は顔をさらに真っ赤にして、恥ずかしさに俯いてしまった。
本当にどうしていいかわからないこのお姫様。
いや、抱きしめればいいんだろうけど。
「……でも、一体何者なんでしょうね?」
無理やり話題を変えることで、この甘ったるい雰囲気の打破を試みる。
「え? 何者って、誰が?」
「向こうで待ってるって言う、フェニーチェの拠点代表です。僕たちはソイツと話をつけに行くんですよね?」
フェニーチェ勢力という不特定多数ではなく、その一つの動きを代表する一人と。
「ソイツがどういう人間かによって交渉のやり方が決まるし、成功の可能性も変わってきます。できるだけ話が通じるヤツであればいいんですけど」
「我がシンマに攻め込んでくる一団の頭領であるからには、かなりの大物なのでしょうね。首級を獲ったら大手柄よユキムラ!」
「だからそういうことをするために行くんじゃないんですって!!」
いくさなんか引き起こしてもいいことなんかない。
人の命は損なわれ、物資や時間もおびただしく浪費する。こちらから侵略するいくさなら勝って得るものもあるだろうが、攻めかけられて守るいくさでは失うばかりで何もない。
だからといって立ち向かわなければ敗北しすべてを奪われる。
まったく悩ましいことこの上ない。
「この一件、相手の代表者と掛け合い説き伏せることが出来れば、流血を避ける目はある。僕はその可能性に懸けたいんですよ」
それこそ今生ユキマス王の望みでもあるし。
「わかったわ。妻は黙って夫に従うものだし、アナタの意見を尊重する」
「ありがとうございます」
貞淑なよい妻を持てて僕は幸せ者だ。
さあ、方針が固まったところで、見えてきた。海から見える海岸の絶壁にそびえ立つ城砦が。
「あれが……、シンマ国内に建てられたフェニーチェ法国の拠点か」
かつて前世の僕が支配していた雷州跡地を新たに征服する者たちの城。
そうそれは、まるで城であるかのように巨大だった。