17 人の宝
「拗ねてやがるのさ、アイツは」
結局クロユリ姫は今夜ウチに泊まっていくことになり、しかも母上と早々に床に入ってしまった。
僕はまだ眠る気になれず、月明かりを頼りに父上と差し向いで碁を打つ。
「拗ねる?」
「お前はオレより出来がいいが、ジロウはオレにそっくりだ。剣使いが上手くて、それで何でもできると思い上がっているところがな」
父上も、若い頃は道場で暴れ回り、最強の名をほしいままにしていたとか。
「剣で名を上げ、偉い人の目に留まり、出世街道を駆け上がる。そんな甘い夢を見ておったのだろうよ。世の中そんなに甘くないのにな」
パチン。碁石が碁盤を打つ音。
「しかし、そんな破天荒な夢を実現させた者がいる。お前だユキムラ」
「責任を背負いこまされただけですよ」
「人は、表だった華やかな部分しか見ないものさ。若ければなおさらな。『命剣』を出せない兄を、ジロウは心のどこかで見下しておったのかもしれん。そんな兄が、伝説の中にしかない雷剣を携え国難を打ち砕いた。王から褒められ、官位を賜り、美人のお姫様を嫁にもらう。実際そんな自分を妄想しておったかもしれんなジロウのヤツ。剣を振りながら」
妄想の中にしかありえない栄達を、現実で手にした者がいる。
それは実の兄だった。
「ジロウは僕を嫌いになったのでしょうか?」
「お前ぐらい出来た兄貴を嫌う弟がいるものか。でもな、若さゆえの鬱屈は、好き嫌いを容易く歪ませる」
「僕は……」
パチンと碁石を鳴らした。
我ながら消極的な一手だ。意気消沈が、碁筋に表れている。
「出世栄達なんかより、家族の方が大事です。父上に母上、ジロウとシラエ。掛け替えのない僕の宝です」
だからこそ僕は、隠していた雷剣を晒してまで敵を打ち破った。我が家族、我が故郷を侵す不届き者たちを。
「お前は老成しとるなあ。若いうちはもう少しギラギラしてもいいだろう」
パチン。
攻めの弱気を見事に突かれた。
「それにお前は間違ってるぞ。この家はオレの宝だ。オレの天下一の女房も、ジロウもシラエも、そしてユキムラ――、お前もオレの宝だ」
「父上……」
「お前の宝は別にある。男なら誰にでも、自分の宝を作り出すために一人で戦う時が来る。お前のその時は、もうすぐだ」
「はい」
「ドンと行ってこいユキムラ。自分の思うままに戦ってこい。お前の、お前だけの宝を得るためにな」
碁の勝負は、結局僕の負けで終わった。
僕はまだまだ、この人に勝つには遠い。
* * *
それから数日が経ち、ついに出発の時が来た。
すべての準備は滞りなく終わり、僕はクロユリ姫と共に、シンマ王国製の木造船に乗る。
「これでフェニーチェの拠点まで行くんですか?」
「ええ、あっちだって船で来たでしょう」
木造船といっても、王家御用達のとても立派なヤツで、甲板の上では本職の船員たちが十人以上、忙しく駆け回っている。
「一体何に使うんだ?」と聞きたくなる程たくさんの荷物を積み込み、出港準備は着々と進んでいる。
「シンマ王国バンザーイ!!」
「必勝敵伐! 必勝敵伐!」
「雷公夫妻に栄光あれー!!」
「シンマ王国の新たなる英雄に勝利をー!」
岸辺の方からも、見送りの声援がかまびすしい。
そしてついに、僕らの乗る船体は岸から離れた。
「……結局、見送りに来られなかったわね。アナタのご家族」
「最初から、そう決めていたからね」
こうして人が多く集まる公の場で、家族を好奇の目に晒したくない。
だから見送りは家の前までと決めておいた。
僕が王の直臣となっても、分不相応の余禄に与ることを拒み普請役に留まった、父上ならではの意地だった。
「……いい御家族だったわね」
「そう?」
「わたくし、家族で一つの食卓を囲んでご飯を食べるなんて、あの家で初めて経験したわ。賑やかで忙しくて」
クロユリ姫の自慢の黒髪が、潮風になびく。
「ああいう家庭から、アナタのような英傑が生まれたのね。アナタの留守中。家族のことはしっかり見ておくようお父様にお願いしておいたわ」
「お気遣いなく」
あの家は、父上がいる限り安泰だ。
だからこそ僕は家族のためだけでなく、国のために戦いに行くことができる。
ただ一つ気がかりなのは……。
結局家の前までの見送りにすら、弟ジロウは姿を現さなかった、ことだろうか。
弟はまだ自分を整理できていない。
それは他人がとやかく言うことではないが、僕がこれから行く場所は、ことによっては二度と帰ってこられない危険性を持っている。
後味悪い別れに、後ろ髪を引かれる気分だった。
「兄ちゃーーーーんッッ!!」
しかし……。
僕の意志とは関係なく岸を離れていく船を、必死に追って陸を駆ける者がいる。
「兄ちゃーーん!!」
「ジロウ」
僕は船の縁を握って、陸の方へ注目した。
「兄ちゃっ……! ごめん……! 助けてもらったのに、悔しくて、カッコ悪いのが嫌で……! 礼も言えなくて……!」
海を隔ててもわかるぐらい、ジロウの左頬が腫れ上がっているのがわかった。
それを見た途端父上を思い出した。
「兄ちゃん! オレもっと頑張るよ!! 頑張って剣の修行して! 兄ちゃんに追いついてやるから!! 待っててくれ!!」
「ああ! 待ってる!!」
僕は船から落ちそうなぐらい身を乗り出して言った。
「待ってるぞ……!」
船は進む。陸はどんどん離れていく。
弟の姿が海平線の向こうに沈むまで、僕はずっとそれを見詰めていた。
「本当に、よい御家族ね」
その後ろに、クロユリ姫もずっと控えていた。