16 栄達
その翌朝から、僕の生活は目まぐるしく変わった。
まずは朝一番、クロユリ姫を一緒に連れていく件をユキマス王へと報告。
陛下は意外にも笑って許可してくれた。
大事な娘を危険にさらすかも知れないのだからもう少し揉めるかと思ったのに、すんなり行ってホッとした分、後々が怖くなる。
既に王よりの通達により、僕の身分は下級武士の息子から一気に王の腹心へ。
そして来たるべき大役のため、僕自身準備に走り回らなければならなかった。
『全部ユキムラに一任する。好きなようにやってくれい』
というユキマス王からの丸投げとも受け取れるお言葉を頂いたことだし。本当に好きにやらせていただくことにした。
まずは何より、僕がこれから乗り込むフェニーチェ法国のシンマ侵攻拠点(あえてこう呼ぶ)の場所を明らかとすることが必要だった。
そのために僕自身がフェニーチェの新特使を臨検し、これから僕が使者として、フェニーチェの拠点代表者と会談したい旨を伝えた。
要求は意外にアッサリ通り、すぐさま僕の拠点訪問が実現する運びとなった。
しかしそれに対する準備は腐るほどたくさんあった。
* * *
「あー、ただいまー……」
今日も仕事を終えて帰ってきたのは、住み慣れたヤマダ家の平屋。
「お帰りなさいませ旦那様」
そこへ出迎えてきたのは、割烹着姿のクロユリ姫だった。
「何故いるんですか!?」
「今日はお義母様にお料理を教わりに来ていたのよ」
シンマ王国の姫君として、銀の匙を咥えて生まれてきたと言わんばかりのクロユリ姫。にも拘らず一般庶民の我が家族に恐ろしいほど馴染んだ。
「料理……? そんなの別にウチで習わなくても、シンマ王城に本職の料理人がたくさん……?」
「わたくしが覚えたいのは、ユキムラがもっとも食べ慣れた、もっとも親しみのある味よ。それをわたくしが作ってあげれば、ユキムラは大喜び! 胃袋をガッと掴めるわ! というわけでお義母様! 今度の出来はどうでしょうか!?」
クロユリ姫は、隣にたたずんでいたウチの母上に煮物を差し出した。
たしかに煮物はウチの母の得意料理だが……。煮物の汁をほんの少し口に含んで、母上言う。
「ダメね、四十点」
「母上ェェーーーーーーーーーーーーーーッッ!?」
王族! 相手王族!!
雲の上のお人だというのに何をバッサリ切り捨てているんですか!?
「いいのよユキムラ! 厳しく習わなければ修得なんかできないわ!」
「とは言っても、もうほとんどの献立は完璧に再現できるようになってて、さすがお姫様だわあ。本当に、ウチにはもったいないお嫁様だわよ」
ちゃんとわかっているのかどうか、母上はあっけらかんとしていた。
「いいえお義母様。わたくしもいずれユキムラの嫁となるからには、姑様を敬わせていただきますわ。至らぬところがあれば、何でも言ってくださいませ」
「素晴らしすぎて何も言うことなんてありませんよ。お尻も大きくて子どももバンバン生めそうだし、本当に非の打ちどころのないお嫁さんだわァ」
「あははははは……」
苦笑いするお姫様。
「それよりユキムラが帰って来たんですからお夕飯にしましょう。父上たちもお腹を空かせて待っていましたからね。もちろんクロユリ様も食べていってくださいね」
「嫌ですわお義母様、嫁であるわたくしのことなどクロユリと呼び捨てにくださいまし。……あっ、準備お手伝いいたしますわ!」
…………。
完璧に馴染んでおる。
恐るべしシンマ王家の嫁力。ああして婚家と自家を取り持ってきたわけか。
「……あっ、そうだわ」
母上のあとを追いかけようとしたクロユリ姫が、何か思い出したかのように踵を返し、こちらに戻ってきた。
「忘れるところだったわ。今日お義母様に教えていただいた技を、早速試すつもりでいたの」
「?」
「お帰りなさいアナタ。ごはんにします? お風呂にします? それともア・タ・シ?」
「母上ぇーーーッ!! 母上ぇぇーーーーッッ!!」
一国のお姫様に何教えているんですか!?
お腹を痛めて生んでくれた実の母親と言えどもしばき倒しますよ!?
「あらお父さん、ごはんにします? お風呂にします? それともア・タ・シ?」
「ハハハ、お前に決まってるじゃないか」
そして当人はいまだに実践していやがった!?
母上だけでなく、淀みなく最高の回答を弾きだす父上!?
「おおユキムラ、帰ったか。お前が一番最後に帰ってくるのが、すっかりお馴染みになってしまったなあ」
「す、すみません父上、普請の仕事も手伝うことができず」
「何を言うか、お前も今やシンマ王国きっての猛将。雷公ユキムラの再来などと呼ばれる御方に、もう普請仕事などさせられん」
父上が冗談めかして言った。
しかしそれは紛れもない事実で、父も子もそれが少し寂しくはあった。
「それよりも国王陛下から言いつけられた大仕事、もうすぐ本番なんだろう? 一度発ったらしばらくは帰れなさそうだから、今のうちにたくさん付き合え」
と、父上は盃を傾ける仕草をした。
「喜んで」
母上とクロユリ姫は、とっくに連れ立って台所に戻っていた。
そこへ廊下にドタドタ足音が聞こえてきた。
「お、ジロウ」
アイツも稽古から帰ってきたのか。
弟へ向かって父上が呼びかける。
「おおいジロウ、もうすぐ夕飯だぞ。今日は姫様が作ってくれた料理だからな、飛びぬけ美味いぞぉ!」
おどけて言う父上だったが、ジロウの反応は芳しくなかった。
「……いい、稽古の続きがあるから」
そう言って弟ジロウは、振り向きもせずに歩き去っていった。
「……どうしたんだ、アイツ?」
* * *
結局それから夕食が始まっても、ジロウが食卓に現れることはなかった。
代わりにクロユリ姫が団欒に加わり、ヤマダ家の食卓はかつてないほどに華やぐ。
母上は終始嫁自慢で舞い上がり、父上は姫からのお酌でデレデレになっていた。
妹のシラエもあっという間に懐いてしまうし、いつの間にか我が一家は完全にクロユリ姫によって制圧されていた。
恐るべし王の血統。
こうして婚家を懐柔して、シンマ王家を絶対裏切らない味方に仕立て上げる。
その手腕が、まさに我が家庭で振るわれていた。
「ユキムラ、ご飯食べたらさっさとお風呂に入っちゃいなさい。クロユリ様が背中を流してくださるんだそうよ」
「はい!?」
母上からの爆弾発言に、口の中のご飯を危うく噴き出しかける。
「わたくしたち結納はまだでも立派な許嫁ですから、仕事に疲れて帰ってきた旦那様をいたわるのは、妻になる者の当然の役目です!」
「せっかくだから、そのまま孫も作ってちょうだいな。婚約なんて悠長なこと言ってないで。いざとなったら意気地のないところ、本当にお父さんそっくりだわ」
自分のところに飛び火して父上、居心地悪く咳払い。
結局、家族を味方につけたクロユリ姫に僕は屈するより他なく。為されるがままに風呂場で背中を磨かれることになるのだった。
ただ、クロユリ姫も僕との約束を大事にしてくれてるようで、浴室へは袖と裾をまくりあげた着衣状態でのご入場。
それでもこっちは全裸。二人きりの空間で、せっせと甲斐甲斐しいクロユリ姫の健気さに八回ほど押し倒したくなる衝動に襲われた。
それでも何とか耐え凌げたのは、風呂場の壁一枚隔てた向こうに家族がいると想像できればこそ。
さすがに家族に気づかれるような距離でエロいことはできないよなあ、というヘタレさが僕を貞操の危機から救った。
「でも、この分じゃあ決壊するのも時間の問題だなあ……!」
「わたくしはかまわないわよ。ユキムラと結婚することは決まっているんだから」
クロユリ姫と二人、家の狭い湯船に一緒に入りながら物思いにふけるのだった。
彼女は湯帷子という着たままお湯に入れる着物を着ていて、そのおかげでゆったり共湯を楽しめたが、最後は「女の子には手間を掛けなきゃいけないところがある」と言われて強制的に先に上がらせられた。
ただ、こうした団欒の時間が過ぎゆく間、やっぱり一度も……。
弟のジロウの姿を見ることはなかった。