15 いまだ恋人の褥
「あの……! ちょっと待って? 言っていることがおかしく感じられるんだけど……!」
うん。
さすがに違和感に気づかれたか。
「まあ聞いてください」
畳みかけるように僕は言う。
「アナタの言う通り、これから向かう任務はとても危険なもの。フェニーチェ法国が我が国のどこかに建てたという遠征拠点に赴き、相手の無茶苦茶な要求を翻意させる」
「そんなこと、わたくしもわかっています!」
「言葉を尽くして説得できればそれに越したことはないですが、間違いなく戦いになるでしょう。そうなれば敵陣奥深くで孤立無援。そうなれば生きて帰れる可能性は極めて低くなる」
「そんなことはありません! 『天下六剣』の一振りを持つアナタなら……!」
反論してくるクロユリ姫を、ひとまず抑える。
「いいえ、戦場に絶対はありません。絶対確実の方程式は、何気ない偶然で簡単に崩れるものです」
僕は前世で――、雷公ユキムラであった頃にそうした番狂わせを何度も見てきた。
戦場に絶対があると思っているのは、戦場を実際に体験したことがないものだけだ。
「しかるに僕も、死地より生きて帰ってこれる保証はない。もしアナタと結婚してから赴き、生きて帰ることがなかったら、アナタを結婚早々未亡人にしてしまう」
「アナタ、それはつまり……!?」
これでうまく切り抜けられるだろうか?
とにかく口八丁で丸め込んでクロユリ姫との結婚を先延ばしにするのだ。
僕としても、シンマの国難に立ち上がるのはいいとしても、シンマ王家に取り込まれるのは何とかして避けたい。いい流れを想像できないし。
「だったらなおさらわたくしも一緒に行きますわ!」
「え?」
「夫が死ぬ時は妻も死ぬ。当然のことではありませんか。もしアナタが戦地で果てるとすれば、わたくしも一緒に冥途に連れて行ってください!」
そう言えばそういう話だっけ?
いかん、即興が重なりすぎてどういう着地点に持ってけばいいかまったくわからない!
「わたくしのことを、そんなにも気遣ってくださるなんて……! わたくしとしては本心のところ、結婚早々離れ離れになるのが嫌で一緒に行きたかっただけなのに……!」
「そういう理由だったんですか!?」
「わたくし、アナタについていきます。アナタの傍にいられるなら形式などかまいません! たとえ結婚を先延ばしにしても、二人鴛鴦のごとく寄り添えればわたくしは幸せです!」
そうですか!
えーと、これどういうことになるんだ……?
クロユリ姫とは結婚を延期にして、しかも一緒にフェニーチェの拠点に連れていく。
彼女はシンマ王家の人間だし、交渉するとたらその存在は大きなものとなるけれど……、いや、今は政治向きの話は置いておこう。話がこんがらがりすぎる。
問題は、このお姫様が本気で僕のことを好きになろうとしていて、そのためなら戦地に赴くことすら辞さないということ。
僕は正直、王家の姻戚となって取り込まれるのが政治的に怖くてしょうがないけど。この人の真正面からの好意に一撃必殺されそうになっている。
少なくともクロユリ姫と一緒に死地へ赴くなら、この人だけは絶対に生きて返さなければと思ってしまうし、この人を悲しませないためにも自分も絶対生きて帰れねばと思ってしまう。
……絶対なんて戦場には絶対ないと言ってすぐさま口に出すとは。人間は本当に愚かな生き物だ。
「ではこれからわたくしも一介の武士となり、アナタと共に戦います! 結婚が延期になる以上、ユキムラ様……、ではなくユキムラ! アナタへの態度も、夫へのものではなく家臣へのものにしなければいけないわ!」
「御意」
「今宵アナタにすべてを捧げるつもりで、この閨に参りましたが、それもできなくなってしまいました。家臣であるアナタにとって、シンマ王家に連なるわたくしの命令は絶対! 従いますわね!?」
「無論です」
あまり無茶振りでなければ。
「では命令します、わたくしを抱きしめて!!」
…………。
……ん?
「……いやあの、結婚は一時お預けになるのでは?」
「本当にアナタがわたくしの指示に従うか、覚悟のほどを実際たしかめてみるのです! つべこべ言わずに抱きしめなさい、家臣にとって主家の命令は絶対よ!」
あまり無茶過ぎる命令をしては謀反を起こされますが。
まあ、暴君としては可愛い命令なので、ここは従っておくことにしよう。
……ギュッとな。
「ふわぁぁ……!!」
「ひえぇぇ……!!」
クロユリ姫の体、細い細い細い細い……!
女性の体って、男が想像もできないところがあちこちにあるよな。触れてみて初めてわかる。
クロユリ姫の細さ小ささ。そのクセ大きくあるべきところはしっかり大きい。
ああもう、ドキドキしてくるなあ……!
「それから、それから……! わたくしのことを『好き』って言いなさい! 耳元で囁いて!」
「大好きですよ姫」
「ふああああああああああッッ!?」
クロユリ姫が僕の腕の中で何かビクンビクンしだした!?
「な、何を勝手に『大』なんてつけているのよ!? まだ大きい刺激には慣れてないんですから! こっちの決めた匙加減を破らないで! でないと死ぬわよ!」
「死ぬんですか……!?」
「ああ、あと、わたくしだってアナタのことが大好き! なんですから!」
ええ……?
「あ、あのね……、わたくし、今日は本当にドキドキしながら、アナタの前まで来たのよ?」
「は、はあ……!」
「家のために嫁ぐ覚悟はできていたけれど、その相手がよりにもよって救国の英雄なんて……! 自分が、何かのお話の主人公になった気がしたわ」
そんな気持ちで僕に嫁ぐ準備していたの!?
もしかして嫌々な気持ちとかまったくない!?
「それなのにアナタは! わたくしと結婚させられることが迷惑みたいに! お父様によって引き合わされて、アナタが遠慮ぶった仕草をするたびに、わたくしの胸が張り裂けそうになったのを気づいていたの!?」
「えええええええ!? そうなんですか!? すみません、すみません!」
ひとしきり胸の中に蟠っていたものを吐き出し終えると、クロユリ姫は僕の腕の中で仔犬のように震えるのみだった。
本日三回目のクロユリ姫可愛い。
「いや、本当にすみません……。僕としては『王家に取り込まれるかも』という危機感の方が先に立って、姫の気持ちにまで思いが至りませんでした……!」
「いいの、アナタが思慮深い武人であるということは、今宵直接出会って、よくわかりました。……もう!」
えっ!?
何が『もう!』なんです!?
「強い上に理知的だなんて、益々わたくしを惚れさせる気!? どこまでわたくしをメロメロにすれば気が済むの!?」
「知りませんよ!? っていうか僕の方がアナタにメロメロにされそうなんですが!?」
これが王家の女か恐ろしい。
婚姻という社会的な約束事だけで飽き足らず、本当に愛情で僕のことをがんじがらめにする気か!?
クロユリ姫可愛い! 本日四回目!
「今すぐ結婚できないのは仕方ないけれど、結婚したらすぐ子どもを生むわ。お家の存続はもっとも大切な務め。一姫二太郎は欲しいわね。……でも、アナタが望むなら、もっと生むわ、たくさん生むわ」
「はあ……」
「安心して、わたくし安産型だから。今まではお尻が大きいってバカにされてる気分だったけれど、アナタと出会えて初めてこの大きなお尻が誇りに思えるわ」
さっきもそんなこと言っていましたね……!
露骨な主張やめてくれませんか。視線や手が自然とそっちに行っちゃうので!
「あと、わたくしは王家の女として度量を示すわ。側室は十人まで許して差し上げます」
「多い多い」
「でももちろん、正妻であるわたくしをもっとも可愛がってくださらないとダメなんですからね! 返事は!?」
「はい……! はい……! わかりました……!」
なんかもう、腹部をボコボコ殴られたかのように体が重くなって、彼女に従うより他なかった。
僕たちはいまだに抱き合っていたので、こんな至近距離から特大の恋愛を叩きつけられれば万夫不当の英傑だって瞬殺だわ。
「あー……」
「?」
「クロユリ姫って本当に可愛い……!!」
「ひゃわわわわわわわわわわぁぁぁーーーーッッッ!?!?!?」
本日五回目。
ついに肉声になった一言が、想像以上にクロユリ姫を大きく揺さぶった。
「ななななな、何を言い出すのよ!? わたくしがお姫様だからって、おべっかなんて使う必要ないんですからね! わたくしだって、その、アナタが軍艦を倒したお話を聞いて、凄くカッコいいとか思ったんだから!!」
「あ、ハイ」
「もっと喜びなさいよー! シンマ王族の姫が褒めてるのよ! 命令するわ! わたくしのこと大好きって言って! 凄く凄く大好きって言って!!」
いや、これが天然にしろ計算にしろ、男を蕩かす手管とするならシンマ王家百年の閨房術恐るべしということころだが。
政略結婚でシンマ王家に取り込まれるのが嫌と言いつつ、確実にクロユリ姫の愛情に取り込まれつつある僕だった。