135 シンマ城の暗劇
ユキマス陛下のご心配はよくわかる。
ある権力者の死は、その当人が目指していた政治思想の終焉を意味する。
次に代わる新権力者は、自分の価値を臣民に示すためにも前任者の施策をそっくりそのまま受け継ぐことはない。
その場合、先代が子飼いとしてきた優秀な臣下も、遺品諸共捨て去られることがよくある。
先の世にて全盛を誇りながら、王者の交代と共にあっさり凋落した能臣のなんと多いことか。
そしてその倣いを今生ユキマス陛下に当てはめれば、あの人と共に破滅を受け入れなければならないお気に入りの家臣と言えばズバリ僕。
元々あの人の鶴の一声で雷領領主までのし上がったようなものだからな、僕。
さらに今生ユキマス陛下のもっとも能動的な政策の一つこそ、異国フェニーチェとの交流が挙がるのは間違いない。
雷領における二国交流が始まって早七年。
それでもなおフェニーチェを夷狄と敵視する者は根強くいる。
そうした勢力が新君主を担いで大規模な政変を推し進めれば、雷領は僕諸共容易く歴史の藻屑に消え去るだろう。
ユキマス陛下はまさにそのことを気にしておられるのだ。
だからこそ自分の病気をいい機会と、僕を王城まで呼び寄せ事前の準備をしておけと。
本当に聡い御方だ。
見かけによらず。
「だとすれば、問題は次の天下様」
「左様、我が長男じゃ」
それは順当なところだ。
ユキマス陛下のあとを継ぐ太子はナオユキ殿下。
直接お会いしたことはないが、性実直でひたすら公正。妥協を嫌い他者との軋轢が多いと聞く。
「人の上に立つには少々真面目すぎるきらいでの。我を通すためだけにケンカすることもしょっちゅうじゃ。余のあとを継ぐには、そこが気になるところではあってのう」
和をもって成すのが王。
その王が率先してケンカをするような癖をもっては、その王が支配する国は常に乱れることになる。
「余はのう。あやつのそうした欠点を補う者こそおぬしであると思うておる。ナオユキがおぬしを大事にするか否かであやつが暗君となるか明君となるかが決まる。おぬしがアレを見捨てずにいてくれるというなら、余も安心して死ねるんじゃがのう」
またそういう縁起でもないことを。
ユキマス王はそうした老い先長くない素振りで相手を焦られて、自分から行動を起こさせる手法を思いついたのか?
などと考えていたら寝室の襖が開いて……。
「国王陛下。昼餉をお持ちいたしました」
「わーい。余、フェニーチェ伝来のオニオングラタンだーい好き!」
やっぱりまだまだ元気だこの人。
* * *
国王との謁見も済み、僕が移ったのは同じシンマ城内である控えの間だった。
しかもただの控えの間ではない。
ある一定の地位のある者だけがくつろぐことを許された控えの間だ。
その資格ある者は、領主。
つまり僕が入室した際既にそこにいる人たちは、すべてシンマ王国内の領主。つまり四天王家の当主たちだった。
「このノロマがァーッ!!」
僕が部屋に入った途端、誰かが誰かに殴られていた。
殴られた方の顔には見覚えがある。
彼こそ我が雷領で剣術道場を開いて道場主となったヤマウチ=タチカゼ。
領運営においても今や領主である僕の右腕的存在と成った彼ではないか。
そんなタチカゼを殴りつけているオッサンは、どことなくタチカゼと面影が共通している。
「父上! お懐かしゅうございます!!」
タチカゼが殴られながら言った。
やっぱりタチカゼのお父様だったか。
つまりシンマ王国にある風領が領主ヤマウチ=ナツカゼ公。
僕がこれを見るのは何気に初めて。
「タチカゼえッ! どのツラ下げてワシの前に現れたあッ!?」
と血を分けた実の息子であるタチカゼに怒鳴り散らしている。
タチカゼはまだ本家からの勘当が解けていないからな。
鉢合わせすればああなるのは当然か。
「父上、いまだ勘当を解かれておらぬにも拘らず、父上の御前にまかりこしたるは不覚の極み。伏してお詫び申し上げます」
畳に額を叩きつけるタチカゼ。
「しかしながら主君ユキマス陛下の不予と聞き、このタチカゼ臣下として居ても立ってもおられず、雷領主ユキムラに同道して参ってしまいました。無論父上に合わせる顔がないのは百も承知ゆえ、できるだけお目に留まらぬようにと心得ておりましたが……」
「言いわけが長い!」
「ぐほッ!?」
また殴られた。
「それでもヤマウチ家の男かタチカゼ!? 我がヤマウチ家のモットーは!?」
「はッ! 『疾きこと風の如し』!!」
「そうだ! にも拘らず貴様は、ワシの傍までノコノコ参りながら挨拶もせずにグズグズしおって! 挙句言いわけをダラダラと! そんなグダグダ具合でヤマウチ家の疾さを体得できると思っておるのか!?」
怒るところそこなんですか?
「父上の仰る通り! どうかお許しくだされ!」
「許す!」
許すの早い!
さすが『疾きこと風の如し』のヤマウチ家。
「それでは父上、ご挨拶のついでと言っては何ですが、是非お引き合わせしたい者が……!」
「遅ーい!」
「あぼぉッ!?」
息子を何回殴れば気が済むんですお父さん?
「疾きヤマウチ家の男がいちいちお伺いを立てるな! 会わせたい者がおるならさっさと会わせんかあ!」
「承知いたしました! それでは……!」
タチカゼが合図すると、向こうの襖がサッと開いて入室してくる金髪爆乳のフェニーチェ人。
あと十歳以下の幼児数名。
「マイダディ! 初めましてデース!」
「グランパー」
「グランパー」
「お爺様!」
子どもは全部で三名。
全員、タチカゼがジュディを孕ませて生まれた子たちだ。
ヤツらが結ばれて家庭を築くのは、僕より断然早かった。
さすが『疾きこと風の如し』のヤマウチ家。
しかも連続で拵えやがるし。
「勘当中の身とはいえ父上に無断で所帯を持ち、しかも相手が異国生まれの女ということで由緒あるヤマウチ家より見れば難色もありましょうが。妻も子もそれがしの愛する家族にござる! 勘当を解きたまえとは申しませぬ! せめて我が子らに孫として接してやってはくださりませぬか」
「だから言いわけが長ーい!」
「ぐばほぉッ!?」
殴り飛ばされるタチカゼ。
そしてタチカゼという仕切りが消えたあとに直接対面する、ヤマウチ家当主ナツカゼ公と子どもたち。
血縁的にはまさしく孫と祖父になるのだが、見上げる子どもたちの無垢な目に、ナツカゼ公の風神のごとき形相はトロリと蕩けた。
「許す」
「早っ」
「タチカゼ、貴様の勘当も解く! この可愛い孫たちを生み出した褒美じゃ! 嫁殿もよく頑張って生んでくれた!」
「マイダディ、センキューデース!」
まとまるのも輪を掛けて早かった。
と言うかタチカゼ、最初からこうなることを狙ってただろう。
そうでなければユキマス王の不予に臣下として駆けつけるという口実で、フェニーチェ人の妻子まで連れてくる必然性はないもの。
これを機に可愛い孫と対面させ、情に訴えて勘当を解かせる作戦は見事成功したのだ。
「ナツカゼ公も、彼を許す機会を窺っていんした」
と、いつの間にか僕の隣に豪華な装いの女性が立っていた。
誰?
年齢は四十をとっくに越えたような印象だが、そうとは思えぬ美人顔。
しかも彼女の醸し出す気配。油のようにねっとりしながら、何かのきっかけで包み込む者を丸焼けにしそうな感じ。
どこかで覚えが……。
「お初にお目にかかりんす。火領主モウリ=レッカと申しんす」
「ああ」
つまりあのカエン嬢のお母さん。
彼女の気配に受けた既視感は、カエンのものだったか。
「カエンは今回来てないんですよ……。マルヤマ遊郭の運営の方が大事だって言って」
「アナタさんのシマで営ませてもらっていますマルヤマ遊郭の収益は、今やシンマ国内にあるどの遊郭よりも抜きんでてありんす。元締めであるあちきとしても大変助かっていんす」
娘さんへの言及は一切なしですか。
興味がないのか、信頼しているのか。はたまた。
「今となっては雷領は、この国の材を支える重要な柱石。そこに関わることができず風領は、このままでは世の流れに取り残されるところでいんした。それだけに雷領との唯一の繋がりであるタチカゼさんの勘当を一刻も早く解いておきたいところだったんでしょう」
「その帰結がこの茶番劇であると?」
ナツカゼ公は、既に大甘のおじいちゃん顔で、半分はフェニーチェの血が流れる孫たちに頬ずりしていた。
ちょっと度が過ぎるぞと窘めに入るタチカゼをまた殴り飛ばしている。
「ユキムラ公。お初にお目にかかる」
さらに実直そうなおっさんが僕に声を掛けてきた。
「山領領主カトウ=ドウサンにござる」
アナタが……!
やまくまことカトウ=サンゴのお父さん。
「娘が押しかけ同然にお世話になりながら、今日まで直接会って詫びもできず失礼いたした。それだけでなく雷領からは娘を通していくつもの特産品を取引いただき……」
「いえいえ、山領の特産品はフェニーチェの人たちからも好評ですから」
「アナタ方のおかげで、我が山領は破産の危機より立ち直ることができました。重ねてお礼申し上げたい」
それはよかった。
財政悪化する山領を立て直すことこそ、サンゴがやまくまの着ぐるみを着て雷領で踊り狂っている理由だからな。
ちなみにそのサンゴは、来訪から七年経った今でもやまくまの着ぐるみを脱がず、フェニーチェワールドを間借りして毎日のようにパフォーマンスを行っている。
今ではやまくまを目当てに本家フェニーチェから観光客が訪れるほどになって、我が雷領としても重要な存在となっていた。
ただ、中身のサンゴも今や齢二十歳を過ぎ、着ぐるみ越しでもその所作に色気が出てきたと気づくファンは気づき始める。
今ではフェニーチェ・ドードーの着ぐるみを脱いでスーツアクター指導係に回っているレイオンも、何か対策をと考えているようだ。
「とにかくウチも、ドウサンさんのところも、ナツカゼさんのところも、アナタさんの領には大変な利益を受けていんす」
「これからも末永く誼を結ばせていただけますよう」
領主二人から代わる代わる手を取られた。
これはよい傾向だった。
シンマ国内にて王に次ぐ権力者、四天王家の当主たちが利益の観点から僕らの味方に付いてくれるということ。
ユキマス王からあんな話を聞いた直後なだけに、勇気づけられる。
「ところでユキムラ公。もしよろしければ、これから人に会ってみぬか?」
「人?」
もちろんユキマス王に別段異常がなかったからとはいえ、急いで雷領に帰る理由はない。
久々に王都へ戻ってきた手前、色々と見ておきたくなるものだが。
「是非とも会っておくべき人だ。何しろ次の支配者となる人だからな」
「それは……!」
領主たちが会談を進める相手は、ある意味で予想通りというか必然的な人だった。
シンマ王国太子ヤスユキ殿下。