119 中の人:鳥編
オレの名はレイオン=オルシーニ。
しかしその名はもう存在しないことになっている、とうの昔に消え去った名だ。
今のオレには別の名前がある。
フェニーチェ・ドードー。
それが今のオレの名であり、生まれと共に魔法神から頂いた『レイオン』の名、祖先より受け継いできた『オルシーニ』の姓を失ったオレにとって本当の名前。
オレがフェニーチェ本国で生まれた頃からマジックワールドは既にあり、フェニーチェ・ドードーも普通の子ども並みに見知っていたが、まさか大人になって自分自身がフェニーチェ・ドードーになるとは夢にも思っていなかった。
しかも祖国フェニーチェから遠く離れた異国で。
こんなこと、一年前のオレ自身も想像すらできなかっただろう。
* * *
「おつかれー」
「お疲れ様だヨ!」
今日もシンマ・マジックワールドの業務はすべて終了した。
閉園後のミーティングも済ませ、スタッフたちは一個人に戻り思い思いのプライベートを過ごす。
「ふう……」
このオレ――、レイオン=オルシーニも、今や体の一部と言っていいフェニーチェ・ドードーの着ぐるみを脱いで、中身を外に晒す。
フェニーチェと比べてやたらと湿度の高いこの国は、外気に触れても別段涼しいとういう感覚は味わえない。
「レイオン。お前相変わらず素顔になると目つき怖いなあ」
と尋ねてきたのは、隣でオレと同じように着ぐるみを脱ぐ仕事仲間だった。
フェニーチェ・ドードーの相棒マルコダック役を演じる彼とは、オレがスーツアクターをやるという数奇な運命に見舞われてからの付き合いだ。
「そんな怖い面構えしてたら、着ぐるみ越しじゃないと子どももママさんも寄り付かねえよなあ。そりゃスーツアクターしか働き口ないわ。マジックワールドじゃよ」
「うるさい。スーツアクターは着ている着ぐるみの方が主役なんだよ。大事なのは見てくれで、中身なんかどうでもいいんだ」
それは今のオレにとって救いでもあった。
「はいはい。……ところでレイオン、今日はこれからどうするんだ?」
「これから?」
「お前って明日はオフだろ。だったら今夜はハメ外し放題じゃねーか。せっかく外国まで来たんだしよ。観光地でも巡ってみようぜ」
「………………」
オレと違って、最初からマジックワールドで夢を与えることを目指していた仕事仲間は、こんな地の果ての異国まで送り込まれた事実を前にしてもまったく悲観はない。
むしろ新天地ゆえに、この若さでは絶対に任されないであろうメインマスコット役に抜擢された喜びでいっぱいのようだ。
「……観光と言っても、この国は決められた範囲にしかフェニーチェ人の逗留は許されてないんだろ? こんな開発途上の新興都市で、見れるものなどどれだけあるというんだよ?」
「それが、あるんだよ! オレたち男にとっては夢のようなパラダイスが!」
「……」
それは、オレも噂だけには聞いているマルヤマユウカクとか言うところか?
このマジックワールドでも、主に男性スタッフのみの間で話題もちきりとなっている。
「勤務時間外をどう過ごすかは、それぞれの自由だけどな。あまり入れ込み過ぎて子供の夢を壊すようなことはするなよ?」
「わかってるよ。レイオンさんは真面目なんだから。それじゃあドードーのパフォーマンスまでお堅くなっちまうぜ?」
「コールガールの香水プンプンする体で着ぐるみ着るよりはマシさ」
かといって人のお楽しみを強いて止めるほどクソ真面目にはなれない。
肩をウキウキさせながら色町へと繰り出していく仕事仲間を見送って、オレは一人、マジックワールド備え付けのレッスン場に残った。
フェニーチェ・ドードーの仕草や振り付けを、もう一度チェックするためだ。
オレはまだまだ、マジックワールドのスーツアクターに伝わるフェニーチェ・ドードーの演技メニューをすべてマスターしていない。
それもそうだ、フェニーチェ・ドードーのスーツアクターになったのはオレ自身の意思じゃない。
オレ自身想像もできないような珍事によって突発的にさせられたのだ。
レーザ=ボルジア=フェニーチェ。
すべてはあの『凛冽の獅子』。この時代を代表する軍事的天才の気まぐれによって引き起こされたことだった。
* * *
オレの名はレイオン=オルシーニ。
かつては『金剛騎』レイオンとも呼ばれていた。
フェニーチェに数多くある下級貴族の次男坊。そんな食い詰めの立場から他に選択の余地もなく選んだ傭兵の道。
幸運と言うべきか、オレには魔法を戦いに応用する才能があり、山賊退治やら小領同士の小競り合いで多くの手柄を得たオレは、気づいた時には歴戦の傭兵隊長へと登り詰めていた。
大貴族様からも信頼をもってお呼びがかかり、何人もの名将の下、重大な局面で魔法を振るうことができた。
『金剛騎』の二つ名もその時に得たものだ。
一時に百人以上の傭兵を率い、戦えば必ず勝ち、雇い主からは手放しの賞賛を受ける。
戦場に『金剛騎』の名が挙がれば敵兵は震えあがって逃げ出し、味方は湧き立って士気を上げた。
オレの名はフェニーチェ中に轟くようになり、大貴族の行う戦略会議にも出席し、意見を述べることを許されるまでになった。
下級貴族出身としては、位人臣を極めた、と言っていいだろう。
実際、オレの貴族傭兵としての人生はそこまでが頂点だった。
あの政治的怪物、軍事的大神とも言えるレーザ=ボルジアにぶつかることによって、オレの上昇は阻まれた。
* * *
そもそも、本来オレとあの人はぶつかるべき位置関係にはいなかった。
その時オレが仕えていた大貴族は、元々オレが生まれた弱小貴族の家の主人格に当たる派閥の長。
オレがその家に仕えるようになったのは、当然出自の関係から。
外で響き渡るようになった我が勇名が、故郷の家族の耳にまで入り、乞われて戻り、主人たる大貴族への奉公となった。
家を継ぐ資格もない次男坊として冷や飯ぐらいの扱いだったのが、出世した途端調子がいいと言えるだろう。
しかしオレはあの当時、生家の名の下にフェニーチェ指折りの名家に仕官できることが、故郷に錦を飾れたようでただただ嬉しかった。
自分にここまで、生家に対する忠義や孝悌の心があったのかと自分自身に驚いたくらいだ。
ともかくも大貴族と言う最高の雇い主を得て、オレの傭兵人生は経済的にも絶頂を迎えたと言っていい。
転機を迎えたのは、フェニーチェ全体に関わる一つの変化によってだった。
フェニーチェ法王が代替わりをしたのだ。
老いた前法王を半ば強制的に引退させ、新たな法王の座に就いたのはアレクサンド十三世。
その俗名は、これまで聞いたこともない木っ端枢機卿だった。
その程度の弱小候補が、何故数ある本命を押しのけて新法王の座に就いたのか?
その珍事は、当時の貴族社交界を吹き荒れて話題一色となった。
ともかくフェニーチェ貴族たちは選択を迫られた。
新しい成り上がり法王に忠誠を誓うか、異議を唱えて反発するか。
当時オレが仕えていた大貴族は、当然答えを出さなければいけない立場にあった。家名の大きさ、存在感から言っても、態度不明瞭のまま保留にしておくことはできない。
結局、我が主は従うことを選んだ。
わざわざ法王庁に出向いて新法王に直接跪き、法王庁への変わらぬ忠節と親交を、魔法神の前に誓った。
実のところ、そうするように強く進言したのはオレだった。
誰もが新法王の、聞いたこともない家名、土台もない権力体勢の弱さに侮りを持っていた。
しかし違う。
新法王の真の恐ろしさは、もっと別のところにある。
法王と言う大看板の陰に隠れてわかりづらいが、それを逆手にとって暗躍し、今や強固な権力体勢を音もなく確立しようとしている一人の天才。
レーザ=ボルジア。
新法王の息子にして、その立場を最大限利用して力を蓄え集めるあの若獅子こそ、注意してしかるべき真実だった。
その真実を見抜けたのは、あの当時あの陣営でオレだけだった。
貴族社会で安穏と暮らしてきた将軍さまや参謀さまと違い、終始戦場の最前線で生き死にをくぐり抜けてきた直感が知らせてくれたのだろうか。
我が主はオレの進言を用い、法王本人だけでなくレーザ=ボルジアへの警戒もしっかり備えるという目論見から、法王庁新体制への忠誠を誓った。
しっかりと誓書を交わし、法王庁に人質を送るというこの上ない実証をもって。法王本人だけでなく誰もが、オレの所属する大貴族派閥と法王庁の密接な協力関係を疑いはしなかったろう。
間違いは、そこから起った。