105 獅子は去る
こうしてマルヤマ遊郭は、雷領の一施設として定着していくことになった。
元々、遊郭自体が必要だという話は最初からあったし。世界で最初の職業とか言われるだけあって、営業したら普通に盛況だ。
そこから上がる利益の一部は雷領にも収められて財政的にも大助かり。
マルヤマ遊郭とカエンは、すぐさま雷領を支える重鎮の一人にまで伸し上がってしまった。
当初、遊郭を毛嫌いしていたクロユリ姫、ルクレシェアたち女性陣にも何とか理解を得ていき、雷領は少しずつ完成へと近づきつつある。
……手応えを、手ごたえを感じる。
* * *
こうして紆余曲折を経て、ようやくレーザがフェニーチェへと帰ることになった。
「はあ、やっと帰ってくれるバカ兄……!」
「何やかんや言って長かったわねえ」
ドッと疲れているルクレシェアを、クロユリ姫が慰めていた。
まあ、ついに帰ってくれるということで最後は後腐れないように見送りには出ることにした。
出発を間近に控えたモナド動力艦。行き先は当然フェニーチェ本国。
これからはこの大きさの船が、忙しなくシンマ、フェニーチェ艦を往復することになるのだろう。
「では、ひとまずさらばだ」
レーザから握手を求められたので、仕方なく応える。
この男には雷領に乗り込んできてからずっと振り回されてきたような印象ばかりだが、それで関係が近しくなったように思えるのだから、恐ろしい男だ。
「フェニーチェに戻れば早速交流事業の促進を父に進言するつもりだ。人員情報だけでなく、物品や金銭も往来させ、雷領と富ませてやろう」
「そうすればアナタの本当の目的も紛れて気づかれにくくなるからな……」
フェニーチェがシンマと交流を行う本当の目的。
それはシンマの『命剣』を研究して、フェニーチェにおいて枯渇の兆しが見えている魔力の新たな供給源を確立させること。
その核心を知っている者はシンマ、フェニーチェ双方においてごくごく限られている。
「その点、カエンにはもう言っているのか?」
一応気になって声を潜めて尋ねてみた。
「バカか、そんなことするわけなかろうに」
と意外なようで納得の答えが返ってきた。
「あの情報は、扱い次第で我がフェニーチェを壊滅させることすらできるのだぞ。お前に明かしたのだって相当な覚悟の上だとわかっているだろう」
ハイ、わかっております。
だからこそ僕はレーザの意を汲んでタチカゼにすら事実を告げていない。
「ましてレディ・カエンは擬態と言えどもまだお前たちの政敵と繋がりを持っているのだ。たとえ全幅の信頼を寄せられるとしても話すことは出来ん」
この点レーザのヤツは本当にしっかりしている。
普通なら、自分の愛妾にこそ自慢交じりに機密すら漏らしてしまう要人が多く、それ専門の間者までいたりするというのに。
レーザの冷徹さは、何枚か皮をむいたぐらいでなければ露出しないところが恐ろしい。
「レーザ様」
そして当のカエンも、遊郭での職務を一時休んで見送りに訪れていた。
レーザは、マルヤマ遊郭にとっても上顧客だったので、後々のために気配りはしておくのだろう。
「ぬしさまがお国へ帰られますと寂しくなるでありんす。我がマルヤマ遊郭も、火が消えたようになりんしょう」
「レディ・カエン。余もアナタとしばらく会えなくなるのは非常に辛い。我が身を引き裂かれるかのようだ。……そこで!」
!?
レーザがいきなりカエンを体ごと抱き寄せた!?
「どうだろうか? このまま一緒にフェニーチェに渡らないか? アナタほどのレディならばフェニーチェ社交界でもすぐさま中心で咲き誇ることが出来よう」
「あらあら、それは困るでありんす。私にはマルヤマ遊郭を切り盛りするという……」
「アナタの夢のことは理解している。しかし今国外へと飛び出して見聞を広めることは、これからのアナタに必ずプラスとなるはずだ! アナタはシンマの内だけに留まらず、世界を代表する貴婦人になれる!!」
「でも……!」
「どうか断らないでいただきたい! 余の妻として、共に世界へ!!」
おい。
あのバカ兄ドサクサに紛れて凄いこと口走ったぞ。
「ああやって、大袈裟な情報に紛れ込ませながら勢いで押し切るのが兄上の常套手段なのだ……! あれで我が義姉を何人増やしたことか……!」
ああ、常習犯なのですね。
それを受けて、こちらも遊女のイロハを極めて、困った客のあしらい方も完璧なはずのカエンはどう返すか?
「申し合わけありません。私は、ぬしさまとは一緒になれんでありんす」
「何故だ! 余はこんなにもアナタを愛しているというのに!」
よくまああんな歯の浮くセリフを躊躇いもなく吐けるものだ。
どうしたものか。
出港も迫っているからさっさと船に乗ってくれないかなと思っていたところへ。
「あのぅ……!」
同じく見送りに参列していたタチカゼが口を挟んだ。
「盛り上がっているところ申し訳ないが、カエンと結婚するのは絶対に無理だぞ」
「何だと!? お前余計な口を挟むな! 童貞だから余が幸せになるのを僻んでいるのか」
その場で殺し合いになってもおかしくない暴言を吐かれるも、タチカゼがグッとこらえて大人だ。
「……以前、それがしとソイツが許嫁の関係になりかけたという話はしただろう。その時我が父が、向こうのモウリ家当主から教えられたのだ」
モウリ家当主。
つまりカエンのお父さんか。
ちなみにタチカゼのお父さんが風領領主のヤマウチ家当主ね。
「モウリ家の子息は、火領の主要産業たる遊郭を率いるため、遊女の作法を一から叩きこまれる。だからこそ、そこのカエンもモウリ家の一員でありながら太夫となるまでに遊女であることを極めているのだが……」
「おう、だからこそこのレーザが惚れるほどのいい女なのではないか」
「女だけではない」
「え?」
女だけではない?
どういうこと?
「モウリ家では、男女の区別なく遊女修行を叩きこまれるのだ。モウリ家に生まれた男児は、幼少の頃はあえて姫君の装束を着せられ、遊女としての心得を教え込まれる。すべては、遊郭の主となった時に、みずから率いる遊女たちの心をしっかりと掴むために」
え?
じゃあすると……!?
ここにいるカエンさんって……!?
「我が父が、それがしとカエンとの婚約を先方に申し込んで、断られた理由がだな……!?」
* * *
こうしてレーザはフェニーチェへの帰国の途に就いた。
最後には真っ白に燃え尽きたまま、配下たちによって船内に運び込まれて出港。
なんとも世知辛い別れとなってしまった。
「また来てくださるとよいでありんすが」
とカエンさん……、カエンくん? 水平線へと近づきつつあるフェニーチェ船を面白げに見送っていた。
その立ち姿も柳のような腰つきで、何処からどう見ても女性なんだが。
「まさかあの時の言い逃れが、今になってまた功を奏するなんて思わなかったでありんす」
「え?」
タチカゼは、何やら上機嫌のジュディに抱きつかれながら、自分の仕事に戻っていった。
ここ最近では一番上機嫌にだったジュディが何故唐突に機嫌よくなったのか、まあ察せないわけでもなかったが、ついでにクロユリ姫とルクレシェアも機嫌よくなって、港に来たついでに夕食用の魚を買おうと漁師との交渉に行ってしまった。
そんなわけで今、カエンくん? と二人きり?
衝撃の事実が判明するまでは絶対こんな状況許されなかったろうな。
「モウリ家が男女問わず遊女の作法を叩きこむというのは事実でありんす。私の兄たちも、元服まではお姫様の格好をさせられていたでありんす」
「え?」
「まあ、迷惑な縁談を断るのにちょうどいい方便でありんすよ。タチカゼさんはいい御方でありんすけれど、ヤマウチ家の四男ということで冷遇されていたでありんすし」
え? いやちょっと待って!?
「じゃあ待ってカエンさん? カエンくん? ……、は結局どっちなんですか!?」
「モウリ家の中でも、当人が好めば元服過ぎても乙女の格好をする者もいたそうでありんす。……いえ、今この時もいるかもしれないでありんすね?」
「だから!」
「もしもぬしさんに真実をたしかめる度胸がありんしたら。私の臥所を訪ねてくればよいでありんす。ぬしさんであれば喜んで褥にお迎えいたしんす」
どこまでも妖しいモウリ=カエン。
やっぱり彼女を無条件に信頼することは出来なさそうだ。
「でもしばらくは、皆さんが優しくしてくれることでありんすし、性別不明のままでもいいかもしれぬでありんす。