104 女太夫の腸
「そもそも私の目的はもう達せられているでありんす」
「え?」
「自分自身の遊郭を持つこと。自分だけの遊郭の長となり、自分の才覚で遊郭を切り盛りしていくこと。それだけでありんす」
それがカエンの望みだという。
「え? 本当にそれだけ?」
「あい」
カエンは深く深く頷いた。
「この雷領にマルヤマ遊郭を築かせていただき、その長になれたことで私の目的は充分に達せられたのでありんす。それは私の、遊女の道を目指し始めた時からの夢でありんす」
「はあ……」
一国一城の主。
ということか?
そりゃあ一つの道を究めようとする者なら誰でも夢見ることではあるし、それが遊女の道となれば、遊郭の主こそがその目標点なのかもしれないけれど……。
「我が実家火領のシマバラ遊郭。シンマ王都にあるヨシワラ遊郭など。シンマ国内には各地にいくつもの遊郭が出来ているでありんすが。それらには皆モウリ家の兄や姉たちが牛耳って、若輩の私など入る余地がないでありんす」
それだけモウリ家が遊郭を全国展開していて、その管理者に一族を派遣しているという手広さに恐ろしさを感じるんだけど。
「私のような年少者が遊郭の頂点に立つためには、そうした先輩どもが歳をとって引退するのをずっと待たねばならない。下手をすれば二十年、三十年とかかってしまうでありんす」
「ん、まあ、席の数が決まっているなら、空くのを待つ以外方法がないし……」
「それ以外の方法があるとしたら、新しい席を作ることでありんす。一刻も早く遊郭の主になりたい私にとって、雷領の立ち上げはまさに福音でありんした」
新しい領ができれば、そこへ向けてモウリ家も家業を拡大しようとするのは自然なことだ。
「私は嫌でありんす。私は今十七、もっとも成長著しく、もっとも多くを覚えることのできる時期にありんす。そんな大事な時期を、ただ老輩どもが席から去っていくのをジッと待っているだけで過ごすなど、我慢できぬでありんす!!」
「落ち着いて! カエンさん落ち付いて……!」
こんなに熱くなるカエンさん初めて見た。
「なので私は、雷領に新たな遊郭を建てるという話をみずから進めたでありんす。そして無事、このマルヤマ遊郭を建て、その長になることができたでありんす。ここは私の城、私の本拠、私の宝でありんす!」
なので……!
「このマルヤマ遊郭を得た今、私が望むのはいかにしてこの宝を維持していくかということ。マルヤマ遊郭の主という座を守ることが今の私のすべてでありんす」
「つまり、だから……」
レーザのヤツが口を挟んできた。
「アナタをここへ送り込んだ者の意図は、今やアナタにとってどうでもいいと?」
「あい」
平然と頷くカエンさん。
「私を裏で操っていた者の意図は、遊郭を建てることで雷領の風紀を乱し、領主たるユキムラさんを誘惑すること。私は火領の代表者としてそれに協力したでありんす」
協力したフリをして……。
「まんまとマルヤマ遊郭を建てる許可を得たでありんす。ただ新しい遊郭を建てて、主の座を狙うなら、それでも多くの競争相手と競わねばならなかったでありんすが、あの方に取り入ることで鶴の一声を得たでありんすよ」
「いや、だからあの方って結局誰なんです……?」
聞いちゃいけないんだっけ、もどかしいなあ。
「我が夢の具現、マルヤマ遊郭を守り維持していくことこそ今の我が望み。そのためには雷領に潰れてもらっては困るでありんす」
母体である雷領が潰れたら、一緒にマルヤマ遊郭も潰れていくしかないからなあ。
「だから、レーザを暗殺しようとする凶族たちを阻止したと?」
「同時に、ハンジロウどもの裏にいるあの方に、私が裏切ったとバレても困るでありんす。あの方なら、役に立たないとわかった私の首を飛ばして、別の者を遊郭主に据えるなどわけない権力をお持ちでありんす」
だから色々ややこしい手続きを踏んで、自分の影を消しながら僕たちを助けてくれたと。
「ややこしい立場に身を置いていますね」
「これも若輩の身で、一遊郭の主となるためのたゆまぬ努力でありんす。それでユキムラさん。私のこの言い訳……」
……納得してくれましたか?
とカエンは真っ直ぐに押し迫った。
これまで柳の葉のように掴みどころのなかったカエン嬢の、直球真情。
「……わかりました、アナタを信じましょう」
と言わざるを得なかった。
「アナタの説明には筋が通っているように感じられるし、どちらにしろアナタにとってもっとも大事な遊郭は僕の手の内にある」
僕が領主を務める雷領の中に。
「一体何者が僕の雷領にちょっかい出そうとしているのか知らないが、そんなヤツと繋がりがある人物を手元に置いておくというのも後々何かの役に立ちそうだ」
当然、利用しているつもりでまんまと利用されているということも起こりそうだが、騙される覚悟もなく人を騙そうとするのは不義理の領域だろう。
「モウリ=カエン。アナタに引き続き、雷領でのマルヤマ遊郭の運営を一任します。反フェニーチェ派には、これまでと変わらずアナタが密偵であるように装って」
「あい」
「人によって意見は違うでしょうが。やはり僕は遊郭という施設は社会にとっても、人間の本能にとってしても必要だと思う。そちらの面からアナタにも、この雷領を支えてほしい」
「喜んで」
短く答えるカエンには、これまでにない信を置ける気がした。
たとえされが錯覚だったとしても、裏切ってくれば斬ればいいだけで、いざというときの対処が決まっていれば何も恐れることはない。
「自立して、みずからの目標に直向きな女性は美しい! ということだな!!」
レーザのヤツが、一人で満足げに言った。
「いいではないか。レディ・カエンは夢を叶えて、ユキムラもその恩恵で雷領をつつがなく治められる。WinWinの関係というヤツだ!」
何がウィンウィンしているのかわからないが。
今回はこの異人にまんまとしてやられたなという気分もある。
最初色に狂わされたとばかり思わせながら、完璧に自体の概要を見抜いて、自分が果たすべき役割を演じきったからなあ。
『酒と女は酔ってこそ楽しい』と言っていたが。
本当に酒に女にも惑わされない人間は、どんなに酔っていても必要な時に酔いから醒められる人間を言うのだろう。
最初から酔うことを拒絶するのではなく。
ここに来てついに、レーザの『凛冽の獅子』と呼ばれるに値する冷徹さを見れた気がしたのだった。