99 心の焦土
「……いや、いやいやいやいや……!」
いくらなんでもそれは大袈裟すぎるでしょう。
タチカゼったらいついかなる時も物事を深刻にとらえすぎなんだよ。ハゲるぞ。
「たしかに火領を支配するモウリ家は、自領内に遊女の養成所を作って、他の領に輸出しまくっている。質がいいので位の高い人の側室の抱えられやすい。そうなれば他領の政治にも影響を与えることができるだろう」
火領はそれを組織単位で行って、シンマ全国に遊女による情報網を形成したとしても……。
……。
「あれこれ物凄くヤバい?」
「そしてこの未開拓の地である雷領にも、ヤツらは即座に侵略の手を伸ばしてきたということだ! 雷領は異国フェニーチェとの交流を目的とした外交特区! 上手くすれば国外進出すら可能かもしれない!」
そして実際ヤツらは、フェニーチェの最高権力者の一人であるレーザを見事に陥落してしまった。
「次に行くときは投扇興で全勝したい」
「投扇興!? なにそれ!?」
よくわからない芸者遊びで高得点を取ろうと燃えているレーザ。
もうダメだコイツ。
早く何とかしないと。
「レーザの野郎、あそこまで大口叩いておきながら全然役に立たねえじゃねえか……! むしろ危機を拡大しているし……!」
「うむ、レーザが骨抜きにされて、カエンの思う通りに動かされるようになったら、シンマ、フェニーチェ交流事業の根本的危機だ。友好をブチ壊すことも、交流によって生じる利益を残さず火領が吸い上げることもできるかもしれん」
大体タチカゼ……!
「こんなことを予想できるんだったら、何でもっと早く忠告してくれなかったんだよ! 雷領に遊郭を建てる前だったらいくらでも止めようがあったのに!!」
「なあッ!? それを今言うか!? だから結局、雷領に遊郭を建てるのは不可避だって言ったではないか!!」
タチカゼは声を張り上げ反論する。
「それがしは、お前ならカエンの染み込む侵略を何とかできるのではないかと思ったのだ! それがしが挑んだ時だって圧倒的な実力差を見せつけてきたではないか」
「あの時と今とじゃ状況が違うだろう!?」
タチカゼの時は腕っぷしで何とか出来た時!
今のカエンは、腕っぷしじゃどうにもならないだろう!?
「くっそ、結局お前は荒事じゃないと役に立たないということか! 期待したそれがしがバカだったわ!」
「勝手に期待しといて失望してんじゃねえ!」
とにかく、今はどうにかして被害を最小限に止めることが肝要だ。
「問題なコイツだな……!」
「そうコイツ……!」
カエンのことを女誑しの技術で籠絡すると豪語しておきながら、自分が見事に籠絡された稀代のアホ、レーザだ。
「コイツはこのまま船に放り込んでフェニーチェに帰すのが最善だと思う。どうだ?」
「同感だな。シンマからフェニーチェと物理的な距離が開ければ、遊郭通いもできなくなる。そうでもしなければ金がある限りカエンの下へ通い続けるぞ!」
元々コイツは、フェニーチェ軍事部門の最高指揮官なのにいつまでシンマにいるの? と言われていたから、ちょうどいい機会だと思えばいい。
今こそフェニーチェに帰れ。
「やだー! やだやだー!」
そんな僕たちの意図を察してレーザは急激に拒否しだした。
「余はまだレディ・カエンとベッドを共にしていないどころか、手も握れていないんだぞ! そんな中途半端に投げ出してフェニーチェに帰れるか!」
だから手も握らせてもらえない時点でカモられてるって悟れよ!
「ここまで来たらあとには引けん! 余は必ずレディ・カエンの純潔を我が物とする! そのためにはまず彼女に粋と認めてもらわなければ!」
「その未練がましさが既に粋じゃないんだよ!!」
少しは身を引くということを知れ!
「……このレーザ=ボルジア。恋の駆け引きにおいて敗北したことは一度もない。この異国シンマでも、必ず勝って恋の武勇伝を祖国へと持ち帰るのだ! エキゾチックな黒髪のレディ! そんな彼女との情熱的な一夜! 仲間内でも自慢できる!!」
「コイツ最低だ!!」
「まあ見ていろ。もう少し、もう少しだ! もう少しでレディ・カエンも余のワイルドな魅力に気づいてくることだろう。そしたら一気だぞ! 気高く傲慢な女性がプライドを捨てて男に媚びる様はギャップがとてもたまらないとは思わないか!?」
だからそういうこと自体起こりようがないんだよ!
いい加減現実を直視しろ!
結局、モウリ=カエンの確たる目的がわからぬまま、僕たちは右往左往。
そんな僕らの狂態をクロユリ姫、ルクレシェア、ジュディの女性陣は心底呆れた瞳で持って眺めているのであった。
* * *
一方その頃。
雷領の片隅に作られたマルヤマ遊郭のそのまた一画。
一際豪勢な妓楼の最上階で、モウリ=カエンがたった一人で甘酒をちびちびと舐めていた。
「ふふふ……」
その口元には、誰かの前にいる時にはけっして浮かべない微笑が浮かんでいた。
幼いころからモウリ家の事業を受け継ぐ者として、すべての遊女を扱う者として自分自身も遊女のイロハを叩きこまれたカエンにとって、感情を制御することはもっとも基本的なことだった。
感情を表に出さず、思わせぶりな態度を取ることで男を期待させ思う通りに操る。
安心させず。
失望もさせず。
ただひたすら期待だけをさせて、相手から自分へ様々なものを貢がせる。
物品、金銭、心。そして命までも……。
雷領の地で、それらの手管は実に上手く行っている。
元々標的としていた獲物はかからなかったが……。
「別の獲物が釣れたようだな」
一人を楽しんでいたはずの居室に、何者か別の声が入って来た。
誰も入れぬよう言っておいたはずなのに……。と、カエンは思わず漏れそうになった舌打ちを、モウリ家の教えによって何とか飲み込む。
「……アンタでありんすか。ここへは足を踏み入れるなと前もって言っていたはずでござんす」
現れた何者かへ、カエンはあからさまな毛嫌いの気配を向けた。
客にならない男には一切愛想を振り撒かないのも遊女の鉄則だった。
「事が成就するより前にアンタの存在を知られたら、何もかもが台無しになるでありんす。アンタも望みを叶えたいなら我慢のしどころを弁えなんし」
「そうは言っても我が主はせっかちなんだ。お前がちゃんと仕事をするかどうか。あの方の信頼されるオレの目で確かめてこいとさ」
「やれやれ、静かなるは上っ面ばかりでありんすか」
カエンは大仰にため息をついた。
相手の勝手に抗議する最大限のジェスチャーでもあった。
「それより、もう一度言うが、当初の目的とは違うが面白い獲物がかかったようじゃないか。こんなに面白いことになっているから、わざわざオレが直接指示を出しに来たのだろう?」
「あの異国のお客さまでありんすか」
たしかにカエンとこの男が取り交わした計画では、シンマ王子飼いの新領主を誘惑してこの雷領を内側から崩し去るというのが最初からの目的だった。
しかしカエンから見て、あのヤマダ=ユキムラという若者、相当自分の制御が上手いらしい。
若年でありながら女の色香に惑わされず、カエンの裏にあるかもしれない意図を鋭く警戒してきた。
「まだ私に企みがあるかどうか確信を持っているわけではないようでありんすが、しっかり警戒している辺り一筋縄ではいかん相手でありんす」
それでもカエンの直接の相手をレーザにバトンタッチする辺り、童貞の憶病さを窺わせはするが。
「今となっては雷領主の若造などどうでもいい。標的は異国の重要人物に切り替えだ」
「やれやれ目まぐるしいこと。まあいいでありんす。ここはアンタのやりたいように動いてあげましょう」
「ヤツを葬れば、異国との交流は一気に瓦解するどころかいくさにもなりかねん。さすれば国が混乱し、我が主が新たなるシンマの支配者となる芽も出てくるかもしれん」
「……!?」
その一言に、さすがのカエンも頬を強張らせた。
「殺す……、というのでありんすか? 何もそこまで?」
「迷う必要があるか? 相手は神国シンマを敬わぬ夷狄、畜獣と同等だ。そんなものを何匹屠ったところでシンマへの罪どころか功というやつよ」
男の声は少しも硬いところがない。
政治的要人を消し去るということに少しの躊躇も抱いていないということだった。
「お膳立てはこちらでしてやる。どうせ女風情に殺しなどできんだろうからな。指定の場所に誘い込めばあとはこちらで斬るなり刺すなり……。死体を晒してシンマを侮った罪深さを知らしめてやるとしよう」
と言ってから、準備にかかるためか男は足早に消えていった。
一人残されたカエンは。
すっかり冷めてしまった甘酒を飲み干して……。
「仕方ないでありんすなあ」
と決意を固めた。