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わたしは、海にいる。
想像の中では。
わたしは、朝の強い日差しに起こされて目を覚ました。昨日、寝る前にしっかりとカーテンを閉めたはずだったのに、なぜだか空いていた。まぁ、いつもの癖で私が寝ぼけて開けてしまったのだろう。
わたしは、シンプルなことが好きである。部屋の中には、マットレスと申し訳なさそうに部屋の隅っこにある小さな机と丸くて平べったいクッションしかない(女性だから地べたにご飯は女子力が下がるってもんで机はさすがに買った)。テレビもラジオもない。パソコンは持っていない。スマホがあればなんでもできると思っているからだ。ただ、こればっかりは辛いなと思ったのは大学の課題レポートである。三千字くらいのレポートなら余裕のよっちゃんであったが、一万字ともなるとスマホの文章アプリではきついものがあった。しかし、そこを気合いで終わらせるのが、わたしのすごいところだ。(文章アプリでつくったものをコンビニのコピー機で打ち出して提出している)
わたしは、つい先日シンプルとは何かということを真剣に話し合うオフ会に参加した。オフ会にきた人たちは一見すると普通の人たちだったが、聞いている内容は想像を絶していた。話を聞くだけで、「わたしはなんて愚か者なんだ!」とハッとした。
しかし、物事には限度というものが存在する。やはりそこは超えてはいけない一線が目の前をぷかぷかと浮いているのだ。その日は、笑顔でオフ会はお開きになった。
この世はもっともっとシンプルになればいいんだ。
どれくらいにシンプルであればいいか。例えば、全て街中を走る車は単一の一車種で行こう。エコカーなんて構造がシンプルじゃない。ガソリン車でいいじゃないか。そもそも車がシンプルではないか。歩け。
日本人は、人と同じであることに安心を感じるものだとニュースでやっていた。同じような洋服をきて、同じようなスマホをいじって、同じような恋人を作って、同じような愛を囁き合う。
でも、シンプルは違う。確かに最終的に何もモノを持たないことを究極系としたとして、残るのは自分の体のみである。シンプルを極めることによって多様性が生まれるのだ。
人はいつだって、増えすぎた何かを減らそうとしている。でもその都度失敗に終わっている。わたしは、その歴史にショックを覚える。人は増えすぎた何かのために世界は滅べばいいのだと呟く人もいたことだろう。
皆の思いを背負ってわたしはこの地にいる。
【しんぷる教】
人々はそうわたしたちを呼ぶらしい。