六月の花嫁
初めて小説家になろうを使わせていただきます。よくわからないことだらけ。
大学内の部誌に載せたやつです。情景描写が少ないとか色々読み返して思いましたが、気に入っているので載せます。2014年5月の作品です。
僕が生まれたその日に父方の祖父が亡くなった。父は迷った末、母の出産に立ち会うことを優先し、父の弟、つまりは叔父に葬儀は任せられた。祖母が植物状態で入院していることもあり、父は長男として両親に何もしてやれないとひどく悔やんだが、どうしようもないことだろう。
「君はおじいちゃんの生まれ変わりだ」
いたるところでそんなオカルトを押し付けられた。両親もそれとなく生まれ変わりだと言いたげな節を多々見せており、気持ちとして逃げ場は無かった。
心療内科では何らかのストレスが僕を圧しているのだろうと告げられた。今となっては、祖父の生まれ変わりだと言われ、僕自身を認められなかった経験がそれにあたるのではないか。他にも理由は思いつくが、僕の中ではこれが大きく残っている。
物心ついたときから僕には話し相手がいた。他の人には見えない。けれども確かに居るし、僕には見えない場所のものを見て、教えてくれたりもする。
何歳だったか覚えてすらいないあやふやな昔に、両親にそのことを伝えると、最初は冗談だとしていたものが次第に真剣になり、小児科から心療内科から、まわりにまわった。
幼児によく見られるもので、ストレスなどから逃避する為のひとり遊びであり、成長するにつれて消えていくと診断された。
しかしそれは今も続いている。高校生の今でもそれは。
僕と一緒に話し相手は成長する。制服こそ着ていないが、女子高生らしさがあるやつになった。僕の空想の癖をして女子の服装としてセンスのいいものを着ている。街中で見かけた服装などを無意識に反映させているのだろうか。
そいつは勝手にふと現れてふと消える。けれども呼んだらしっかり出てくる。なお、思い通りのことをやってはくれない。
そいつとはテレパシーのように話せる。僕に見えない場所のものも見ることが出来るそいつを使い、テストでカンニングをしようとした。
優秀な子の答案用紙を盗み見てもらい、書き写したはずなのだが、試験の結果はひどいものだった。写させてもらった相手はいつも通り高得点を叩き出している。
こともあろうにそいつはデマを流してきたのだ。
「ばかだねえ、だってさあ、仮にそれで良い点が取れたとして面白くないでしょ。何よりね、君の唖然とした顔が見たかったんだよ。面白いじゃない」
卑怯な手を使おうとしていたことに痛む良心が少なくともあるため、嘘を吹き込んで僕を陥れ、なおかつ嘲笑うことを目的にしていた彼女に反論することもできなかった。
彼女は平気で嘘をつき、無責任なことを言い、ばかにしてきたりする。
僕の人格としてそいつが存在していると感じたことは一度もない。だから僕は彼女を「話し相手」として接しているのだ。良き友人だとするかどうかは、微妙なところだ。
「おうおう、良い情報を仕入れてやったぞ。ほら、あの子のパンツの色、黄色だぞ」
見えないことを良いことに彼女は教室で遊びまわる。重さどころか実体がない彼女を視認できているのは僕しかいない。
今も彼女はクラスで一番、かわいいとはお世辞にも言えない顔と体型の子の下着の色を教えてくる。こういった情報による暴力を遮る方法は無い。耳を塞いでも聞こえるからだ
幼少期にピアノを習っていたことから、耳からの情報に対しては人一倍敏感になった。そのピアノは中学生になり、辞めた。
表立っては勉学に励むだとか御託を並べたが、ピアノをやっていて親に褒められた記憶が一度もないことが本当の理由である。ピアノを続けていくのがばからしくなり、鍵盤に向き合うことが出来なくなっていた。
その一方で、「話し相手」は僕のピアノを大袈裟にまで褒めた。ピアノを弾かなくなることを残念がっていたけれども、それが僕の唯一のファンだとしても、結局は自分が創り出した産物の戯言だろう。今ではグランドピアノが家で埃を被って眠っている。
涼しい夏の昼間、陽射しの入る自室でベッドに転がり漫画を読んでいた。視線は漫画にあるが「話し相手」の声が耳に入ってきたので、仕方なく耳を凝らして聞いた。
「久しぶりに君のピアノを聴きたいな」
冊子を捲る手を止めて、彼女の方を見る。
彼女はピアノ椅子に座り、僕を見つめていた。
「私には時間があまり残されていないんだ」
訳の分からないことを彼女は言い始めた。何がどうなって僕の創り出した妄想が消えるというのだろうか。
「そもそもお前を消す方法すら自分でも見当がつかないよ。なんで消えるんだ? 何がどうなるっていうんだ?」
漫画をひょいとピアノ椅子に投げ渡す。彼女の体を透過して本は椅子に座る。
「それは……言いたくない」
意味が分からない。どうすることも出来ないじゃないか。自身の片割れが何をやりたいのか、さっぱり分からない。
「とにかくピアノは弾かないよ。またピアノなんて弾いていたら親に変な目で見られるだろ。それに、調律していないんだ。まともに弾けるものか」
彼女はとても残念そうな顔をした。僕がピアノを辞めると言い始めたときと同じ顔だった。僕の中で申し訳なさを通り越し意味が分からず、あてもなく腹が立ってきた。沸々と腹の中が煮えくり返る。とても我慢が出来ず声を荒げてしまう。
「構ってほしいのなら他のどこかに行けよ!」
八つ当たりのできる唯一の相手である「話し相手」。返事は帰ってくることなく、どこかに姿を消した。
しばらく不貞寝をしていると、祖母を見舞いに行くと親が起こしてきた。ピアノがある部屋から逃げるように僕は見舞いについていくことを選んだ。
ここ十数年変わることなく祖母は床に臥せている。たまに意識は戻るが朦朧としていて会話もできない。そんな状態でも祖父の生まれ変わりと生来言われていた運命と義務感から、一言も交わしたこともない祖母の見舞いには何度も自発的に来た。
「寝たきりで、おばあちゃんは生きがいなんてあるのかな」
いつの間にか背後にいた「話し相手」が無遠慮に呟く。
「さあね。そもそもハッキリと意識も無いらしいし、何も感じないんじゃないかな。じいちゃんが急死したことすら知らないんだろうね」
「それなのに君は昔、よく一人でお見舞いに来ていたよね」
「ばあちゃんがどうこうって問題じゃない。自分自身の気持ちの整理で来ていたんだよ。」
自分が生まれてから言われてきたこと――――それを清算できるかと思って見舞いに来ていた。けれども、何一つ得ることは出来なかった。
「……そうだとしても、月並みなことしか言えないけど、それでもおばあちゃんは嬉しいと思うよ、来てくれるだけで」
もし、彼女の発したことが本当であるなら、少しは孝行が出来ているのかもしれないと頭を過ぎる。だがすぐに分身に慰められているだけだと我に返り、僕は黙り病室を後にした。
自販機でコーヒーを買い、病室に戻ろうとドアノブを握ると、両親の会話が聞こえて反射的に手を止める。
「そういえば、あの子と見舞いに来るときに母さんの意識が戻ったことが無いね」
「確かにそうかも。あの子が望んでお義母さんのお見舞いに来たりもしていたのに。残念だわ」
確かにそうだ。今までそのことを気にしていなかった自分が、自己満足で見舞いに来て祖母を大事にしていなかったか裏付けられたように感じた。僕はひどい奴だと思い知らされる。
病室に入ることも、続けて話を盗み聞くことも出来ずに壁にもたれ掛かり、缶コーヒーの冷たい温度が手に沁み渡っていくのをただ感じていた。陽射しはもうすっかり傾いていた。
一週間後の休日。
「薄汚れた部屋ね」
「誰もしばらく触っていない部屋だからな、埃も被るだろ」
「君の部屋のピアノみたい」
お盆休みで、今は叔父の家になっている実家に帰省している。「話し相手」も当然僕にくっついてきた。昔ながらの家で、無駄に広く部屋はいくつも余っている。そのため、祖父の部屋も、祖父が倒れたときと殆ど変わらず、そのままにされてある。
居間では祖母が亡くなる前にあらかじめ遺産をどうするか親達が話していて、その場に居るのもどこか気まずくなり祖父の部屋に逃げ込んだ。
祖母も十余年寝込んでいて衰弱が顕著になってきたらしい。
長男の長子であるお前も参加しなくていいのかと「話し相手」に言われたが、死んでもいない人の死後を相談することがどこか許せなくて逃げた。そして、僕が出ていくならばと彼女も僕に引っ付き、祖父の部屋に転がり込んだ。
携帯をいじり倒しても時間はろくに進まず、部屋を物色する。祖父のことは話にしか聞いておらず、よく分からない。部屋を見ても趣味など分かるものもなく、いったい何を楽しんで生きていたのか分からない。同時に――僕は何を楽しんで生きていけばいいのだろうか。
「なに辛気臭い顔しているの」
思いつめたような顔をしていたらしい。彼女に指摘され、ハッとする。
「……何か見つけて今日は帰るぞ」
僕の突拍子もない言葉に首をかしげる「話し相手」。ここで祖父が何を楽しんで生きてきたのか、それの欠片でも掴んで帰らないと、今後の僕の人生にも関わってくる気がして、意気込んだ。
十数年間開けられていないようなタンスを開いたりして中身を一度全部出してみたが、別段変わったものは無かった。当然金目のものも片付けられている。
「面白味もないね」
そう「話し相手」は言ってきているが、小さな発見はある。
祖父の私物より、祖母や子どもの私物の方がこの部屋には圧倒的に多い。
尻に敷かれていたのだろうか。いや、献身的な祖母と頑固な祖父という二人だったと聞く。
祖父の人生は、家族の為にあったのではないか。
遺産相続の話が片付いたらしく、親に呼ばれた。
そこで僕は今まで聞いたことなかった、生まれ変わりと呼ばれ自然と避けていた祖父について……「祖父の人生」について話題を場に出した。
気難しい人であったこと、兄弟を戦争で亡くしたこと、祖母とは見合いで出会ったこと、挙式の日が梅雨と被り雨が降ったこと、そして家族を愛していたことを教えられた。今まで触れなかった祖父の人物像について、少し理解が深まった気がする。
本当に自分が祖父の生まれ変わりだったら、どんなに良い人間になったか。そう思えた。
そして話は祖父が遺したものになった。鍵の付いた小箱が話題に上る。ダイヤル式南京錠を付けられたその小箱は、遺品整理をしているときに発見されたらしい。いっとき鍵を切断して開ける話も持ち上がったが、貴重品などは他の場所に保管されていた為、故人の気持ちを尊重してそのままにしておくこととなった。
普段から祖父が使用していた番号はすべて試してみたらしいが、開かなかったという。居間の仏壇の隅に、小箱は置かれていた。ダイヤルは四桁であった。
何気なく僕はその小箱を手に取り、祖父の部屋に戻った。
「その箱、どうするのよ。もしかして0・0・0・0から総当たりしていくつもり?」
珍しく「話し相手」の勘が冴えていないと感じた。こういうことにはいち早く気付きそうなものなのに。
「いいや、頭の二桁は既に分かっている。そして残るは三十通りだ。僕の予想が正しければね」
「……まあ好きにしたらいいんじゃないの? 私も中身が気にならないわけでもないから」
そういってアイツはどこかに消えていった。
そうして僕は0・6・0・1から0・6・3・0まで一通り試すことにした。案の定、途中で錠は開いた。
中の物は僕を凍らせた。動揺のあまり、また施錠をして一息入れる。
程無くして「話し相手」が戻ってきて様子を聞いてきたが、開かなかったよ。どうやったら開くのか分からないと嘯いた。
何より分身といえども、視界が共有されたりするものでなくてよかった。「あれ」は彼女には見せられない。しかし、不思議ではあるが、至る所に合点がいった。
夏休みも終わり、新学期が始まった。なんとか説得して、不細工の下着の色を教えてくるのをやめさせることが出来たのが、新学期始まって一番の収穫である。学校では進路について話題が多く出ている。
僕はこのまま何気ない日常が続けばいいと思っている。何も変わらず、このままで居たい。状況が移ろい始めて、ようやく今までのことが大切だったのだと気付く。これは学校や進路についてではない。
「話し相手」とのことだ。そして、近々今の関係は終わりを迎えるのだろう。それなのにピアノを弾いてやることが出来ない自分が、不甲斐ない。しかし、それでいいのか?
僕はそろそろ決断をしなければならない。かけがえのない時間の針を進めていく決断を。
「なあ、本当は箱、鍵、開けることができたんだ」
日を跨いだ夜。電気を消し、布団に入った状態で宙に向かい言葉を投げる。目を瞑っているが、彼女が居る気配はする。
「……若い女性の写真が入っていた。お前がこのまま成長していったような女性が」
返事はない。
「それと婚約指輪」
もう後戻りはできない。これは僕にしか出来ない役目だ。
「お前、俺のばあちゃんだな」
どこからか風鈴が鳴き、間もなく風が部屋に舞う。
ベッドから体を起こす。ピアノ椅子に座った彼女が、月明かりに照らされこちらを見ていた。彼女の顔は今までのどんなときよりも優しかった。
「そうだよ」
今まで動いていなかった話が、一気に動き始めたのを感じる。
開錠するための数列が結婚記念日であったこと、それを僕に勘付かれたこと、そして、自分の写真を入れられていたこと。それらすべてが彼女にとって予想外であったらしい。
「なんで僕の傍に?」
彼女に問いかける
「家族の傍に居ることに、理由なんて必要かい?」
そう言われると、何も返せなくなる。
「ただ……これだけは言いたいな。お前は爺さんの生まれ変わりではない。お前はお前だよ。まあ……優しいところとか手先が器用なところは本当によく似ている」
「それを伝えるために?」
彼女が俯き、少し笑みを浮かべる。
「いや、ただ一緒に居たかった。一緒に居て、ばかみたいに楽しめるだけでよかった。傍にいるだけで幸せだったんだよ」
彼女が月を見上げる。
「さて、そろそろお別れの時間だ。君はなんとかやっていける」
カーテンが踊るほどの風で僕と彼女は遮られ、どうにか風が止んだと思ったときには、彼女は姿を消していた。
間もなくして僕の部屋に親が急いでやって来て、訃報を知らせた。
彼女がどこにも居ないことを感じる。初めて僕は一人になった。
僕の横でピアノが月光りを浴びていた。
ピアノは、わずかな知恵から自分で調律をしてみた。多少音がゆるく感じたりする部分はあるが、それでいい。コンサートで弾くわけでもない。
ピアノ椅子に座る。いつの間にか僕の身長と合わなくなっていたので、背丈に合うよう調整した。
鍵盤に指を置く。今まで何よりも重かった初めの指が、鍵盤を沈ませる。そこからは洪水のように音が溢れ出る。有名な作曲家の曲でもない、予定があるフレーズでもない。ただ、僕が思うように指を運ぶ。音は雫のようにほろほろと落ちる。
ここは森だ。今まで静かに見守ってくれていた、その真ん中だ。自分の在り処など関係も無い、広くて深い森だ。
僕はピアノで森に入ることが出来る。そしてその森の中でこそ、僕は「良き友」に曲を贈ることが出来るのだ。
終わり