君が仲間になった理由
「ちょっと、ジョニー。これ、どういうこと?」
ジャンナ姉さんがドスの利いた声を上げて、僕らの方をジロジロ見ていた。
「そうよ、意味分からないんだけど」
魔法使いのサリンも姉さんと同じように冷ややかな視線を向けてくる。
炎のような怒りを見せるジャンナ姉さんと、凍てついた氷のような冷気を放つサリン。二人からの有無を言わせぬ圧力は、僕を蛇に睨まれた蛙以下の下等生物に貶めていた。はっきり言って物凄く恐い。
「いや、これはね……」
僕は冷静になろうとした。例え彼女達から向けられる見えないオーラが憤怒の色に染まっていたとしても、今すぐ回れ右をして逃げ出したくなっていたとしても、僕がそれに飲み込まれてしまったら、事態の収拾など出来るわけがない。
「つまり、これは何と言うか……」
「あー、イライラする」
だが僕の決死の覚悟を邪魔する奴がいた。僕の横で大人しく成り行きを見ていた筈の人物だ。その人物は僕の腕をうるさげに押しやると、足を一歩踏み出して姉さん達に宣言した。
「あのね、至極簡単な話でしょ。要するに私も、あなた達のパーティーに合流することになったのよ」
前からの温度が一段と上昇する。
「お、お前、言い方ってあるだろ」
慌てて押し留めようとする僕に、ジロリと横からも据わった目が飛んできた。
「うるさい、あんたはすっこんどいて!」
「えっ……と、あ、ハイ」
恐ろしく切れ味のよいナイフみたいな眼差しに、僕はすごすごと唇を閉ざし、彼女の陰に小さくなるしかなかった。
そう、彼女ーー、昨日僕の前にいきなり現れた女の子。
たまたま訪れた町の宿屋で、僕の給仕をしてくれた宿の女中。がりがりに見えた細い体に薄汚れたワンピースとエプロンを身につけ、愛想の欠片も覗かせず食事の注文を聞いてきた子。
僕はたいして、そんなモブには何の関心もありはしなかった。だが、彼女はとんでもない正体を隠し持っていたんだ。
そう、なんとその子は僕と同じ、この世界に突然トリップしてきた日本人だったんだよ。
僕は驚いた。そりゃ驚くさ。こっちに来てからどのくらい? かれこれ半年は経つだろう。その間、トリップ体験者に出会ったことが? いいや、一人として会ったことなどない。
新しい町に行く度に、いつも胸をときめかせて探した。大きな街で名だたる偉人の噂を聞けば、もしやと期待して会いに行った。だがことごとく打ち砕かれてきたんだ。どいつもこいつも僕とは違う。初めからこの世界に生息する、ごく普通の人間だった。
だからいつしか僕は諦めていった。こんな状況なのは自分だけと理解していったのさ。同じ立場の人間を探すのは、もうやめようと思い始めていた矢先だったのに。
なのに。こんな場所で?
こんな並み以下のクソチビが?
「は、あ?」
「何ですってえ?」
予想は当たると言うか、思った通りと言うか、姉さん達は顔を真っ赤にして牙を剥いてくる。
「何なのよあんた! 私らに何の断りもなく、ジョニーに近づいてきて」
「これ以上ジョニーの周りに女は不要なの! あんたなんか仲間に入れてやらないわよ」
弾丸のように繰り出される二人の怒声に、僕は恐れをなして固まった。いやはやただの中坊に、泥沼の調停なんか出来る筈ないだろ。
無言で青ざめる僕に呆れたのか、横にいる人物はため息を一つこぼし、鬼か悪魔に変身した美女達に向き合う。
「落ち着いてよ、お二人さん。何を誤解してるのか知らないけど、私は純粋に勇者のパーティーに入りたいだけなの。世界を救うお手伝いがしたいのよ」
その白々しい出任せに僕の方がびっくりした。何を言い出すかと思えば、何だよそれ。そんな戯言で嫉妬に狂ったあの二人が、騙されてくれるとでも?
「なあに、そのとってつけたような言い訳。信じられないわよ、馬鹿らしい。あんたみたいのが一番曲者なの。『私男の人には何の興味もありませーん』とか口にしといて、しれっと抜け駆けしていくのよ」
「そうよ、この小悪魔め。私の魔法で退治してやる」
何かよっぽど手酷い目にあったんだろうか。姉さん達の発言は、どんどん変な方向にずれていってる。
僕の隣の彼女はクスリと笑って、二人の女性達に笑顔を返した。彼女は小さな舌をペロッと覗かせると、ばつが悪そうに片目を瞑る。
「嫌だ、何でバレちゃったんだろ。そう、私、男の人には興味ないんです。だからお二人のライバルにはなり得ません」
「やっぱり!」
「あんたね、そんな白々しいこと言ってうまく入り込む気でしょ? そうはいかないわよ!」
勢い込んで身を乗り出してきた姉さん達に、彼女は笑顔を浮かべたまま近寄って行った。
「そんなことないですよ。だって私が好きなのは女の人なんですもの」
「ハア?」
「アアン?」
ドングリ眼でハモった二人は、何を言われたのか理解出来ないらしく、彼女を凝視したまま一瞬固まった。その隙だらけの二人に、彼女は更に近づいていく。
「素敵だな、ジャンナさん。あの……、お姉様って呼んでもいいですか?」
そう言うやいなや姉さんの腕に強引に抱きつき、彼女はうっとりと微笑んだ。いきなり抱きつかれた方はと言えば、ポカンと口を開けた呆けた表情で、黙ってその様子を見つめていたんだけど、そのうち「うーん」と泡を吹いて倒れてしまった。なんか、相当ショックだったみたいだ。こんな倒れ方する人初めて見たよ。
姉さんが気を失っても彼女は特に気にするふうもなく、ぼんやりとしている。それから彼女は顔を上げ、横にいるサリンにふふふと微笑みかけた。
「これで安心でしょう。私もお仲間に入れてくれますよね?」
サリンは目を見開いて彼女を睨みつけた。ジャンナ姉さんは気絶したまま、うんともすんとも言わない。
「そうねーー」
サリンは目を薄く細め難しい顔をして、姉さん、彼女、そして僕と順に視線を動かしていく。流麗な美貌の魔法使いは何かを思いついたらしく、最後にニヤリと表情を崩した。彼女は目の前にいる少女へと、軽やかに手を差し出す。
「よろしくね、えっと……?」
「リーシャよ、僧侶です」
「私はサリン。魔法使いをしているわ。よろしく、リーシャ」
二人は固い握手を交わしていた。僕にはさっぱり分からない思惑が、彼女達の上には飛んでいたようだった。
「あのさ……」
「何よ?」
僕らは宿を出発して、ゆっくりと次の目的地を目指していた。目指すのは東にある大国。その前にいくつか町や村を越えるから、取りあえずの目的地は一番近い村になる。
彼女、リーシャは宿屋の主人夫婦に挨拶を済ませ、僕らの旅に合流してきた。現れた彼女にキレた姉さんと一悶着あったけど、サリンがとりなして酷い騒ぎにはならなかった。一応の納得を見せた姉さんだったけど、サリンを裏切り者と罵るのは忘れなかった。
まあ、よかったよ。血を見るような争いに発展しなくて。リーシャが僕に向かって小さな声で、「役立たず」とかほざいてたけど目をつむることにしよう。
それからジャンナ姉さんは露骨に彼女を避けて早歩きを始め、それをサリンがニヤニヤと見ている図式が出来上がっている。普段はうるさいくらい僕に纏わりついてくる姉さんが、今はリーシャが側にいるせいか近寄っても来ない。なんか平和だ。
「君さ、なに、僧侶だったわけ? なんであんな場所で働いてたんだよ」
彼女といると楽でいい。わざわざ大人の男振って気取らなくていいから、地の自分が出せる。
リーシャが上目遣いで睨んできた。小柄な彼女と僕では身長差が著しい。だから彼女が僕を睨むときは自然そんな表情になるのだが、……言ってもいいだろうか。いや、勿論本人には黙ってるよ。そんな恐ろしいこと、口が避けたって言えるもんか。だからこれは僕の心の中での独り言。
あのさ、小さい子が下から一生懸命睨むようにこっちを見上げてくるのって、なんか、かわいい……、よな?
い、いや、違うんだ! そう、かわいいって言うのは女の子としてじゃない。えっと、なんて言うのかな……。そう、例えばアレ、ウサギとかの小動物系? うん、まさしく小動物で合ってるじゃないか。ほら、犬とか猫とか、小さくて可愛いじゃん。まさにそんな可愛さだよ。ふう〜。
「何よ、薄気味悪いわね。ニヤニヤしちゃって」
「え、僕。ニヤニヤしてた?」
慌てて顔を押さえると、彼女は眉をしかめて首を竦めた。
「ちょっとその顔でその喋り方やめてくんない。似合わなさすぎて背筋が寒くなる」
「いいだろ別に。楽なんだよ」
リーシャは僕の反論に呆れたかのように首を振った。どうでもいいけど一々言い方がきついよな。
「実はね、私も最初は違う人とパーティー組んでたんだ。だけど色々あって疲れちゃってさ。だからもういっそ普通に働こうと思ったわけ。それでふらりと立ち寄ったあの店で、雇ってもらってたの」
「えっ?」
風が吹いてきてリーシャの被るマントを揺らす。マントから覗く解れ毛が、ふわふわとそよいで彼女の横顔を撫でていた。
僕は唾を飲み込んで彼女に見惚れていた。いや、見惚れてなんかいない、断じて!
「……どうして、あんな格好をしていたんだよ?」
宿屋での彼女は、どう考えても自分を汚く見せていた。もっさりとした髪型に、薄汚れた顔や洋服。その下にいる本当の彼女自身を、上手に隠して客達の前にいた。
「どうしてって、あれが作業着だからよ」
リーシャは言ってる意味が分からないと目を丸くする。
「いや、だから……」
僕は言葉を選んで、でも選び出せなくて口籠もった。何て言ったらいいのか分からない。
目を見開くリーシャはとても可憐だった。薄紫の瞳は儚げで、汚れの取れた頬は真っ白だ。人形みたいな肌にはほくろ一つ見当たらない。ピンク色の小振りな唇は、毒舌を吐き出すものとは到底思えなかった。
つまり、彼女はとっても美少女だったんだ。でも昨日の彼女からは、その片鱗さえ探せなかった。
リーシャは冷たく僕から視線を外す。所詮僕みたいな奴には深く立ち入ってほしくないんだろう。
「言いたくない。あんたには関係ないでしょ」
「そりゃ、そうだけど……」
ムッとしたように前を向いた彼女にそれ以上は聞き出せない。確かに僕には関係ないし、言いたくないとか言われたらどうしようもない。
一人悶々としていた僕だったけど、しばらくすると機嫌を直したのか、リーシャが満面の笑みを返してきた。
「ねえ、どっちなの?」
彼女はニヤニヤとしながら聞いてきた。
「は? 何が?」
「だから、あんたの本命よ。どっちなのよ」
悪戯っぽく笑う彼女に振り回される。何だよこいつ、意味分かんねー。確かさっきまで怒ってたよな? それが何? 本命? 何だよそれ。
「本命って、なんのこと?」
心持ちブスッとして聞き返す。どうでもいいけど訳の分かんないことで笑われるのは心外だ。
鈍いわね〜と一言漏らし、リーシャは前を歩くジャンナ姉さんとサリンの二人を指差した。
「だから、あの二人のうち、あんたの本命はどっちかって聞いてんの」
「はあ〜? 何だ、それ」
どんな質問だよ、訳分かんないよ。僕は思わず前方に目をやった。
赤い髪の毛を揺らして歩く刺激的な服装のジャンナ姉さんと、薄いストレートの金髪と黒のローブ姿が、落ち着いた印象のサリン。
二人とも確かに相当の美人だ。それこそ、日本ではなかなかお目にかかれないほどの別嬪さんだ。
だけどーー、
この二人のどちらかが本命? あり得ないよ。
「そんなんじゃない。彼女達は……」
リーシャは黙って僕を見つめていたけど、やがて堪えきれなくなったのかブーと大きく噴き出した。そのままお腹を抱えてヒーヒーと苦しそうに呻いている。
彼女といると僕のプライドはズタボロになっていく気がするんだけど、気のせいだろうか。
リーシャが荒い息を吐き出して僕を見上げてきた。
「あんたさー、まだなんでしょ……」
その言葉に僕のこめかみがピクリと反応する。
「……まだ、って?」
嫌な予感に包まれて僕は焦っていた。いつしか喉はカラカラに乾き、中で粘膜同士が引っ付きそうになっている。心臓はドクドクと脈打ち、恐ろしいスピードで早鐘を打っていた。
彼女の発する言葉の続きなんて聞きたくもない。想像もしたくないし、今すぐ忘れてしまいたい。……なのに、何故僕は尋ねてしまったんだ!
リーシャは涙を浮かべてこっちを見ている。笑いすぎて浮かんだ涙を、彼女は指の淵で拭った。
彼女のピンク色の唇が誘うように開く。小さな口の奥に赤い舌が覗いて見えた。
「だから、あんたってばまだDTなんでしょう? いいのよ、いいの。だって分かりやすいんだもん。かわいそうに中身のスキルが低すぎて、どうしても後一歩が踏み出せなかったのね。分かるわ〜、何かあんたってすっごい要領悪そーだもん」
彼女の一言は強烈なカウンターを決めてきて、僕の心臓をたったの一突きで停止させてしまったのだ。




