夢見たものは・・・
「夢見たものは・・・」立原道造
夢見たものは ひとつの幸福
ねがつたものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しづかな村がある
明るい日曜日の 青い空がある
日傘をさした 田舎の娘らが
着かざつて 唄をうたつてゐる
大きなまるい輪をかいて
田舎の娘らが 踊りををどつてゐる
告げて うたつてゐるのは
青い翼の一羽の 小鳥
低い枝で うたつてゐる
夢見たものは ひとつの愛
ねがつたものは ひとつの幸福
それらはすべてここに ある と
頭でっかちの文学少女だった頃、憧れ続けた立原道造の美しい詩。
綺麗な林のある田舎で、ヒアシンスハウス(http://www.tachihara.jp/info2-8/info2-87.htm)みたいなシンプルな家に住みたい。
それが願いだった。
時が経ち、文学少女は成長して、ただの読書好きの大人になった。
街育ちの私は田舎に憧れながら、アスファルトをハイヒールで歩き、ゲランの化粧品を使う生活をしていた。
過去形?過去形ですとも。
現在、綺麗な林のある田舎で、ヒアシンスハウスのイメージで設計した家に住んでるんだから。
夫が地方都市に転職したいと言った時、一も二もなく賛成したのは、思春期に夢見た生活ができると思ったから。
都会ならば夢のような一戸建ては、びっくりするくらい安い見積もりだった。
大きな窓の前にしつらえた作り付けのベンチで本を読もう。
長いスカートにカシミアのショールで落葉林を散歩するのだ。
庭にはとりどりの花を咲かせよう。
そして立原道造の詩のような風景の中で、年齢を重ねる。
街育ちの私は、知らなかった。
麻のクロスは、車で15分も走った駅前のスーパーマーケットには売っていない。
香りの強い紅茶も、柔らかな色のキャンドルも、サンプルすら確認できずにネット取り寄せだ。
頂き物の有精卵には血が混ざっているし、同じく無農薬の野菜には虫がいる。
そして、靴の裏には土がついちゃうのだ。
玄関は年中水洗いをしないとならないし、埃っぽい風の吹く日には洗濯物は外に出せない。
私のヒアシンスハウスはあっと言う間に所帯染み、美しかるべき生活は日々の中だ。
愚痴を言おうにも、夜のBarに呼び出す友達はいない。
と言うか、赤提灯とスナックはあっても、Barそのものが見当たらない。
こんな筈じゃありませんでした、街に帰りましょう・・・なんて今更、言えるわけはない。
残業の夫を待ち、不必要に大きな窓から空を見上げた。
ああ、今日は満月だ。
庭では、やはりセタが空を見上げていた。
北海道犬にそのものずばりのセタなんて名前をつけたのは、夫だ。
犬に犬と名前をつける馬鹿馬鹿しさは、この際気にしないで欲しい。
「セタ、月見てるの?」
首をかしげて尻尾を振るセタは、散歩をせがんでいるように見える。
車も通らない田舎道で、危険なことにあたるのは、バチがあたるよりも希少価値だ。
「お散歩に行こうか?」
嬉しがるセタにリードをつけて、暗い道を歩き出した。
月明りなんて都会では知らなかったけれど、夜の道は漆黒の闇じゃない。
セタが歩きたいように歩かせると、広い牧草地に出た。
月明りに照らされた牧草地が白い。
白いものの正体を見るために、私はセタと一緒に柵をくぐる。
ああ、と声が出た。
月の光の中、一面に咲くシロツメグサの群れ。
隙間なく咲く白い花と、上空に浮かぶ白い月。
ここは、どこ?
サンダルを蹴り飛ばし、素足で草の上を歩く。
こここそが。
麻のクロスじゃない。英国製のティーカップじゃない。
ここだ。
有精卵に血が入っていようと、ブロッコリーと一緒に虫を茹でようと、確かにここなのだ。
夢見たものは ひとつの愛
ねがつたものは ひとつの幸福
それらはすべて ここに ある と