80、テスト前日の交渉
「そういやもしかしてさぁ、家庭科って田ノ上先生?」
だったら去年の試験問題あるよ、と言った智に、七緒と直哉は抱き付いた。
「サトさん素敵っ」
「サトさん大好き!!」
「おうおう、わかった。暑いから離れろ」
冷静な智は、指を一本たてて、もったいぶりながら言った。
「ただじゃねぇぞ。皿洗い一回分だ」
「えー! サトさんずるい、可愛い後輩相手に商売すんの!!」
「嫌ならいいけど、みんなずぼらだから去年の試験問題まだ持ってる奴は少ねぇぞー?」
うう、と唸る直哉に、七緒は笑って言った。
「いいじゃない、お皿洗いくらいなら」
「ナナは物わかり良すぎでしょ、もっと粘ろうぜ!」
「だってそれ以上に切羽詰まってるんだもん……未だに家庭科ノータッチだったし」
サトさんには英語も教わってるし、というと直哉も納得したようだった。
「よしっ、去年の試験問題、買った!」
「まいど~」
横から見ていた光流は、交渉成立を見て嬉しそうにした。
「良かったな。あの先生、毎年問題を大幅には変えないらしいから、これで七割は取れるよ」
「ほんとっすか! 良い取引でしたな、ナナさんや」
「そうですねぇ、ナオさんや」
「お前ら小芝居好きね」
この仲良しどもめー、なんて言われても、動じないどころか喜ぶのがこのコンビである。
嬉しそうな後輩をみて悪い気はしないのか、智は立ち上がって伸びをした。
「ほれ、んじゃ行くべ。ついてこい」
「はぁい!」
「そんじゃオレも戻る~」
わらわら四人で移動して、無事に試験問題を貰った一年二人は、嬉しそうに頭を下げた。
「あざっすー! 家庭科はこれ覚えます」
「プリントとか教科書見返さなくていいだけでも、本当助かります」
「とりあえずナナは試験があるってことを忘れないようにしろよ」
光流に図星をつかれ、七緒は神妙に頷いた。
「ナオはこの真面目さ見習えー? 大輔が愚痴っとったぞ、今年の一年は殊更に馬鹿ばっかだって」
智の言葉に、直哉は顔をしかめてみせた。
彼としては、運動部なんて馬鹿ばっかでナンボ、というイメージなのだが(運動部の名誉のために、そんなことはないのだと明記しておくが)、陸上部の先輩、花岡大輔が自分達のいないところでそんなことを言っていたとは。
「だってぇ」
「だってぇ、じゃねぇべ。大輔言ってたけんど、お前この前赤点3つあったべ? また同じ教科で赤取ると、次の記録会参加できねぇらしいでねか」
「そうなんですけど……」
陸上競技は、いわゆる大会の前に記録会、というものがある。そこで計ったタイムが選手の公式タイムとして大会に登録される。つまり、それにでなければ大会には出られないのだ。
直哉は今年度に入って一度、記録会には出ているので、そちらのタイムを提出すればいい話ではあるのだが、やはり部内での心証が悪い。
「頑張りますってばぁ…」
「嘘ついてる顔だ」
「嘘ついてる顔だべ」
「本当ですー!」
失礼な、と憤慨する直哉を見ながら、七緒は話を変えようと声をあげた。
「そういえばさ、陸部っていつ大会とかあるの?」
直哉の動きがぴたりと止まる。
智も光流も、文化部なので、運動部のスケジュールは詳しくない。流石にインターハイ、なんてことになれば気づくけれど、基本的に彼ら運動部は帰りが遅いので、練習なのか違うのかがよくわからないのだ。
直哉はしかめっ面で、呟いた。
「……したよ……」
「え? なんて?」
「終わりましたよ!! 今年のインハイ予選! 都大会まで出られずに!!」
捲し立てる直哉いわく、五月の地区大会的なもののうちに、負けてしまったそうなのだ。
「ひとり、先輩が都大会までいったけど早々に負けて、それだけです」
なんと言っていいのかわからなくなった三人は気まずそうに顔を見合わせる。
そんな文化部たちを眺め、直哉は短い溜め息をついた。
「……まあ、今年は俺、出てないし。一年は主に秋の新人戦に向けてやってるんで、いーんすけど。大輔先輩は惜しいとこだったんですよ。そういうの、言わない方がいいです。いい結果だったら部の方から報告するんで、なにも言わない場合は突っ込まない方が無難ですよ」
普段全く論理的に話さない直哉が、きちんと話を組み立てて冷静に話している。それがなんだか恐ろしくて、三人は「ワカリマシタ」と敬礼した。
「……ナオ、まだ怒ってる?」
部屋に戻って各々勉強を始めてしばらく経った頃。七緒は遠慮がちに声をかけた。
直哉は振り返り、ルームメイトを見つめる。
捨てられそうな仔犬みたいな目で見られ、ついに噴き出した。
「ぶふっ、だぁから、怒ってねえって! 俺出てないし、そもそも大会とかどうでもいいもん!」
けたけた笑う直哉がいつも通りだったので、七緒は安心して向き合った。
「俺、走るの好きだからずっと陸部だけど、大会とかはあんま興味ないんだ。スポ推の奴もいるし、学校の名誉的なのはそいつらに託してる」
「ナオって長距離だっけ?」
「うん。好きなんだよねー」
体力のない七緒からすれば、長距離をわざわざ好む神経がわからないのだが、直哉が嬉しそうに言うので突っ込まない。
直哉も、七緒がどうして文字ばかりの本を好き好んで読むのかわからないが、それは言わない。
好きなものは好きなのだから、相手のそれを否定しない。
だからこそ、タイプの違う二人はうまくやっていけているのだ。
「まあ、だから俺はいーんだよ。でも、ガチンコでそれに賭けてるひともいるからさ」
「そーだよねー……無神経だった」
「まあその辺文化部にわかっとけっていうのも、こっちの都合なだけだし、変だろ?」
あっさりそう言いのけて、だからあまり気にするなと直哉は言った。
なんだかんだ、幼いようで器の大きい奴だと思う。
「だから、まあしょうがないよね。そんでさ全然話変わるんだけど良い?」
す、と直哉が真剣な顔になったので、七緒はどきりとした。
普段ころころ笑う少年は、真面目な顔をすると妙に大人びて見えるのだ。
「何? どうしたの……?」
「実は……」
ごくり、唾を飲み込み、前のめりになる。
「……ピアスを、あけようと思うんだけど」
―――なんて?
すごく真顔で、すごく場違いな言葉が出てきたような。
七緒は、真顔で聞き返した。
「……ごめん、今なんつった?」
「や、だから、ピアスあけようかなって」
「なんかすごい真面目な話かと思ったじゃん!! どきどきしたわ!!」
変な間ぁあけるな! と小突くと、直哉は「なんでだよぉ!」と喚いた。
「真面目な話だよ!! すっげー大事なことじゃん!!」
「いやそれにしても今!? このタイミングかい!?」
「だってー!!」
そして……
「でもどうやったらいいのか相談したくてさあ」
「明らかな人選ミスよ!? 見てこの傷一つない耳!」
「でもぉ」
「あ、ゆーきゃん先輩アホほどあけてるじゃん、聞いてみる?」
「アホほどって……えー、じゃあ一緒来てー」
「女子か!」
という会話の後、押しかけた雪弥の部屋で、二人は現実を突きつけられる。
「うーん、いいけどさぁ、お前ら、平気なの? ベンキョー」
―――そんな、期末テスト前日の夜だった。
※陸上競技の記録会うんぬんに関しては創作な部分が多いです!
本来の記録会は純粋に記録を狙うだけのもので、それに出ないと大会には出られない、ということでもないと思います……(多分…
言うまでもなく作者は七緒たちのような文化部であります。まる。