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72、周囲の悪戦苦闘


きちんと話をしよう、と思った。

まだ年度の初めだし、これからのこともある。

七緒は一年だけれど、もうすっかりみんなの世話役として頼られているし、一方で雪弥はそう見えずとも寮長だ。その二人の間にいざこざがあるのは良くないし、単純に寮生同士が仲が悪いのは、いやだ。

そろそろ本気で手を打たないと、どちらも意地の張り合いが続いて、修復できなくなる。

葵はそう思って、夕食後に食堂でのんびりしていた七緒を、廊下の端に呼び出した。


ちょっとおいで、と軽く声をかけはしたが、七緒も何の用件かはすぐに悟ったようで、すっと表情がなくなった。


「なあ、ナナ。俺が言うのもアレだけどさ……」


き、と向けられた瞳が「そう思うのなら言わないで下さい」と訴えている。

けれど葵は続けた。


「許してやってよ、雪弥のこと。ほんとに、単なる悪ふざけだったと思うんだ。あいつ、ナナのことすごく可愛がってるだろ、その延長で、」

「……なんで」


恨めしげな声音に、意志がぐらりと揺らぐ。

俯いた後輩の瞳は、見間違いでなければうるんでいた。


「なんで、アオさんは……ゆーきゃん先輩の味方ばっか、するんですか」

「いや、別に、そんなつもり、」

「ずるいです。アオさんも、みんなも、おれが心狭い、みたい、な……っ」


声が詰まってしまったことに、自分でも焦ったのか、七緒はぱっと踵を返した。

ぱたぱた階段を駆け上がる音が聞こえなくなって、葵はようやく息をつく。

七緒の言ったことは正しい。明らかに、悪いのは雪弥であって、なのに周りは七緒に許してやればと呆れたように言う。

銀杏寮の人間は、良くも悪くも、雪弥の性質を知っていた。

気まぐれでおふざけが過ぎる、性に関してはゆるっゆるで、どうしようもないひと。

それを知っているせいか、普段はしっかり者の七緒にしわ寄せがいってしまう。「もう許してやれば。あのひとはどうしようもないんだから、お前が折れなくちゃ終わらないよ」と。

そう、これは「もう大きいんだから」「お兄ちゃんでしょ」といった意味に近い。違うのは、実際はそれを求められる七緒の方が、年で言えば下だというところだ。

それなのに、大人になりなよいいじゃないあのひとはお前のがいい子なんだからと寄ってたかって。

七緒には可哀そうだけれど、雪弥のどうしようもない部分を、みんな割と愛しているのだ。だから、無意識に甘やかしてしまう。


「(だからって、七緒に「折れろ」って言うのは違うんだよな、無茶ぶりだよな)」


どうしたものか、とため息をついていたら、食堂から虎徹が顔をだした。


「あ、テツごめん、聞こえてた?」

「聞こえはせん、けども、なんとなくわかった……あいつ、昨日ちぃっと喋ったけども、だいぶ参ってるようじゃったから」

「まじか……そうだよなぁ……」


葵がしょんぼりしたのを見てか、虎徹はあわててつけたした。


「すんません、別に、あいつよう泣きよるけぇ、その、葵さんがそがぁに気にするこつなかです」


あまり敬語の得意でない虎徹が、あわあわ慰めてくるのがおかしくて、葵は少しだけ笑みを浮かべた。


「ナナのことはテツに任せた方がよかったかなぁ」

「……雪弥が関わっとったら、あんたがあっち味方してまうのは仕方ないわ」

「……あのさ、俺ってそんなに雪弥に過保護に見える?」


後輩が迷うことなく頷くので、葵はため息をついた。




「……アオさんにまで、言われちゃった」


ルームメイトと思って扉を開けたら、今にも零れおちそうな涙目の七緒だった。


「ラファエルくん、おれ、アオさん、に、までぇ……」


案の定ぼろぼろ涙を流しはじめた七緒を、固まっていたラファエルが動き出し招き入れる。


「なになになになに、もう、お前さ、せめて戸野橋いるときに来いよぉ、俺あんま慰めるスキルとかねえよお」

「ぶえええええ」

「わかんねえわかんねえ! 言葉喋れよ……」


かろうじて聞き取れた七緒の言葉からすると、恐らく雪弥とのいざこざを葵に指摘されたのだろう。

ラファエルはこの2週間、彼らの喧嘩を眺めて「まったくめんどうな奴らだなぁ」と思っていた。喧嘩両成敗で、葵あたりが2人ともぶん殴って終わりにしたらいいのに、なんて乱暴なことも考えていたが、目の前で泣く七緒を見て初めて、彼にとってそんなに簡単なことではなかったのだと悟った。

ラファエルからみたら、葵は雪弥も七緒も可愛がっているけれど、並べたら雪弥をとるだろうことは分かり切っていた。それでも、七緒はきっと、葵は中立でいてくれると期待していたのだ。


―――可哀そうになあ、悪いのはあのチャラ男なのに


ぎこちなく七緒の背をさすってやると、少し落ち着いてきたのか、泣き声が嗚咽に変わっていく。


「っく、ごめん、ねえ、ラファ、エルく、おれ、部屋、ナオ、帰れな、くて」


とぎれとぎれの言葉から察するに、ルームメイトいないから、一人ぼっちの部屋に帰ることが出来なかったのだろう。だからってこちらに来られるのは迷惑だが、そんなことを言えば、せっかく収まりかけている嗚咽も泣き声に逆戻りだろうということは、いくら鈍いラファエルでも予想がついた。


「なあもう、諦めちゃえば?」


慰められるのも、諭されるのも、きっと七緒は飽き飽きしているのだ。周りは、雪弥が悪いと分かった上で、七緒に物分かりの良さを求めている。だからこんなに参っているのだ。

だから、ラファエルは諦めてしまえば、と言った。


「もう放っておけば、あんなひと。謝んなくたっていいじゃん。周りがなんて言おうがいいじゃん。もう、縁を切ったと思えばいいだろう?」


それは、七緒の味方をする言葉だった。七緒のためにも、雪弥を切り捨てろという、残酷なほど、七緒の擁護をするものだった。

けれど、七緒は考えるまでもなく、首を横に振った。


「おれも、銀杏のみんなと一緒だよ。あのひとの駄目さを、憎めない」


憎めたら簡単だったのに、という七緒を眺めながら、ラファエルの心は、妙にちくちく痛んだ。

結局、雪弥という人間は、変わりなく愛されているのだ。

なんだかバカらしくなって、なげやりに七緒の背を撫でる。


「そんじゃ、お前から謝るしかないじゃん。あっちは謝れないんだから。犬に噛まれたと思って、忘れてやれば?」


言った途端、間違いだったと気がついた。

きっと彼は、そういうふうに言われるのが辛かったのだ。

七緒の涙が止まった。口元だけで笑って、言う。


「犬に噛まれた方がよっぽど良かった」


だってそうしたら傷が残るでしょう、それを見せればみんな可哀そうにって同情してくれるでしょう。

平坦な声でそんなことを言うので、ラファエルは悲しくなった。

彼は、この状況に参ってきているのだ。普段しない、遠回しな愚痴を吐くくらいに。そして自分は、それをさらに追い詰めてしまった。

考えるよりも先に、言葉が口から零れ出た。


「なあ、俺が同情してやるよ。バカな2年のおふざけに巻き込まれて、お前が折れたらみたいな空気になって、すげえ可哀そう」


でも、なあ、七緒。

ラファエルは、白い腕を伸ばして、くしゃりと七緒の頭を撫でた。

撫でられた七緒は、少しきょとんとした、けれど虚ろな表情で友人を見やる。


「お前は別にさ、同情が欲しいわけじゃないんだろう」


ひどく優しい、声だった。


「可哀そうだって思われたいわけじゃ、ないんだろ。自分の痛みを痛みとして捉えてもらえないことが、辛いんだろ。でもそんなの当たり前だ、他人に、自分の気持ちなんてわかるはずがないんだから」


彼にとっては大変なことであって、けれど周りはそうとはとらない。そういう温度差が、ひりひりと火傷のように痛むこと。それをラファエルは身をもって知っていた。

七緒としっかり目を合わせて、続ける。


「わかりあえるなんてこと、一生、ないんだ。可視化出来ないものを、ひとは恐れる。自分の中にあるならまだしも、他人の気持ちなんて、受け付けるはずが、ないんだ」


だから、わかってもらえるだなんて期待を、最初からしなければいい。信じなければ早い話だ。

不器用なラファエルなりの、精一杯の慰めだった。


「そういうもんだってわかってれば、傷つくことはないよ」


もう一度、触れる程度に撫でると、七緒の無表情が、ゆっくり、溶けるように歪んでゆく。

黒い瞳が、ゆらゆらと揺れて、そうして、頬に一筋のわだちを描いた。


「え、」

「ら、ラファエルくんは、そうしてきたの。ずっと、そうしてきたの」


疑問形のような、けれどそうではない、確認のような言葉に、ラファエルは言葉をなくした。

ぽろぽろ零れる涙が、酷く綺麗だ。七緒はすでに、自分のことで泣いていない。ラファエルの発言に、どう思ったかは知らないが、涙しているのだ。


「わかりあえるはずがないだなんて、そんなふうに思ってたらだめだよ。そりゃ、それはすごく難しいし、出来ないことのが多いけど、でも、それでもひとは、わかりあってしあわせになるために生きているんだよ。わかりあうことをいっしょうけんめいがんばるんだよ」


幼い子供のような口調で、縋りつくように言われて、ラファエルは何故か泣きそうになった。

七緒は、邪魔だとばかりにメガネを外し、乱暴に涙を拭いた。

伸ばされた腕が、背中にまわる。


「あきらめ、ないで」


お前の話してたのに、なんで俺のことになってんだよ、とか。

そんなふうに考え押し付けるなよ、とか。

浮かんだ言葉はいくつもあった。

けれどそのどれもがこの場にそぐわないような気がして、ラファエルは口を閉ざしたままだった。

されるがままに、抱きしめられて。七緒の背中に回されそうになった白い腕は、だらりともとに戻された。



きっと一分に満たなかったであろう、その時間は、けれどラファエルにはとてつもなく長く感じた。


「…………あのさ、ラファエルくん」

「……なに」

「どのタイミングでおれ、離れようか……」

「知るかよっ。もう、落ち着いたんなら離れろよ!」


言われた通りに離れた七緒の頭を、ちょっと強めにはたく。


「ぎゃっ、何!? 頭叩くと馬鹿になるんだよ!?」

「もう馬鹿だろ! タイミングはかれないようなことするなよ!」

「ごめん、なんか抱きしめたくなった……」

「早く部屋戻れや!」


赤面したラファエルがべしべしと叩いてくるので、七緒は悲鳴をあげて立ち上がった。

さきほどまでのもやもやした気持ちは晴れたが、今度は違うもやもやが心を覆う。


「(ラファエルくんは……どうしてあんなこと言ったのかしら)」


信じなければ……だなんて。厄介なのが、どうやら彼はあれで慰めているつもりだったらしい。


「(あれで、わたしの心が晴れると思ったんだ……本気でそう思ってるんだ。違うよ、違うよラファエルくん)」


そんなの悲しい、と思いながらドアを開け、そして、


「……あ、戻るの?」


ドアの向こう側にいた由良が、もじもじしながら聞いてきた。


「うわあっ、由良くん! いたの!? 超びびった、ってかなんでそんなとこにいるの?」


ぴょこんと飛び上がった七緒は、心臓に手をあてて後ずさった。ラファエルも怪訝な表情でルームメイトを見つめていた……が、何かに思い当ったのか、首も耳も真っ赤にして口をパクパクした。


「と、とのは、し、お前いつから……」

「……ごめん正直言うと一回開けたけどなんかお取り込み中だったから閉めてここで待ってた」


ラファエルは入り口に背を向けていたし、七緒はメガネを外して泣いていた。気付かなかったのだ。

顔を見合わせた七緒が、数秒遅れで意味を理解したのか、予想外にも頬を赤く染めた。


「えっ、今の見てたの! ぎゅってしてるとことか見てたの!?」

「っ、ぎゅっとか言うな!!」

「う、わ、ぁ……由良くんのばかぁっ!」


理不尽な捨て台詞を吐かれた由良は、逃げ去る七緒を見送ってから、ラファエルの方を向いた。

ひどく気まずい、沈黙がながれる。

いっそのこと七緒が「え? なに? なんかおかしいことあった?」みたいにとぼけてくれたらよかったのに、彼は恥ずかしそうに赤面し、言葉少なに逃げて行った。では残された2人はどうしたらいいのか。


「……仲が良いって、よいことだと思うよ!」

「うるさぁい!」


至って普通の関係を築いていた404号室の2人が、初めて必要以上の声量で怒鳴り合った瞬間だった。



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