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70、中立


「そんでね、今話してたのは、保護者についてなんだよ」


思い出したようにおっかさんが言いだした。そういえば、七緒が降りてきた時は、なにか言い合っているようだった。


「保護者?」

「そう、おじいさんが亡くなられたから、テツの保護者はいなくなった。今は一応、そのおじいさんの息子さんが保護者ってことになってるんだけど……」


ちらりと虎哲の顔を見やると、筆文字で「嫌悪」と見えた気がしたので、すぐにその人とはソリが合わないんだなと理解した。彼は、もったいないことに、喜びなどの感情はでにくいくせに怒りなんかははっきりと浮かび上がる顔だった。


「だからさ、後見人っていうのかな、それに、俺がなりたいなって」

「え? おっかさんテツくんの保護者になるの! いーなぁ!」


叫んだ途端、軽くおでこを叩かれる。不機嫌そうな虎哲だ。


「痛い! そうやって手ぇだす!」

「加減はした。ていうか、まだ決まっちょらんし」

「えーでもいいじゃん、おっかさんだったらさ。テツくんもおっかさん好きでしょ?」

「なんかめんどくさそうで」

「どういう意味だよ」


言葉通りの意味だけどなあ、と思いながら、それでも、そりの合わない親戚よりか良いと思う。

……でも、おっかさんは寮の管理人であって、なんだかそういうひとと法的に特別な関係になるってどうなんだろうか。と、思って、頷けないのである。

それを伝えられる器用さも、素直さも、虎哲は持ち合わせていない。


「今だって、似たようなもんじゃろ。保護、観察なんとか」

「そうだよ、でもそれはそれ以上でも以下でもない……まあ、ひとつの案ってことで、ね、テツ。ほん

じゃ、2人とももうお眠り。もう何時間も寝られないよ」


無理じいはしたくないのだろう、すっぱり話題を切り上げると、おっかさんは虎哲の使った食器を下げた。


「ナナも、いいから寝なさい。やっとくから」


七緒が洗おうかと申し出る前に、それを察しておっかさんは笑う。


「はあい、おやすみなさい。テツくん、行こ」


虎哲の腕を引っ張って、立ち上がらせる。そのまま階段を二階まで上ったところで、七緒は振り返った。


「ごめんねテツくん」

「はっ? ……なにが?」

「なんか、くだらないことで騒いでて……巻き込んで」


ああ、と虎哲は納得した。雪弥とのことか。

確かに、直哉の次に被害を被っているのは、おそらく自分だ。


「まあ別に……ほんでも、謝れるうちに謝った方がええぞ……謝るっちゅーよか、仲直りじゃな」


お前らの場合、と付け足す虎哲に、違和感を感じる。そうして、先程聞いた彼の境遇を思い返せば、それはとても重みのある言葉だった。

七緒もわかっている。こんな喧嘩長引かせてもいいことないし、周りに迷惑かけるばかりだ。

……でも、それでも。


「……でもね、おれ、どうしても許せないの自分でもびっくりするくらい、曲げられないの……!」


ほとんど一息に言うと、七緒はしゃがみこんだ。

友達と喧嘩をしたことなんて片手で足りるくらいだ。それもお互いに非があることで、今回みたいに訳のわからない喧嘩を売られたわけではない。

考え方が固いと思うが、どうしても、傷つけられた側の自分から謝るほどの理由が見つからなかった。


「ばかみたいと、思う?」


見上げてきたその瞳が、きっと本人は気づいていないだろうが、「肯定しないで」と懇願しているように見えたので、虎哲は口元が緩んでしまった。


「……思わんよ。わしにとってはくだらんこつじゃけんど、お前にとっては大切なことじゃったんじゃろ。ほいじゃあ、無理するたぁねぇ。ほれ、さっさと部屋戻れ」


頷いて、立ち上がる七緒。ほっとしたのか、でもすまなそうに笑った。


「テツくんは、優しいね。ありがとう……おやすみなさい」


七緒ははじめて理解されたことに、心から安堵した。周りが、あんまりにも自分に折れろと言ってくるひとばかりなので、自分の方がおかしいのかと思い始めていたのだ。


―――でも、おかしくないよね、わたし、悪くないし怒ってるもの


妙に決意に満ちた顔を見て、虎哲はあれ、と思った。さっさと仲直りしろよ派なのに、余計なことを言ってしまっただろうか。

それでも、少し軽くなったように歩き出す七緒の背中を見送って、まあいいかとため息をつく。銀杏の人間はほとんど雪弥の性質をわかっていて、だから物分かりの良い七緒に折れることを求めてしまう。自分くらい、現状そのまま認めてやってもいいかと考えたのだ。


「(弟がおったらあんな感じじゃろなあ)」


ふと思ってしまってから、自分で「気色悪ッ」と突っ込んだ。




「よほど強い想いだったんだろうな」


ロウが言う。二段ベッドの上の段では、直哉がすやすやと眠っているので小声だ。


「でもあいつの魂は健全だ。心配要らない」

「どういう意味?」

「近しい人間、それもたったひとりの理解者、もしくは保護者――法的なものでなく、あいつ自身を認め、いつくしみ、育てる者のことだ――を失って、自暴自棄になった。でもそれはおそらく後悔や申し訳なさとか、自分が情けないだとか、そういうものだ。間違っても、後を追おうなんて考えるタイプじゃない」


単純で真っ直ぐなのだと言う。確かにそうだ……言葉に表すのを面倒がる虎哲は、やっぱり言葉より先に手がでる性格には変わりなくて、血が上りやすくもある。それにしては七緒たちにそれを見せない気遣いもできて、面倒見が良い。不良という人種であるとされるけれど、多少の暴力は置いておいて、盗みやカツアゲなんてことはしない。


「……身内には優しいし、テツ君の基準でホントに悪いことはしないよね」

「そうそう。あいつは誰に近いかって言ったら、直哉とか彰人だぞ。そういう、男らしい真っ直ぐさだったら誰よりあると思う。でも多分まだ反抗期。周りがそうさせたんだろう。

とにかく、死の痛みってのは、時間が一番確実に解決する。傷は残るが痛みは確実に薄れるんだ。……だから、お前が同情的な態度をとらなくて良かったと思う」


うんうん、と頷きながら聞いて、でも最後の最後で七緒は「ん?」と首を傾げた。


「……最終的に、わたしへの励まし?」

「まあそういうふうにとれたならそうかもしれないけど。……うっせーな、ニヤニヤすんなよ!」


わあツンデレだぁ、と笑みを隠せない七緒を、ロウは小突く。最初から最後までそのつもりで話していたのだけれど、改めて聞くこともないじゃないかと思う。


「ふふ、ありがとうねぇ。うん、もうわたしも元気でたよ。ロウおやすみぃ!」


上向きになったテンションのまま、七緒は少年姿のロウを抱きしめてから、すっぽりとベッドに入りこんだ。いきなりのスキンシップにぽかんとしていた天使は、相棒をひと蹴りしてから(「痛っ!」)同じく布団に潜り込み、ぬいぐるみに変わった。すっかりその場所が彼の定位置になっていた。


「ロウ、あのね」


聞こえるか聞こえないかの音量で、七緒が呟く。


「わたしテツくんとか、ナオとかラファエルくんとかアオさんとか……ゆーきゃん先輩も好きだよ。友達の助けになりたいよ」


独り言のような語り口調に、ぬいぐるみは無表情のままだ。


「優しくしたいよ……」


お前は充分優しいよ、だって優しくないひとはそんなこと言わない。

言いかけて、やめた。そう言ったとしても彼は素直に頷いてはくれない。



―――ひとって、難しいなあ



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