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67、未だ続く

 

 

あ、この空気やばいな。

直哉は食堂に一歩入った瞬間、直観的にそう思った。


「どうしてそういうこと言うんですか? 不愉快なのでやめて下さい」

「不愉快なのはこっちだよ、せっかくの夕飯どきにぺらぺらぺらぺら、うるさいんだよね」


机を挟んだ対角線上で、七緒と雪弥が睨みあっている。

自主トレから帰って来た陸上部一年たちの中に直哉の姿を見つけて、七緒の隣に座る五十嵐が、助かった、というふうな顔をした。


「あーナオ、トノ、イワちゃんおかえり! 遅かったなあ、どこまで走ってきたんだー?」


あからさまな明るい声に同調するように、周りに居た寮生たちも口々におかえりを言う。

葵の姿がないことに気がついて、陸上部3人は顔を見合わせた。途端、戸野橋と岩平は示し合わせたかのような素早さで両サイドに回って席を確保したので、出遅れた直哉は七緒の右隣に座ることになってしまった。

素早く見渡せば、3年生の姿は見えず、2年生も雪弥と、嫌な空気に挙動不審になっている鹿取、そして眠そうな東條だけだ。2年がなんでこんなに姿が見えないのかは知らないが、確か3年は放課後に行われる模擬テストに一斉に出ると言っていたはずだ。


「(くそ、一旦部屋に戻れば良かった)」


心底後悔しながらも、直哉は笑顔で七緒を振り返った。


「ねえ、今日の夕飯なに―――」

「見ればわかるでしょっ!」


吐き捨てるように怒鳴る七緒に、全員がぎょっとする。雪弥だけが、彼を冷ややかな目で見続けていたが、一番驚いていたのは本人なようで、その視線に気付くことはなかった。

喧嘩したその日以降、七緒は一度も八つ当たりをしなかった。強いて言えば、仲直りしたらーと言われる度に「あっちが悪い」と言いかえす声と瞳が、小さな八つ当たりみたいなものだった。

しかし、こんなにあからさまに、第三者に当たることはなかったのだ。



あの後、七緒は酷く狼狽した表情で、直哉に謝った。ゴムでも食べているような顔をしながら素早く食事を終わらせると、みんなの驚きが薄れるよりも前に、食堂から出て行ってしまった。

もうどうしようもない雰囲気に、直哉はついに腹をくくった。


「……なにがあったわけ?」


雪弥がちらりと視線をよこしたが、気にせず周りを見回す。飛丸が、少し迷ってから、直哉たちが帰ってくる前のことを説明した。


「ナナがさ、今日新しい友達と昼飯食ったって言っててさ……それが女子だってんだからみんな盛り上がってたんだけど」

「トビ。黙れよ」


雪弥の冷たい声に、飛丸含め一年生たちがびくりと肩を揺らす。

なんと言ったかは知らないが、えげつない冷やかし方でもしたんだなと直哉は予想した。十中八九当たっているだろう。


「……ゆーきゃん先輩、八つ当たりやめてよ」


多分、1年生の中で雪弥と渡り合えるのは、付き合いの長い自分だけだ。虎哲がいれば彼に任せたが、あいにくその姿はない。頼みの綱の2年生だが、鹿取はすっかり畏縮しているし、東條は我関せずを貫き通している。嫌だなあと思いながらも注意した。


「八つ当たり? してませんけどー」

「その態度がもう駄目だって……ねえ、2人が喧嘩してるとオレ悲しいよ」

「喧嘩してねーし。あっちが一方的に怒ってるんだろ? オレ本当、あいつの態度気に入んない。オレ先輩よ? なんでああまで失礼にできるわけ」

「だってそれはゆーきゃん先輩が……」

「あーはいはい悪者はオレでしたねはいはい悪ぅござんした。ところで謝ってんのに許さないあいつは器が小さいと思いません?」


直哉が口で雪弥に敵うはずもなく、素早い切り返しとマシンガントークに、5分後にはすっかり黙り込んでしまっていた。



コンコン。ノックの音に、七緒は顔をあげた。

ルームメイトである直哉は、いつもコーンと一発叩いて、返事も聞かずに入って来るので、彼ではない。

誰だろうとボーっとしていると、返事がないのに焦れたのか、遠慮勝ちにドアが開いた。


「ナナちょん、いるでしょ?」


独特の呼び方をするその先輩は、ベッドに寝転ぶ七緒を見つけると、ほっとした顔をした。部屋には入らないまま、半開きのドアに体重をかけて言った。


「ごめんねえ、オレさ、ゆっきー怖くて止めらんなかった」


一瞬、何を言われたのかわからなかった。彼は、先程の食卓にいながら、同学年の雪弥を制すことをしなかったのを、わざわざ詫びにきたのだ。

鹿取昴は銀杏寮唯一の特進クラスの2年生である。好奇心旺盛で人懐っこい性格で、学年上位の成績を自慢することもなく、銀杏ではテニス部のマネージャーとしての活動が目立っている。テニス部の新星で銀杏の良心である加賀健斗を可愛がり、同学年では光流と馬鹿をやり、先輩では天才肌同士藤枝と仲が良い。

揉め事に対し、良く言えば平和主義で、悪く言えば臆病。それを自覚しているらしく、酷く申し訳なさそうな顔で続ける。


「オレはさ、びびりなだけなんだけどさ、健太は本当は違うんだよ。健太が本気になればさ、一言言うくらいできたんだけどさ、いかんせん健太今日昼寝してないらしくて……すっごい眠くて、多分右から左に聞き流してたんだと思う。ごめんね」

「いやあの、全然! 全然いいんです、そんなの……いちいち喧嘩売って来るあの先輩が悪いんです。……聞き流せない、おれが悪いんです……」

「ううん、冷やかされるとさ、恥ずかしいのもあるけど、ナナちょんは相手の子に失礼だっつって怒ってたでしょ。すごいかっこよかった。オレあんまり知らないけどさ、今日のはゆっきーが悪いよ」

優しいフォローに、七緒は小声で礼を言った。しかし、次の言葉に目を見開く。

「ね、ゆっきーと仲直りして。あいつ許してやってよ」


雪弥が悪いと言ったその口で、何故そんなことを言えるのか。そんな気持ちが顔に出ていたのか、昴はぶんぶんと両手を振った。


「ナナちょんが悪くないのわかってるよ、みんなわかってる。でも、さ、ゆっきーってあんな性格だから、謝ったりするのすごい苦手なんだ。だから、」

「だからって、おれが折れる理由にはならないと思います! おれ、が、なんで、我慢、しなきゃ……」


始め威勢が良かった抗議も、だんだん尻すぼみになっていった。

わざわざ謝りに来て、心配してくれた優しい先輩。そんな人に、大声で。

かあ、と耳まで熱くなる。


「……ごめんなさ……」

「いやいや、オレの方こそごめんよ!! オレ、なんも知らんのにでしゃばって……」


昴は昴で、顔を赤くして首を振る。お互いに恐縮しあうという妙なことになっていると、低い声が呆れたように響いた。


「なにしてるん」

「うっわあ」


部屋の中にいた七緒はともかく、入口で佇んでいた昴は背後からの迫力ある声に飛び上がった。

半分閉まっていたドアから顔をだしたのは、虎哲だ。


「びっくりしたああ、テツかあ! 次それやったら怒る! 怒るから!!」


本当に驚いたようで、昴は小柄な身体をさらに縮こめて、左胸を押さえていた。


「もおやめてえ、お前のこえ耳元で聞くとすっげえ怖いの!」

「知らんわ……」


そこまで驚かなくてもええのに、と思いながら、視線をこの部屋の主に移す。昴ほどではないにしても、七緒も少なからず驚いたようで、メガネの奥の瞳が瞬きを繰り返していた。おそらく、普段虎哲の方から部屋を訪ねないから、というのもあるだろう。


「テツくん、えーと、おかえり。ちゃんとご飯食べた?」


親じゃねんだから、と内心ツッコみながらも、「もう食べた」と頷く。


「明日、さ。わし、帰って来るんがぶち遅くなるけぇ、夕飯戸棚にのけといて」

「わかりました」


かしこまって了解したあと、七緒は首を傾げる。


「……本当珍しいね、テツくん、結構遅くなっても言わないじゃない、そういうこと」

「そうだよね。お前平気で11時とかに帰ってくるもんね。なにしてるの?」


昴も怪訝な表情で問いかける。

部活や行事前でなければ、門限は九時だ。帰宅部の彼は、しかし頻繁に帰りが遅くなるし、やはり頻繁に授業もサボっている。

ちょくちょくおっかさんに叱られてはいるようなのだが、本気で怒られないギリギリの範囲で、フラフラしている感じだ。


「もしかして、柳井くんとかと遊んでる? 他校に友達いたりする?」

「もしかして、彼女でも出来たの? どんな子? 他校の子?」


七緒と昴から同時に聞かれ、両方とも聞きとれてしまった虎哲は、どっちから突っ込むべきか一瞬考えてしまった。


「しゃーしい」


考えた末にそれだけ言うと、踵を返す。

背後から「えー教えてよう」「けちー」なんて声が聞こえて来るが、答えられる気分でもないので無視した。

よりにもよってあの緑頭の柳井なんかと遊ぶはずないし、彼女なんてもってのほかだ。硬派だけれど早熟ではあったので、高校に入る前には何度か女の子とそういう感じになったこともあったが、今では全くと言って良いほどない。本人も今のところ女性を必要としていないので、特に何とも思っていなかった。


「テツ。テツ!」


階段まで来たところで、昴がぱたぱたと追い付いてきた。彼の部屋は確か3階なので、帰るついでなのだろう。ふと、そういやなんで昴はあそこにいたのだろう、と思い当った。


「なにしてたん? 七緒の部屋なんかで」

「ん? あー、さっきさ、食事んときにゆっきーとひと悶着あってさ、オレ、ゆっきー止められなかったから」


伏し目がちに言う昴。虎哲はそれを聞いて、食卓が少し妙な空気を残していたのはそのせいか、と納得がいった。


「オレ、ナナちょんに無理言ったかもしらん……ゆっきー許してやってくんないって」


空気を読まない天然な発言が多い昴だが、その一方でとても気にしぃだ。あっけらかんとした表情の下で、驚くほどネガティブになってしまうことがある。

頭の良い奴は気苦労も多いなあ、と思い、らしくはないことは分かっていたが、フォローの言葉を口にした。


「あれはどっちもどっちじゃけぇ、気にしたら負けじゃ」

「あれえ、テツが慰めてくれてる気がする……明日は槍でも降るんじゃない」


ぎろりと睨むと昴はぴょんっと飛び上がって、「うわああああテツがこわいいいい」と言いながら階段を駆け下りて行った。


「(頭良い奴って、なんか馬鹿だよな……)」


そうかこれが紙一重というやつか、と、虎哲は1人納得した。


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