64、アルマジロン
「ナナ、機嫌良いな」
一昨日から言われ続けている言葉に、七緒は一昨日からずっとそうしているように、首を傾げた。
「そう見えるう?」
「うっぜーー! 何その顔、殴りたい」
「圭介ひどぉい! でも許しちゃおっ」
「……まじなんなの、怖い」
気味わるがっている圭介の後ろで、栄人は小声で虎哲に問いかけた。
「もしかして、寮の先輩と仲直りしたとか?」
「や……そんなんしとらん。けど機嫌良くって気持ち悪い」
虎哲も七緒の様子がおかしいと思っているのか、いつもより受け答えが素直である。
なにがあったのかは知らないが、三日ほど前から七緒は妙に機嫌が良い。虎哲もはじめは栄人と同じように、雪弥と仲直りしたのだと思っていた。
ところがどっこい、銀杏寮内での冷戦は未だ続いている。それも、状況は悪化しているといっていい。
しかし何故だか、七緒は機嫌が良いのだ。
そのせいか、雪弥の面倒くさい嫌味も、以前は反論していたが今では完全にスルーだ。おかげで雪弥の方がイライラを発散出来ず、表情にあからさまな苛立ちが出るようになった。
「あ、ねえねえところでさぁ、明日ってどんな感じなの?」
ニコニコした顔のまま、七緒が振り向いたので、栄人と虎哲はびくりと肩を揺らした。
「え、明日? ってなんかあったっけ?」
「アレじゃろう、……公開授業」
突然の話題の転換に戸惑う栄人に、虎哲が呟いた。本来なら彼も覚えてはいなかっただろうが、昨晩銀杏でその話がでたため、すぐにわかったのだ。
「あー、そんなのあったな。アレじゃないの、授業参観みたいなやつじゃないの? 俺たちだってまだやったことないよ」
「ああそうなんだ。見学の中学生とか来るとか言ってたけど」
「あ、オレ去年の秋にそういうの参加したわ! 授業やってるとこ眺めてー、そいで昼から説明会とかあるやつだろ」
「あーそういうやつ? じゃ、何も特別なことはないんだ?」
「短縮授業だよ確か。騒がしくできないから部活もないし」
「えっ、本当!? ラッキー」
「そういや部活ないって言ってたな……な、そんじゃあ放課後遊ばねえ?」
「ああ、俺ちょうど行きたい店あってさ。商店街からちょっと入ったとこに新しく出来た……」
「もしかして「わっしょい」?」
「そうそこ! 麺屋わっしょい! 行ってみたくね?」
「オレ見たことないけど、尾賀ちん達が行ったって。超上手いって言ってた! じゃあ決まり、ナナも行くだろ?」
「あっ…………ええと、」
ヴヴヴ、と七緒のケータイが震える。ぱかりと開けて3秒ほど画面を見つめると、申し訳なさそうに両手を合わせた。
「ごめん、明日は無理……用事あるの」
「まじかよー! なんだよお」
圭介は酷く残念そうに目を伏せた。彼は普段土曜は部活があるので、学校帰りに昼ご飯を食べに行くことは滅多に出来ないのだ。
「泣くなよ圭介、一緒に行ってやるから」
「泣いてねーけど! ていうかナナ珍しいね、朝から何度もケータイ見んの。もしかしてそのメールの相手と会うの?」
「そうなの! その子も忙しい子だから、なかなかゆっくり話せる機会なくって……ごめんねっ圭介、今度ペットショップ巡り付き合うからね!」
「それお前が行きたいんじゃないの!?」
騒ぐ圭介と七緒は放っておいて、栄人は彼らを眺める虎哲に話しかけた。
「水城も行く?」
「は? いや、どうじゃろう……商店街か……」
割と最近商店街で騒ぎを起こしている虎哲は、まだマズイかなあと辞退した。
辞退の理由がわかる七緒は、虎哲に苦笑してみせる。しかし他の2人が理由を知るはずもないので、圭介は口を尖らせ、栄人は残念そうな顔になった。
「えー、なんだよぉ、2人きりかよ!」
「なんか気持悪ぃなあ」
……と、そういった具合で、栄人と圭介は一緒に昼飯を食べることになったのだが。
ただいま土曜の昼過ぎ。彼らは目的地のすぐ手前で、茫然と立ち尽くしていた。
視線の先は、とある喫茶店の窓際の席。
「……あれって、」
「……だよな、あれって」
―――ナナと、木吉さん、だよ、な?
「ごめん、待った?」
「いや、今来たとこ」
……なんて、漫画のデートみたいな挨拶を交わした七緒とマリアは、足早に校門付近から立ち去る。半歩前を歩くのはマリアで、七緒はどこへ向かうのか知らなかった。
「どこ行くの?」
「商店街のアルマジロンていう喫茶店。オレ、マリオだったとき、ちょっとだけそこでバイトしてたんだ。客層ちょっと上だから、倫葉の奴は来ないと思う」
「あるまじろん」
「そう、店長が、50過ぎの細いオッサンなんだけど、爬虫類が好きらしくて」
「……でも、アルマジロって哺乳類だよ? 確か」
「そうそう、ネズミだっけ? だのに、爬虫類と勘違いしてたんだって。超アホだけど優しいから、知り合いってことでコーヒーおまけしてくれんの」
これがまた美味いんだ、と笑うマリアに見とれて、七緒は言った。
「マリアはさ、モテるでしょう」
「うーん、まあね」
さらりと、謙遜するでもなく、かといって自慢げでもなく、なんでもないことのように肯定した。彼女はきっと、マリオだった時から、モテていたのだ。
「(……それ、かなぁ……)」
「ああ、あそこだよ」
七緒が考え込んでいると、いつの間にか商店街まででていたようで、目的地が見えてきていた。
割と古い建物が多いこの商店街の中でも、アンティークといった意味で、その店は一番古かった。
こじんまりとした3階建てビルの1階が店のようで、その部分だけ妙に茶色っぽい雰囲気の物でまとめられている。通りに面した、あまり大きくない窓から見える店内は、少し薄暗いけれど、綺麗に暖色でまとめられていた。
「……ね、ランチセット的なの、高い?」
お財布に厚みがない七緒は不安になったが、マリアはケロリとした表情で首を振った。
「そりゃ、ファミレスよりは割高だけど、そんなにではないよ。1000円には収まるし、出来ればだけど俺がこっそりバイト用のまかない頼んでやるから」
1000円に収まるったって、私的には高いんだけどな……と苦笑しつつも、マリアに「ほら」と扉をあけられたので、大人しくついて行く。
店内は、思った通り、アンティーク調にまとめられた、大人な雰囲気だった。
黄色がかった照明と、その下をまわる大きな換気扇。ゆったりとしたクラシックがかかっており、主に2人掛けの小さなテーブルが、ランダムに置いてある。
「うわ、結構人いるな」
「お昼時だからねぇ……」
マリアが言っていた通り、客層はマダムと言われる年代の人ばかりだ。そこに制服姿の若い男女が入って来たものだから、常連らしい、入口に一番近いテーブルにいた女性たちが、物珍しそうに2人を見た。
「……すごく、アウェイです……」
「大丈夫、心配すんなって」
怯える七緒をマリアが励ましていると、奥から初老の男性が出てきて、2人を見てにこりと笑った。
「おや、マリアくん。久しぶりだねぇ、彼氏かい?」
彼氏、と言う言葉が自分を指しているのだと気がついてない七緒は、きょとんとした。いっぽうマリアは慣れたように、手をひらひらと振った。
「ちーがうちがう。ちょっと知り合いでさ、恋愛相談のってくれって言うから。店長、他の席から離れたとこでお昼食べてもいい?」
「いいですよ。さあこちらへ」
誘導されながら、七緒は小声でマリアに問いかけた。
「なに、恋愛相談って!」
「それが無難だろ。普通に友達っていうより、恋愛相談するような友達ってした方が勘違いされない」
納得いかない顔の七緒に、重ねて言う。
「つまり今現在お互い恋愛対象じゃないってこと。要らん冷やかし受けるより良いだろ?」
「ああ、そーいう……」
しかし、通された席は、決して目立たないとは言えない、通りに面した大きな窓の横だった。
「……いやっ、店長、確かに他の席とは離れてるけど」
「ごめんごめん、でも正直今はここしか空いていないんですよ。お昼時ですから。大丈夫、通りから見えるけれど、人は案外窓際に座る人の顔など見ないものですよ」
七緒とマリアは顔を見合わせ、大人しく席についた。それを見て、店長は満足げに頷き、恭しく頭を下げる。
「自己紹介が遅れましたね、マリアくんの友人さん。僕は伊藤富士介と申します。マリアくんとは、彼女が年齢を偽ってバイトに入ったときからのお付き合いで」
店長、とマリアが慌てて声をあげ、七緒は驚いて彼女を見た。
「バイトって、高校になってからじゃなかったの!」
「若気の至りだよ! 二週間でバレたって。っつか店長もさぁ、わざわざ言わなくていいだろ、そういうこと!」
「こら、マリアくん。乱暴な言葉は使わないと約束したはずですよ。年頃の女の子なんですから」
静かな口調で諭されて、マリアはひどく狼狽した顔になった。
彼女の気持ちがわかった七緒は、2人の間に割り込むように、ぺこりと頭を下げた。
「初めまして、戸塚七緒と申します。マリアさんとは実家が近いのですが、高校で初めて知り合いました。今日は彼女に相談があって、無理矢理行き着けだというこのお店に連れてきて頂きました。富士介さん、今後もよろしくお願いします」
丁寧すぎる挨拶に困惑するマリアだが、一方の富士介は満足げに頷いた。
メニューを七緒に2つ渡すと、「お冷やをお持ちしますね」と下がっていった
。
「え、何。今の何……」
「丁寧に挨拶してみた」
七緒がさっさと席についたので、マリアもそれに続いた。メニューを受け取ってから、その上から目だけ出し、問いかける。
「何、今の!」
「だからさぁ、最初の印象って大事でしょ。私がいつまでも挨拶しないのおかしいし、丁寧すぎるくらいが良いのよ、年配のひとには」
それだけじゃない、庇われたな、と気づいていたマリアは、軽く七緒を睨むと、メニューを立てて顔を隠した。
「……いいけど、女言葉、でてるぞ」
「あっ。危ない……ってか、マリアだって、結構男っぽいよ?」
「男っぽい女は多少許されるけど、女っぽい男は気持ち悪いって言われるだろ」
「……気をつける」
お互いに同じようなことを煩わしく、息苦しく思っているのだ。
2人はそれぞれメニューから目だけ出して、苦笑した。