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閑話



夕飯後、なんとなく集まってしまった二年生たちは、それぞれ難しそうな顔で腕を組んでいた。

喧嘩勃発から3日が経ったが、雪弥と七緒は未だ冷戦状態であった。


「……なんかさあ、予想以上に空気悪い……よな?」


花岡が呟くように言うと、全員が頷く。


「ナナがぴりぴりしてると、食卓全体にそれが降りかかるし……雪弥は雪弥で、ちょいちょい喧嘩ふっかけるだろ。居心地わりー!」


七緒はもうすっかり食堂での仕事にも慣れ、その他の細かい頼まれごともこなしていた。寮生たちの方でもそれに慣れてしまい、小さなおっかさんがもう1人いるような、そんな感じになっているのだ。そのため、おっかさんがお怒りの時のような、所々での二次災害が起きる。

雪弥は雪弥で、よせばいいのに七緒がいる場所にわざわざいって、細かい喧嘩をふっかける。七緒はそれを買わないが、イラつきはするようで、所作や言葉遣いが乱暴になる。


「ナオもさぁ、なんかおかしいよな。言い合いの現場にいたからかもだけど、2人の顔色見て困ってるし」

「あいつどっちとも仲良いもんなぁ」


可哀そうに、二次災害の一番の被害者は当然だが七緒と同室の直哉だった。しかし彼の性格から、七緒を1人にするのも気が引けるようで、さらによせばいいのに一日一回は言う「仲直りしたら?」の台詞によって彼の怒りを増幅させてしまい、すっかりへばっているのだ。


「ていうかさ、女子かよ! みたいな喧嘩の仕方するね、あいつら」


お茶をすすりながらの鹿取の一言に、全員心の底から同意する。ほんと、女子には悪いけど、「女子かよ!」みたいな喧嘩である。

寮生活に、なんらかの不和はつきものだ。同世代の男子が集まっていれば、年に何回かは派手な喧嘩も起こるし、どうにも仲の悪い者たちもでてくる。

今回のパターンは、「喧嘩」の中でも性質たちが悪い。


「殴り合って気がすんでくれりゃいいのにな」

「そういうタイプじゃないからなぁ2人して」


七緒の運動音痴は体育初日の武勇伝が噂になっており有名だし、雪弥は3年の藤枝の次くらいにひょろい、もやしっ子だ。

ならばもう少し静かにやってくれればいいのだが、二次災害が多いのと、あまりにも最初が騒ぎすぎたため、寮の誰もが「どうなることやら」とハラハラしている状態である。


「ねえねえじゃあさ。雪弥になんか言う? 言わない? 言った方がいいと思う奴挙手」


このままでは愚痴るだけになってしまう、と多数決を提案したのは、蓮川はすかわ正則まさのりだった。彼は次期テニス部部長と期待されるだけあって、脱線しかけた話を戻すのが上手い。

手をあげたのは、ちょうど4人―――雪弥を抜かした2年生の半分―――だった。


「ていうか、言うのは雪弥だけ? ナナちょんには言わんの」


手をあげなかった鹿取が、きょとんと首を傾げる。


「1年に言った方が良くない?」

「じゃあすばる、お前言える?」


蓮川の切り返しに、鹿取はぶんぶん首を横に振る。自分は後輩を窘めるようなタイプの先輩ではないし、なにしろ今回は明らかに、雪弥の方から仕掛けた喧嘩である。


「それに、ナナちょんに真面目にそゆこと言うと、泣かれそう。じゃね?」

「あーわっかるわぁ、確かに泣きそう。つーかお前、それやめない? そのナナちょんて。イントネーション逆だしさ」

「ナナちゃんよりナナちょんのが良くね? チュウもそう思うだろ?」

「基準わからんすぎる! ってゆーかオレのことチュウって呼ぶのもお前だけだしね!」

「その話はいいから」


光流と鹿取を黙らせると、蓮川は深見を振り返った。


「なあ、誠司さ、雪弥と前から一緒だろ? 言ってやってくんない、ほどほどにしとけよって」


二年生の中で、持ち上がり組は雪弥と光流、そして彼の3人だけだ。特に雪弥と深見は初等部からである。

深見は肩をすくめた。


「おれはいいけど……アオさんに言ってもらった方が良くない? 雪弥、アオさんの言うコトなら聞く……ってか、ほぼアオさんの言うコトしか聞かないじゃん」


尤もな意見ではあるが、それは最終手段だと蓮川は首を振った。


「アオさんだって忙しいしさ……雪弥もそろそろ本気でアオさん離れした方がいいよ」


まるで飛べない小鳥のように、雪弥は親離れ―――否、葵離れが出来ていない。寮生はそれぞれに、優しく頼れる葵を信頼しているが、雪弥のそれは他と比較出来ない。



「……オレさ、ぶっちゃけていい? ゆっきーはアオさんが好きなんだと思ってた」



同室である新一の背中に凭れ、話に参加しているんだかいないんだか微妙だった健太が、唐突に呟いた。

全員心当たりがあったのか、黙り込む。


「でも多分、あのひとたちって兄弟みたいな距離なんだよね。ゆっきーばっかり凭れてるのかと思ってたけど、アオさんもゆっきー頼るじゃん、そんでゆっきーは応えるでしょ。だから、良いなーと思うの……」


普段無口な彼にしては長く喋り過ぎたのか、一度けほんと咳き込む。


「そんでさ、えっと、アオさん行動早いから、もう言ってると思うんだよ。テツとかも。ナナに謝れーって。でも、それでもそうしないってことは、今回は相当なんじゃないの? アオさん離れっていうか、ちょっとなんか従えないってか……」

「……ナナじゃなくて?」


新一が首を傾げる。普段穏やかな七緒の方が、「相当」で、折れないではないかと思っていたのだ。おそらくほとんどの寮生がそう思っているはずだ。

しかし逆だと、健太は言う。


「ナナももちろん怒ってるんだと思うよ。ゆっきーが悪いんだし。……でもさあ、おかしいじゃん。まず何よりも、ゆっきーが喧嘩吹っ掛けることなんて無いじゃん。しかも結構際どい方法で」


際どい、の意味がわかって、新一は少し目を逸らした。

雪弥は、恋愛対象が広い。年齢という意味だけでなく、性別である。男女共に彼の恋愛対象であり、彼はそれを公言している。だからこそ、決して雪弥はその範囲に寮生を入れない。同じ屋根の下で生活するんだからそれがマナーだ、と分かるような分からないような理由で、自他共に認める遊び人ではあるが、寮生には手をだしたりしなかった。例え冗談であっても、キスなんて、ここ銀杏においてのみ、絶対にしない人間なのだ。


「だから、なんていうか、真面目なナナが真面目に怒ってるのって、あんまり違和感ないんだよ。らしくない、のは、ゆっきーの方じゃない、かな」


長く喋ったから疲れた、と呟くと、今までより深くルームメイトの背に寄りかかる。新一はいつもなら怒るが、今回は難しい顔で唸った。


「真面目に怒る、ねえ……」


言われてみれば、そうかもしれない。あの一年生は、優しくて面倒見とノリが良い、ちょっぴり天然な真面目くんだ。今までに自分たちが彼のマジギレしたところを見たことがないだけで、もしかするとあの怒りかたが普通なのかもしれない。普段静かなひとって怒ると怖いって言うし。


「……確かに、そうかも」


だろぉ? と健太が首を傾げる。


「なんかあったのかな」

「そういやテスト終わったときくらいからなんか元気なかった気も」

「だったら叱るの逆効果じゃね? あいつそういうとこプライド高いし」

「慰めるとかできねえべ、オレら。理由さわからんし」

「……やっぱ、アオさん……?」

「ああ、やっぱりそこに戻っちゃうのかよ」


あーもう、と全員でため息をついたとき、居間の出入り口からおっかさんが顔を覗かせた。


「うわっ。なに、みんな揃ってるの? そろそろ点呼じゃないか? 何話してたの?」


どうやら彼はもうおねむのようで、ふわふわと欠伸をしながら台所へ入って行った。

コップを取り出して水を飲んでコップを流して、居間に戻ると、十数秒前とまったく同じ格好で二年生たちが固まっていたので、再度驚いた。


「うわあ、もう、何! どうかしたの?」


予期しないおっかさんの登場によって、なんとなく冷めてしまったのだ。まさかそうはっきり言えるはずもなく、さらに色々と案じてプチ会議してしまったのが今更ながら照れくさく、誰もが気まずそうに顔を見合わせる。


「……つーか、俺ら仲良過ぎじゃんね」


鹿取の呟きを合図に、少年たちはわらわらとそれぞれの部屋に戻っていった。



残されたのは、まったく状況がつかめない管理人だけであった。


「……えー……」



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