60、被害者による二次災害
「…………というわけでさぁ、一組まで見に行かない?」
圭介曰わく、少し前に編入してきた女子が、ものすごく可愛いんだとか。
しかし、我が3組と、噂の女子のいる1組は、教室がかなり離れている。現に、ひと月前にやってきたその女生徒を、まだ一度も見ていないのだ。
「1組と3組じゃ、選択授業もかぶらないしさぁ」
「だからって、わざわざ増築棟まで見に行くのかよ…」
栄人はため息をつく。またアホらしい話題を持ちかけられたものだ。
ちなみに、中等部と高等部の校舎は、ふたつの「L」字型の建物を左右対象にして、繋いだ形である。
もとは「H」字型だったらしいが、東棟と西棟それぞれに増築したらしい。1組の教室は、東棟のそこにある。
「いいじゃんかぁ! ハーフなんだってさ、その子。チェックしておかねばなるまい」
「1人で行けば」
「友達がいのねぇ奴だな、付き合えよ!」
「つーかお前、岬さんはどうしたの」
「岬さんは岬さん、木吉さんは木吉さん。ひとを比べるなんて最低だぞ、ハチ」
「このッ……どの口がそんなことを言えるのか…」
言い合いながら、2人は、何故だか物足りなさを感じていた。
「(そうだ、いつもならこの辺りで、ハチがナナに同意を求めるんだ)」
「(ナナが「行ってみようよ~」なんてノー天気に言うから、俺も付き合うことにして…)」
そう、それが、ここ1か月の間に出来た、ひとつのパターンだった。
しかし、今日は。
なんでだろう―――振り向けない。
「(なんでだ、なんか怖い…)」
「(背後から黒いオーラが…)」
圭介たちの進まない会話を不思議に思ったのか、それとも彼女も七緒のオーラを感じたのか。栄人の隣の茜が、身を乗り出して囁いた。
「何かあったの? 君らの後ろ」
ほとんど同時に、2人は肩をすくめた。朝からずっとこの調子なのだ。
「知んない。ていうかアレ、怒ってる…のか?」
「じゃね? だって、目が笑ってねぇもんよ…」
「なぁに?」
猫なで声に、びくりと3人が身を震わせる。
七緒が、きょとんと首を傾げ、こちらを見ていた。笑顔で。
「なっ……ナナ…えーと、何か、あったのか?」
恐る恐る問いかける栄人に、七緒は笑顔のまま答える。
「なにもないけど?」
―――絶対うそだろ!
栄人と茜はそう思うも、しかし、つっこむことが出来ない。
最終手段だ、と、七緒の隣の席を見やる。
虎哲と目が合うが、さり気なく逸らされ、これは大事だ、と思った。
―――だって、水城のあんな困った顔、見たことねぇもん
そのとき、どこからともなく、明るすぎる電子音が鳴り響いて、一同びくりと肩を震わせた。
圭介が慌てた様子でケータイを取り出す。
「お前かよ。マナーにしとけよ、授業中鳴ったら没収だぜ」
「ていうか、着メロが一休さんって…」
茜の冷静な指摘に、栄人は「ああ」と声をあげた。
「どこかで聞いた音だと思った! すきすきすきすきすきっ、すき…」
「いっ、きゅうさん……一休さーん」
歌ってから、栄人と茜は顔を見合わせた。
いつもならここで、七緒が「はーい。焦らない焦らない。一休み一休み……」なんてノって来るはずなのに……。
通じ合っている2人に、圭介が割り込む。突き出されたケータイを覗き込むと。
6/11金11:36
送信者:渡辺直哉
件 名:Re:今日のナナ
本 文:銀杏の先輩と、ちょっと喧嘩してんの。
内容は言えないけど、マジ怒りだから気をつけて
「こ、れは……」
なんと反応したらいいのか。
「……圭介、お前、あいつのアドレス知ってたんだな」
「そこ!? いやいや、ナナが喧嘩かよ、とか、しかも先輩とかよ、とか、色々あるでしょーに! …………あ」
茜は口パクで「バカ」と言い、栄人は目を吊り上げた。虎哲まで、呆れた目で圭介を見ている。
「……ナオとメールしてんの?」
―――七緒さん、笑顔なのに何その声の低さァァァ
背中を冷や汗が伝うのを感じながら、圭介はひきつった顔で頷いた。ここは下手な嘘をつかない方がいいし、嘘をつけるほどの易しい状況ではない。
「……ごめん、先輩と喧嘩してるってのだけ聞いた。内容は知らないよー……ナナの様子がおかしいから、気になったんデス……」
七緒は、数秒間圭介を見つめ続けたかと思うと、長いため息をついた。
そうして向けられた表情は、少し固いものの、いつもの彼と変わらないように見えた。
「ごめん。態度に出すつもりはなかったんだけど……」
「超出てたけど」
栄人に突っ込まれて、ああやっぱり? と七緒は苦笑した。
「ごめん。でも、大したことないから」
だから、この件についてはこれ以上突っ込むな。
暗にそう言っているように聞こえて、一同、顔を見合わせた。
―――大したこと、なんだ
「うわぁ……」
一方、圭介からのメールに返信した直哉は、改めて七緒の怒りっぷりにため息をついた。
どうした、と寄ってきた友人に、メールを見せる。圭介からの久しぶりのメールは、七緒の様子がおかしいと指摘し、理由を問いかけるものだった。
「あーあー……クラスの奴にもわかるほどって」
「ナナ、朝も明らかに表情固かったもんなぁ……」
七緒はいつもより早く寮を出ていたし、雪弥は雪弥でいつもより降りて来るのが遅かった。どちらもぴりぴりした空気を発していたので、昨晩の喧嘩のことは口にだせなかったのだ。
「トビさあ、ナナと仲良いじゃんかぁー。なんとかしてよう」
「銀杏じゃナナといっちゃん仲良いのお前じゃん。押し付けるなよ、ルームメイトだろお」
五十嵐飛丸は、中等部からの友人で、岩平と同室の寮生だ。
生まれつきらしい赤茶の髪に、ゆるいパーマをあてているので、薄茶色で天然パーマな雪弥と並ぶと兄弟のようだが、どうにも話題が合わないようで、あまり2人に接点はない。
逆に七緒とは、チャラい見かけに寄らず読書家なので、主に本の話題で気が合うようだった。読むジャンルが同じなのだ、と七緒が嬉しそうに言っていたのを思い出す。
しかし、彼が言うとおり、いくら仲が良いとはいってもルームメイトの直哉以上ではないのだ。
そう言われるのはとても誇らしいのだけれど、今回に限って、直哉は複雑な気分だった。
「だって、他の誰かなら仲裁に入るけどさあ、相手がゆーきゃん先輩なんだもんなあ」
面倒だなんだと言いつつも七緒は雪弥に懐いていたし、雪弥も七緒が気にいってる様子だった。直哉は、それを一番近くで知っていたし、なによりどちらとも仲がいいのだ。付き合いで言ってしまえば、中等部からだから、雪弥のが長い。
「ゆーきゃん先輩のセクハラ癖っていうかさー、ああいうスキンシップに慣れちゃってるからかなあ、先輩にそこまで怒ってるわけでもないし」
「まあなぁ、お前自身スキンシップ多いもんなあ」
「でもさすがに口はないなぁとも思うわけ。ていうか正直どっちかに味方するのが嫌なんだよ俺ーっ!」
「まあ仲良いからこそ喧嘩するっていうけど……ゆーきゃん先輩からは、もう絶対謝らないぜ?」
それはそうだろうなぁ、と直哉は頷く。雪弥がわざわざ謝るのなんて本当にめずらしかったのだ。大抵、相手が彼の性格を知っているので、仕方ないと呆れるだけだったから、彼が喧嘩していること自体、珍しい。しかし七緒はその珍しい謝罪を、撥ねのけたのだ。
「こじれるばかりだよなぁ……」
とりあえず様子見だよなあ、と肩を落とす直哉の横で、飛丸は「時間経てばなんとかなるっしょ」と苦笑いしていた。