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58、喧嘩概要



「おかえり」


葵のその声音に労りの響きを読み取って、雪弥は脱力した。

自分の部屋であるかのように、ベッドに倒れ込む。


「……聞かないんすか」

「見たらわかるし、聞こえてたよ」


四階の声が、一階まで届いたのだから、多分他の寮生たちも、何事かと思っているだろう。


「もー…オレもういいっす。仲直りとかいい。もうまじでムカついてる」

「怒鳴り声は聞こえた、けど、内容はさすがに聞きとれなかった。どういう謝り方したんだ」


ガバッと上げられた顔は、不機嫌一色に染まっていた。


「オレは悪くないです! あいつッ、性格悪い!」


子供のように喚く雪弥を見て、葵はため息をついた。


「(こうなるともう今日は無理だな……ナナの方行くか)」


銀杏寮きっての苦労人、葵。

受験生であるにも関わらず、未だに「元・寮長」として、寮生たちの面倒をみざるえない、損な性格の先輩であった。

……いつもお疲れ様です。




ヴヴヴヴヴ、とケータイが震える。

直哉は慌ててバイブを止めた。


「…何、また先輩?」


低音で問いかけられ、ぎくりとする。


「違うよ、博之から。明日提出の宿題見せてって」

「…右代くんから? なんの宿題?」


むくりと七緒が起き上がる。問い詰めているというわけでなく、ただ単に、自分と同じ宿題だったら、見せてあげられるよという親切かららしい。


「えっ…と、アレ、数学の…多分七緒のクラスと違うやつだわ」

「そう。ナオは出来てるの?」

「いや、途中まで。だから今から博之の部屋でやってくる」

「……いってらっしゃい」


七緒がぽてんと寝転がったのを見届けて、直哉はカバンをひっつかみ、部屋を飛び出した。




「アオさぁん」

「良い子だ、ナオ。説明してくれ…って、何そのカバン」


二階の踊場で直哉を待っていた葵は、彼の持つスクールバッグを見て顔をしかめた。


「あいつ、変なトコで勘良いじゃん…アオさんに会うとか言ったら、絶対気がつくよ。博之んトコで宿題してくるって出てきた」

「そんなにか……機転利かせたな。じゃあもう、右代たちの部屋行こうぜ。どうせあいつらの部屋まで聞こえてたろうし、俺の部屋行くわけにもいかんし」

「え? アオさんの部屋だめなの?」

「雪弥」

「……アオさんも大変すね…」


お前も充分世話のやける奴なんだがな、と言ってから、葵は直哉を引き連れ、4階へと上がった。

401と書かれた部屋を、ノックする。


「右代、ケン。俺」


小声で、この部屋の住人たちを呼ぶ。七緒のいる405とは、廊下の端と端とはいえ、同じ階なのだ。

カチャリと音がして、一歩下がる。


「アオ先輩…今の喧嘩、うちじゃねぇですよ」


困ったような顔をだしたのは、加賀かが健斗けんとだった。

寮内で一番小柄な彼は、少し気弱な性格である。からかわれても言い返せない性質なので、反応がないとつまらないらしいいじめっ子組(雪弥やら藤枝あたり)からいじられることもなく、むしろ庇護の対象として可愛がられていた。

こんな彼がテニス部の期待の新星だというのだから、不思議だ。


「知ってる。今、入ってもいいか?」

「ドウゾ」

「あー、先輩! さっきの声誰だったんすか。ゆーきゃん先輩と喧嘩するなんてツワモノは」


部屋に入ると、二段ベッドの上段から、右代も降りてきた。


「それなんだけど―――ナナがキレたらしい」


うげ、という顔の右代、心配そうな加賀。


「そう言われれば、ナナの声だったかも……どでんしましたぁ」

「異常に男らしかったっつか、怖かったけど……」

「なー! もうオレ怖くて怖くて…」


現場にいた直哉は狼狽しきった様子で、ベッドに倒れこむ。右代は労わるように友人の背中を叩いた。


「そうかー、ナナがついにゆーきゃん先輩のセクハラにキレたか」

「俺のとこまでは声しか聞こえなくて…内容は聞こえたの?」


葵が問うと、右代と加賀は気まずそうに顔を見合わせた。


「……ゆーきゃん先輩が、キスした、みたいな…」

「一階まで声が届くくらいなら、ほとんどの奴が内容も聞こえてますよ」

「うーわー……」


七緒可哀そうだわー、と全員がため息をついた。

本人はあれだけ怒っていたのだから、寮生たちに聞こえているとは思い至らなかったろうし、今も思ってないだろう。


「一応雪弥から愚痴られて概要は知ってんだけど…ナナはどういうことを言ったわけ? 雪弥は雪弥で、怒るの珍しいぞ」

「ゆーきゃん先輩の方は完全に逆切れです」

「でも、ナナも、ちっと言い過ぎてる感さありました……けんど、ゆーきゃん先輩のがわりぃごとですよね?」

「まあ、雪弥は悪いとは思ってないみたいなんだけど……ナオ、ちゃんと説明してくれ」


思い出すのも嫌だ、と言わんばかりの後輩に、けれど「現場にいたんだから」と促す。


「…ええと―――」





「―――…は?」


静けさをやぶったのは、唖然とした雪弥だった。

七緒の声は、ただただ冷たい。


「おれは一度もあなたを許したとは言ってません。二度と触らないで下さい」

「……っ、なんだよ、それ…」


雪弥と七緒の間で、直哉は2人の顔を交互に見やる。


「あ、のさ、ナナ。そりゃ、ゆーきゃん先輩もやり過ぎたとは思うけど…」

「ナオは黙ってて」


ぴしゃりと言われ、一瞬怯んだ。

しかし、負けじと一歩、七緒の前に出る。

止めなければ、と、強く思った。


「謝ったじゃん、ゆーきゃん先輩も。だから、ナナも…」

「謝ったら、なんでも許してもらえると思ってるの?」


しかし、七緒の鋭い眼光が、直哉をも捕える。

眼鏡と、いつものほんわかした雰囲気で忘れがちだが、彼は目つきが鋭い。

その細められた瞳が、静かに怒りで燃えている。


「多少のセクハラなら笑って許しますけど、今回は許容範囲外です。謝って、それで許されると思わないで下さい。

大体あなたは、本気で謝っているんですか。おれに悪いことをしたと、思ってるんですか」


ぴりぴりぴりと、彼の発する空気が危うくなっていくのを感じて、直哉は後ずさりした。


「思ってる! だから、謝りにきたんだろ」


雪弥の少し上ずった声から、先輩も戸惑っているのだとわかる。


「思ってません」

「っ、何を根拠に!!」


「(ちょっと、待ってよ)」


止めたくても、声がでない。

背後の雪弥が、ちりちりと火傷しそうな声音になっていく。

プライドの高い彼が謝罪すること自体、珍しいのだ。

その謝罪を撥ねつけられれば、どうなるのか目に見えている。


「つーか、キスぐらいでなんだよ! そんなに怒ることでもねえだろ、舌入れたわけでもあるまいし!」



―――あ、だめだよ先輩、それは



「……やっぱり、全然悪いと思ってないんですね」





―――地雷だよ!





 

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