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55、足踏み




「…え、と……」


賢治の掠れた声に、七緒はさらに涙をこぼす。

自分の焦った声が七緒を傷つけていることは、賢治自身が一番わかっていたし、同時に、自分が泣いているせいでおっかさんを困らせていることは、七緒もわかっていた。


―――でも、もう駄目だ、止まらない


後から後から、涙は溢れてくる。さっき変に止めてしまったせいで、今になって意識的に涙を引っ込めることは出来なかった。


「ごめ、なさ……うっ、う~っ、」


本格的に泣きだしそうな七緒をみて、賢治は慌てて彼に歩み寄る。


「謝らなくていいんだよ、ナナちゃ、」

「おっ、おれっ、こんな……ごめんなさいっ、こんな、の、する、つもりっ、じゃっ…」

「わかってるよ、大丈夫。こうなったのは初めて?」


撫でている頭が、微かに縦に動いたのを感じて、賢治は内心「まじかよー!」と大焦りだった。

個人差があることくらいわかっているが、自分自身も周りの友人も、「初めて」は中学生までで済ませていたのだ。最近は発達が早いから、小学生のうちに済ませてるものだと思っていた。

七緒のように寝ている間の不可抗力だったり、自分でした・・りして、最初の精通を済ませてきた。

賢治の場合、前者であり後者で、早熟な女の先輩に押し倒されたときが初めてだった。驚いてその時は逃げ出したので、それ以上を知ることはなかったのだが。


「(ナナはいくつだ…16か? 遅い、方だよな……だから、あんなに下ネタが苦手なのか? 聞いてもきょとんとして、下ネタだと気付いてないことも多かったし…本当に、なんにも知らないのか?)」


勘弁してくれよ、と思いながらも、それは絶対に態度にださずに、彼を宥め続ける。


「大丈夫だから、落ち着いて? 病気とかじゃないから」

「だい、じょうぶです、びょうきじゃないのは、知ってます」


嗚咽混じりに「大丈夫」なんて言われても、全く説得力がない。


「ナナ、ちょっと一旦俺の部屋で―――」

「ひっ」


一歩踏み出しかけると、七緒の肩がびくりと跳ねあがった。まるで今にも食べられそうな小動物のように、怯えている。


「(なんか、これ、やばくないか。俺、こんなけパニックになってるひと、見たことねえぞ)」


七緒自身、自分のパニくりように戸惑っているのか、恐る恐る賢治を見上げたり、俯いたり、挙動不審だ。涙は止まる様子を見せない。


「ここにおってよ、ナナ。すぐに戻って来るから」


そう言い残して、静かに、けれど素早く、脱衣所をでる。ゆっくりと扉を閉めて、音をたてずに台所まで走った。

季節外れだけど、落ち着くには温かいのが一番だ。そう思いながら手早くホットミルクを2人分作り、片づけは後回しで脱衣所に戻る。七緒は、出て行ったときと同じ形で、固まっていた。

優しく名前を呼ぶと、びくりと揺れて、それからゆっくり顔をあげた。

さすがにもう涙は流れていないけれど、充血した眼と涙の跡が、痛々しい。

ああまるで、女の子のようだ、と賢治は思った。自然とでてしまう自分の猫なで声も、小さな女の子に話しかけるもののようになっていたことに気付いて、咳払いをした。


「ホットミルク作ってきたんだ。飲めるかい?」

「はい、ごめんなさい、取り乱して」


七緒の隣に座り、彼にも座るように促す。もそもそと正座をした七緒は、ホットミルクを一口飲むと、息をついた。


「本当に、ごめんなさい。起こさないようにしたんですけど」

「それは別にいいんだよ。俺、喉乾いたから起きたんだし……」


思ったよりもしっかりした口調で話す七緒に、何を言うべきかわからなくなった賢治だが、カップを持つ手が震えているのに気がついて、相当ショックだったんだとわかる。


「……ナナ、」

「平気です」


遮られた。痛いくらいに真っ直ぐ見つめて来る七緒は、真剣な声音で言った。


「もう、平気です。ちょっとびっくりしただけです。大丈夫です」


全てがウソだとわかるくらいに、固い言葉だった。


「(平気じゃないだろ、大丈夫じゃないだろ、ちょっと驚いたくらいで、そんなに震えるもんか)」


それでも、これ以上触れないでと訴える瞳に負けて、賢治はため息をついた。


「……そう。なら、良かった」


良くないよ、だってお前平気そうに見えないよという言葉は呑み込んで、小さな姪っ子にやるように、わしゃわしゃと七緒の頭を撫でた。


「あううっ、おっかさん、ミルク零れるって」


もともと寝ぐせのついていた髪をさらにぐちゃぐちゃにされて、七緒は目を細めながらも、落ち着きを取り戻せたことに安堵していた。


「(なにがショックなのかわかんないくらいショックだったけど、もう大丈夫だ。部屋に戻っても、ロウに八つ当たりとかはしない。大丈夫)」


ぴいい、と大きな音をたてて洗濯機が止まったので、じゃれていた2人は同時に飛び上がった。顔を、見合わせる。


「……洗濯機、新しいの欲しいなあ」

「そうですね」


小さく笑いあうと、七緒は「ありがとうございました」とコップを置いた。


「もう大丈夫です。おっかさん、あと乾燥させるだけなんで」


何故か少し恥じらう少年を一瞬不思議に思ったが、そういや彼は現在ノーパンなのだとふと思い出してしまって、苦笑した。無理矢理「おやすみなさい」と言われ、賢治は空のコップを持って、「おやすみ」と出て行った。

戸が閉まる直前に、もう一度だけ七緒を盗み見したが、さっきのような混乱はすっかり見えなかったので、ほっとした。




次の日……というより数時間後、朝食を作るために台所へでると、既に制服に着替えた七緒がいた。


「おはようございます、おっかさん」


昨日はありがとうございました、と照れくさそうに笑う七緒は、いつも通りだ。


「今日、何にしますかあ」

「ん? ええと、卵焼きに、なめたけに……」


無邪気に聞くと、おっかさんがほっとしたように食糧を漁り始めたので、七緒も安心した。


こうして、いつも通りの朝が始まる。

しばらくすれば、竜平たち朝練組が降りてきて、朝食をかきこむのだろう。

入れ替わりのように、直哉たち自主トレ組が戻ってきて、汗を流した後、食卓につくのだ。

ニュースや天気予報をチェックしながら七緒も朝食をとり、出て行く頃になって、雪弥たちのんびり組が降りて来るのだ。


―――悩んでたって仕方ない、時間はどんどん過ぎて行っちゃうし


腹はくくった、と袖をまくり、卵焼きを作り始める。

ポケットの中のキーホルダーが、「どうした?」と聞いてきたが、聞こえないふりをした。結局、腹をくくれてはいないのだ。




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