53、お下がり
「うわ、戸塚、なにそれ」
クラスメイトの青木が、顔をしかめた。その反応に、圭介が「ほらなー!」と叫ぶ。
「だから言ったろ! ぜぇーったい、おかしいもん、それ」
青木の視線、そして圭介の指す先には、ぶかぶかすぎてもはやワンピースに見えるTシャツを着た、七緒がいた。
そんなに変かなぁ、と七緒は自らを見下ろす。隣にいた栄人も、まじまじと友人を見て、言った。
「なんかさ、アメリカの子供って感じ」
あっちのひとって、ぶかぶかでもぴちぴちでも気にせず着るよね、と言われ、七緒は苦笑いした。
「アオさんのお下がりもらったから、活用したいなと思ったんだけど」
アオさんって誰、と青木が言うと、何故か圭介が「寮の先輩なんだって」と答える。
葵さんは縦も横もでかいからなぁ、と納得しかけた栄人だが、それにしても大き過ぎる。さらに、お下がりというには、新品同様の状態だった。
実家から荷物が届いた、と葵がダンボールを受け取っていたのは、昨晩のことだ。
食べ物は入ってないかと図々しい奴ら(雪弥やら藤枝、直哉あたり)が彼の部屋に押し掛け、蹴りだされた数分後。
なんじゃこりゃ、と悲鳴に近い大声がしたと思ったら、居間に葵が飛び込んできた。寛いでいた七緒とおっかさん、それに竜平は、葵らしからぬ勢いに目を丸くした。
「どしたの、葵」
「おっかさん、見てよコレ!」
そう言って突き出されたのが、このビッグサイズTシャツなのだ。
「俺がまた太ってんじゃないか唐突に心配になったんだってさ! 先々週会ったばっかだっつーの、そのくらいでこんなにサイズアップする!? 「成長期だから」とか書いてあるけどいくら成長期やゆうても短期間でこんなにデカなるかーーっ!!」
何故か後半関西弁で、一息に言いたいことを言い終えたらしい葵は、ため息をついた。
「すっげー、アメリカンサイズ。プリントが可愛い」
「本当、くまさんついてますよ」
くすくす笑う竜平と七緒を軽く睨んで、八つ当たりしても仕方ないと思ったのか、ばったりと倒れ伏す。
「あーもう、家族にどう思われてんだろう俺……さすがにショックなんだけど。絶対着ねー……」
「アオさんて、実家どこなんですか?」
そういえば、というふうに、竜平がTシャツを眺めながら尋ねると、葵は最寄りから5つ程先の駅名を口にした。
「えっ、全然通えるじゃないっすか」
何でわざわざ寮なんかに、と一年生2人は顔を見合わせる。七緒はひとのことは言えない距離に家があるが、それは直哉にしかまだ言っていない。
「別に……本当は1人暮らししたかったんだけどそれは反対されて、先輩に勧められて入っただけ。
……っていうかそんな話じゃなくて、なあ、お前らどっちかこのシャツもらってくんない?」
葵ですらサイズが合わないものを、と、痩せ形の竜平と小柄な七緒は困った顔をする。
「寝巻かなんかにしてよ。はい、最初はグー、」
よっぽどそのTシャツを手放したいのか、いつもはしない先輩の強制力を使う様子に、慌てて2人は手をだした。
竜平がチョキで、七緒がグーだ。
「……どっちがもらわなきゃいけないんすかね?」
「……じゃ、勝った七緒に景品として」
さすがに仕送りを負けた方に押し付けるのは気が引けたのか、葵は七緒にシャツを差し出した。
「えー……うわデカっ!」
手に持って広げてみると、その大きさが改めてわかる。他人事になったとたん、竜平も葵も面白そうに「着てみろ着てみろ」とはやしたてた。仕方ないので着てみると、丈が太腿の半ばまであったものだから、七緒も笑ってしまった。
「んっ……これじゃもうワンピースじゃないですか」
「似合う似合う。お前くまさん好きな!」
七緒がくまのぬいぐるみを持っていることを知っている竜平がゲラゲラと笑いながらからかう。葵もおっかさんも「幼稚園のスモックみたいだ」と笑った。
賑やかさに呼ばれたのか、風呂上がりの直哉と由良がやってきて、また笑われた。
「なにそれ! ナナそれ体育着にしたら?」
「笑われるって! だってこれ首回りとかすっごい開いちゃうもん」
「いっそズボン脱いだら?」
「由良くんまで意地悪言う! アオさーん!」
「はいはい、似合ってるから大丈夫」
「……という感じで」
「で、ほんとに体育着にしちゃったの? アホやん」
「……似合わない?」
かわい子ぶってもだめ! と青木は笑って、手に取っていたTシャツの裾を離した。
原則として指定の体育着を着なくてはいけないのだが、ほとんどあってないようなルールなので、特にTシャツに関しては誰もそれを守る者はいない。しかし、それにしたって、このシャツでは動きにくいだろう。
「だってそれ戸塚、肩までずり落ちてんじゃん」
「あっ、ほんとだ。いやーん、七緒くんセクシー!」
圭介が襟を引っ張って肌をさらさせようとするので、七緒も悪ノリして「あーれー」と細い声をだしてみせる。
「うぇっへっへ、よいではないかぁよいではないかぁ」
「あっ、ひゃあ、きゃはははははっ、ああっ、くすぐるのナシぃいいい」
「おい中村、馬鹿は放っといて行こうか」
「そうだな」
「あっ、ちょっとおお、ハチいいいいい」
助けを求める声に、条件反射のように足をとめてしまった栄人を見て、青木は苦笑した。
「保護者は大変だなあ、ハチ」
言ってから、栄人の驚いたような顔に気付いて、あっと彼は声をあげる。
「……ハチ。やっべー、圭介と戸塚のがうつっちった!」
照れくさそうに笑うと、ちょうど廊下へでるところだった集団に混じって出て行った。
「……青木の下の名前って、なんだったっけ」
「棗! 由来は親が夏目漱石のファンだから! てゆーか、ナナ、ちゃんと食ってる? 肩細っ、女子かよ!」
「由来まで聞いてねーよ、ってかなんで知ってんだ」
「あいつああ見えて本好きだから、話合うんじゃねー?」
お見通しのような圭介の言葉にむっときて、彼の腰を蹴る。ついでのように、七緒も救出した。
「いってー! 今の蹴りには愛がなかった!」
「あーあー、もう、こんなにしちゃって」
荒い息を整える七緒のシャツは、襟がだるんと伸びてしまって、さらにぶかぶか感をだしていた。チャイムが鳴ったので、慌てて七緒の腕をつかんで走り出す。
「良かったなあ、今日ケンドーいなくて。さすがにこれは怒られるよ」
今日の体育の担当である小林先生は、顧問をつとめるバレー部の遠征を引率するためお休みだ。おかげで授業は校庭での自習、つまりドッジボールかケイドロである。もしくはその他鬼ごっこ系だが、だいたいいつでもそのどちらかだ。
校庭に出ると、すでに体育委員の尾賀が多数決をとっていた。
「あ、きたきた。おーい、ケイドロかドッジ、どっちがいいー?」
「はいはーい、この前ドッジだったからケイドロがいー! ハチとナナもケイドロだって!」
勝手に圭介が返事をすると、尾賀は「じゃケイドロに決定」と言った。
教室の席順で縦に分けられたチーム分けでは、3人の中で圭介だけが右半分だった。
「おっしゃー、ナナ捕まえよう! ちょろいから!」
「ひどくない!? ちょっと聞いたアレひどくない!?」
「赤星ぃ、作戦たてよー!」
ばたばたと駆けて行く圭介を見送って、七緒は栄人を見上げる。
「うっわぁ、やだあ。向こう、ほのちゃんがいる……」
洸はノリノリで圭介や青木と作戦をたてている。彼女に警察という役割はぴったりである。
「まあ、やる気ある奴らが頑張るだろ。俺たちは逃げるの専門」
泥棒チームもなんやかや作戦をたてているが、2人はそれに参加せず雲を眺めていた。すると、所在無さ気に優子が寄ってきた。
「あ、優子ちゃんどっち?」
「私、警察……でも、役に立てないし」
「じゃ、一緒に端っこで隠れてよう」
サッカーゴールの後ろで3人はしゃがみこむ。とたんに、何か言いたげだった彼女が、遠慮勝ちに口を開いた。
「戸塚くん、その……言いたくないことならいいんだけど……服、どうかしたの?」
優子の問いに、2人は顔を見合わせた。
「おーい、いれていれて……って、ナナくん、そのTシャツ……」
いそいそと駆けてきた茜が、怪訝な表情で七緒を見やる。
ついに、耐えきれなくなった栄人が、笑いだした。
「ほらなーーー! やっぱりおかしいんだってソレーー!」
「うわああああん、うるさいうるさーい!」
「……というわけで、寝巻にします!」
「まじでそれで体育やったの! ナナ勇者!」
ゲラゲラと一年生たちに笑われて、七緒は目を細めた。呆れた顔で見ていたラファエルは、「それで体育やったのに今日そのまま寝るのかよ」とつっこむ。
「もー、汗全然かかなかったからいいかなって。ケイドロ始まって30秒で捕まったしね」
「にしても、本当でかいな」
「ラファエルくんか加賀くんが着たら、もっと大きく見えるとおもうんだけ、」
ど、と言う前に、ラファエルは「着ない」と一刀両断した。
わらわらと騒がしい食堂に不用意に入ってきた雪弥は、人数の多さにびくりと肩を揺らした。
「うおっ。お前ら何集まってんの」
見れば、ほとんどの一年生がいるではないか。正直暑苦しい。
彼ら自身、どうしてこんなに集まってしまったかわからないようで、指摘されて初めて気がついたようだ。
「なんか喋ってたらいつの間にか集まっちゃった。あ、ねえねえゆーきゃん先輩、ラッフィーがね」
「ミッフィーみたいに言うな!」
代表して声をあげた直哉を、ラファエルが赤面してはたく。それを見て全員がけらけらと笑う。何があったのか知らないが、随分と盛り上がっている。
「もー、仲良いのはわかったから、一年、明日起きれなくなるぞお」
「うわ、ゆーきゃん先輩が先輩らしいこと言った」
「初めてじゃね?」
「つーか、まともなこと言ったのが初めてだろ」
「ラファエルくん、八つ当たりだよそれは」
いつものように毒を吐くラファエルの頭を、七緒が笑いながら撫でる。誰もが笑っているので、雪弥は、オレ上級生と思われてねえよなと思った。
「オレ寮長だから。注意とかちゃんとするから。それにこれから点呼だから部屋戻れって」
騒がしさを消すようにそう言うと、何故だか食堂は静まり返った。全員が、怪訝な顔で雪弥を見ている。
「りょうちょう……? 誰が?」
「アオさんじゃないの」
「いや、新歓の日に引き継いでたじゃん。一応先輩が寮長だよ」
「だっていつも点呼とりにくるの、花岡先輩じゃん」
「すっかり……」
忘れてた、と一年生がハモッた。
「お前らもうちょっと先輩に対しての敬意をだね!!」
「ぎゃー逃げろ!」
クモの巣を散らすように、各々の部屋に帰っていく。
逃げ遅れたのは、七緒だけだ。
Tシャツの裾をがっちりと掴まれた七緒は、いつの間にか雪弥との間で恒例となった、メガネ没収をされた。
「……ナナって本当どんくさいよね」
「ひどい! ていうかみんな逃げ足速過ぎるでしょ! ねえ先輩、おれさっき失礼なこと何も言ってませんけど」
「笑ってたからアウト」
ひどいようメガネ返して下さいよう、と情けない声を上げる後輩を、雪弥はじっと見つめた。
焦点が合わないのか、何度も瞬きを繰り返している。
「そのシャツ何?」
「あ、アオさんのお下がりです」
そういえば彼は知らなかったのか、と七緒が答えると、雪弥は顔をしかめた。
「え、もらったの?」
「もらったっていうか、押し付けられたっていうか。あっ、ゆーきゃん先輩いります?」
「いらねえよ、そんなでかいの。どう着ろっての」
ですよね……七緒はくたりと力を抜いた。先輩はどうせ気が済むまでメガネを返してくれないので、寝る前にいらない汗をかきたくなかった。
「……そういやナナ、一昨日……」
「はい?」
ふいにに真剣味を帯びた声音に、七緒は顔をあげた。続く言葉を待っているのだが、一向に先輩は喋り出さない。
「なんですか、……?」
「さて、食堂のどこかにメガネを隠しました、探してごらん!」
唐突な明るい声に、ぎょっとなる。
―――この人いきなり何言い出してんだ、ってか何してくれてんだ!
「え、え、ちょっと先輩どこ行くの!」
「点呼取って来る」
「ウソでしょ!? えっ、まじで、どこに置いたんですかメガネ! ……え、ウソ、行かないでってば先輩!!」
どうやら本当に出て行ってしまった鬼畜先輩に対し、悲鳴に近い非難の声を上げながら、必死で机の下やら上を手探りする。彼は両目共に0.1以下な上、普段から注意力が欠けているので、メガネなしでの探し物はほぼ不可能である。
唯一の救いが、本当に1人きりではないことだ。がつん、と机に脛をぶつけた瞬間、諦めて天使の名を呼ぶ。
「……ロウ! メガネどこかわかる?」
―――「テレビの上。お前、いいように弄ばれ過ぎだぞ」
だってしょうがないじゃん相手は一応先輩だもんとブツブツ言いながら、探り当てたメガネをかけた。
はあ、とため息をひとつついて、それから、雪弥が何か言おうとしていたなぁと思い出す。
「なんだったんだろう」
―――「さあ? あいつ、いつもあんな感じじゃないか?」
それもそうだ、と頷いて―――それはそれで問題だけれど―――七緒は自室へ戻った。