50、カレーは辛い
「なあ、あとちょっとで他も帰ってくんじゃね?」
光流は、たしたしとテーブルを叩いた。
その隣で大輔と智がちまちまとラッキョウをつまんでいる。
買い出しを頼んだ藤枝が帰って来ないため、カレーが完成しないのだ。
「サトさん、大輔先輩、みんなの分残しておいて下さいね」
注意する七緒の声がピリピリしていたので、2人とも黙って頷く。
そこへ、ラファエルがサラダを運んできた。
「仕方ないし、サラダとスープだけでも先にだそうぜって、テツが」
「……まあ、そうだねえ。仕方ないものね」
七緒はため息をつくと、少し冷めたスープを温め直しているらしい虎哲のもとに行く。
「テツくん、ありがとね」
「んー。人選を間違えたな」
ふふ、と苦笑してみせる顔がいつもより優しかったので、七緒は嬉しくなった。
ガララ、と玄関の開く音がする。
ただーいまー、という独特なイントネーションを耳にした瞬間、七緒とラファエルは駆け出した。
「キノコさん!」
「おっせぇっすよ!」
帰ってきた途端に、一年生2人から噛みつかれ、藤枝は一瞬、ぽかんとした。
そして、悪びれたふうもなく、「めんご!」と袋を差し出す。
「や、本屋で立ち読み始めたら、思いのほか時間経っててさ」
「もー! 素直にお礼言えないじゃないですか!」
「いいから戸塚、さっさとやろうぜ」
先輩を置いて、バタバタと台所に戻る。
「ラファエルくん、箱開けて」
「ぜんぶ?」
「ぜんぶっ」
ラファエルが箱を開けルーを出し、それを七緒が受け取って割りながら、ふたつある鍋へと落とす。
スープを注いでいた虎哲は、じっとその様子を見つめていた。
「あっ、テツくん! あっち戻るときに、あと10分で出来ますって言っておいてー」
「ん」
わかった、と歩き出してから振り返ると、隣同士でそれぞれ鍋をかき混ぜる背中が見えた。
七緒が中火でいいよというと、頷いたラファエルが火力を強める。それから、急がずにゆっくりねと念をおされて、わかってるよと唇を尖らせた。
「(……子供は、すぐ仲良くなりよんなぁ)」
自分も子供のくせに、虎哲はそう思ったのだった。
「こんなもんだね、ラファエルくん、お皿持っておいで」
カレーの匂いに達成感を感じていたラファエルは、七緒の言葉に「えっ」と目を見開いた。
「手伝ってくれたから、一番によそってあげる」
にこにこ笑顔で言われ、まさか要らないとは言えないラファエル。
「……ん。じゃあ、ちょっとでいいから」
皿を受け取った七緒は、少し残念そうな顔をしたが、いつものように少なめにご飯をよそった。そして、その横にカレーをいれる。
「はい、どうぞ。もう食べちゃってていいからね」
頷いて、食堂に戻ろうとしたとき、ひょこりと食堂側から智が顔を出したので、思わず後ずさりした。
「出来たの?」
智の問いかけに七緒が答えた瞬間、食堂が騒がしくなる。そして、一気に台所の人口密度が増えた。
「あっ、ちょっと!! みんなちゃんと並んでくださいよ、光流さん割り込まないッ」
七緒が慌てて、皿を受け取ってご飯をつけては、自然と隣に立った虎哲にそれを回す。虎哲が乱暴にルーを乗せて、寮生たちに渡していく。
「あっ、ねえテツ、もうちょっと入れて!」
「うっさいわ。後ろ詰まっとるんじゃけえ、さっさと退けって」
ケチー、と大輔が舌をだして去ってゆく。半分も列を消化しないうちに、玄関から「ただいまー!」と騒がしい声が聞こえてきて、全員が「あっ」という顔になった。
「他の奴ら帰ってきたぜ!」
「うわー、食堂狭くなる!」
わいわい言いだした2年生たちを眺めながら、ラファエルは台所の隅に座って、ぱくぱくとカレーを口に運ぶ。
場所が空かないうちに他が戻ってくると、ほとんどの寮生が食堂に集まっているような状態になって、とてもむさくるしいのだ。
もう既に、「えっ、まだ飯始めてねーの!?」「腹減ったー」「おい、もっと詰めろよ!」なんて声が聞こえ始めている。
早く部屋に戻ろう、とカレーをかきこんでいると、忙しいはずの七緒が振り返った。
「おいしい?」
「……普通!」
辺りの騒がしさに負けないよう、少し大きな声で、いつもと同じ答えを返す。
本当に少ない量だったから、急いでいたラファエルは、あっという間にたいらげてしまった。
「ごちそうさま」
空けた器を流しに置くラファエルを見ながら、七緒は嬉しそうに笑った。
「テツくんも、ありがとうね」
「お前が礼を言うことじゃなかろうに」
「でもおれが頼まれたことだから、ほんとなら1人で、」
「あいつたぁ違うじゃろう、お前は。仕事じゃ、ない」
虎哲の言う「あいつ」は、おっかさんのことなのだろう。ぶっきらぼうな言い方だが、どうやら「同じ寮生の立場なんだから、もっと他の奴に頼っていいのに」という意味らしい。
「テツくんは、優しいひとだなあ」
しみじみとそう言うと、あからさまに嫌そうな顔で睨まれた。そんな顔をされたって、もうちっとも怖くない。
「なんだかお兄ちゃんみたい」
怯まず重ねて言うと、一泊置いて、何故か言った方である七緒が赤面した。
「……おい」
「なんか言ってみたらちょっと恥ずかしかった!」
「ちょっとー、お前らいちゃついてないで早くしてくんない!」
ばたばたと地団駄を踏んで、藤枝が皿を突き出す。元はと言えばあなたが遅かったせいで、と反論しながら受け取った七緒は、つぎの瞬間危うく皿を取りおとしそうになった。
「ぎえええええっ、なんじゃこらぁあああ」
「辛えぇぇっ!」
先に食べ始めたらしい何名かが、いきなり悲鳴をあげたのだ。
「な、なに、どうしたんですか!?」
驚く七緒たちに、智がひぃひぃと喉を変なふうに鳴らしながら「えっらい辛い…」と告げる。
「え、ええ? そんなに辛いわけ……」
「……七緒」
虎哲が、七緒の肩をたたく。
彼の視線の先には、無造作に置かれたカレールーの箱。
真っ赤なそれには、トウガラシのマークが五分の五個、描かれている。
―――超超超・激辛3倍カレー……
まだ台所にいた者たちは、一斉に藤枝を見やった。
「―――キノコさんっ!!?」
「俺は辛い方が好きなんだって!」
「限度があるだろうがぁ!」
3年生たちが藤枝をとりかこみ、袋叩きにする。
「いてっ、いだだっ、やめろって! 大丈夫だ、食えっから!」
「食えねーよハゲ! おまっ、光流の哀れな姿を見ろよ!」
味わう前に、口いっぱい頬張った光流は、水をがぶ飲みしながら大量の汗を流している。
隣には、げほげほ咳き込む智や、涙目で水を探す大輔の姿があった。地獄絵図だ。
「超超超・激辛3倍カレーだそうですけど……一応、中辛のルーも混じってるんですが」
「うわぁ、俺でもこれはちょっとキツイ…」
七緒からカレーを受け取ったばかりの葵が、少し食べて呟く。彼は平均よりも辛いものに耐性があるが、それすら超える辛さらしい。
「頭皮が! 頭皮がサァーーって! ねえこれトウガラシ入ってるよ? 赤い固形物あるもんよ!」
「見てこの汗! クーラーつけてクーラー!」
大騒ぎになった食堂に、虎哲の声が響く。
「おめーら! 皿によそった分は完食せえよ!」
そう言った自分は、カレーの代わりに、コンソメスープをご飯にかけていた。
「あ、テツくんそれいいね。おれもそうしよう」
「お前らずりぃ!」
「つーかキノコまじ一回で良いから謝れよ!」
「うめえ」
「反省の色見してーー!! なんなのその態度!」
結局、ヒィヒィ言いながら全員が完食したらしいが、しばらく藤枝はおかわり権を剥奪されることとなった。
「人選間違えたね…」
「ほんとにな」