44、良い不良と泣き虫
「いやぁ、最後の太鼓の達人だけは、戸塚クンが一番だったな」
「つーか俺と赤いのが引き分けなんて納得いかん」
「あ!! 戸塚クンのメアド聞き忘れた! どうしよう」
今日は特に天気が良いので、6時を過ぎているというのに、まだ辺りは明るかった。
もう少し遊ぼうよ、という沖田に、虎哲は「夕飯に遅れる」と首を振ったのだ。聞けば、彼らは学生寮に住んでいるらしい。
「ああ、俺は聞いたよ。ホレ」
柳井の広げてみせた手のひらには、沖田お目当てのメールアドレスが、丸っこい文字で書かれていた。
「教えてくんないっつったら、「今持ってない」って言われてー、じゃあってペン渡したら、手のひらに書くんだもん。ちょっとびっくりしたわ」
「……お前いつの間に!! どのタイミングで!?」
本気で驚いている友人に、勝ち誇った笑みを向ける。
「だからお前ナンパとかも上手くいかないんだよ。チャンスを逃すから」
「うっせえ死ねモテ男! なんでこんな緑頭がモテるのかさっぱり……。まあ、そんなのはいいや。アド見せろよ」
「え、戸塚クンに許可とってないから……」
「フザケンナ!」
本当は、七緒の方から「沖田くんにも教えておいてくれる? 良かったらでいいんだけど」と言われたのだが、面白いのでもうしばらく黙っておこうと思う柳井だった。
にっこりと仁王立ちする銀杏寮管理人に、一も二もなく、七緒は頭を下げた。
「ごめんなさいっ! 連絡入れるの忘れてました!」
「よし、わかってればいいよ」
てっきり自分が叱られるものだと思っていた虎哲は、ぽかんと2人を眺めている。
寮の玄関に入った途端、待っていましたとばかりにおっかさんがやってきたのだ。
「言い出したことにはきちんと責任を持つこと。俺もさ、もうナナが手伝ってくれるつもりで動いてるから」
遅くなる日は、おっかさんに連絡を入れることになっていたのだ。それは、家事手伝いを申し出たときに、決めたことだった。
働き手が2人か1人では、大分動き方が違ってくる。連絡無しに遅くなれば、おっかさんが困るのはわかっていた。なのに、すっかりそれが頭から抜け落ちていたのだ。学校に戻って、カバンを手にしたところで、ようやく思い出して血の気が引いた。
結局、寮に戻ったのは7時過ぎだった。
「無理に手伝わなくたっていいんだよ。でもね、やるって宣言したなら、きちんと決めたことは守って欲しい」
いつもの、優しい口調に戻ったおっかさんに、七緒は首を横に振る。
「ごめんなさい、今度から必ず連絡します。やらせてください」
少ない会話で状況を理解した虎哲は、七緒を庇うように、一歩前に出た。
「こいつは悪くなぁで。俺が連れ出したんじゃ。荷物みな、持ってんかった」
おっかさんが何か言う前に、七緒は靴を脱いで、もう一度頭を下げると、ぱたぱたと階段を上がっていった。
数秒間の沈黙の後、同時に顔を上げてしまい、目があった2人は大変気まずい思いをした。
「……あいつ、家事手伝っとるん?」
しぶしぶ口を開いたのは、虎哲である。あいつ、と言いながら階段を見たので、おっかさんは頷いた。
「ああ。自分からね、言ってくれた。いい子だろ」
何故かちょっと自慢気な管理人を、虎哲は睨む。
「あがなふうに叱ることなかろ」
「けじめはつけて欲しいって言っただけだよ」
「あいつ多分、落ち込むぞ」
一瞬、頷きかけて、おっかさんは目を細めた。
「珍しいね。お前が誰かを庇うの」
「……今回なぁ、わしが悪い」
自分が、あの連中に絡まなければ、彼らは学校に訪ねてくることなどなかった。
今回は、沖田が虎哲に興味がなく、柳井が自重の利く聡い奴だったからこそ、こんなに丸くおさまっているのだ。
本当の意味でお礼参りをされていたら、と背中が寒くなる。
こんな形で、他人に迷惑をかけると思わなかった。
「……わし、もう よう喧嘩せん。自分からぁ、売らん」
「おっ」
呟いた言葉に、おっかさんが嬉しそうな声をだしたので、しまったと思った。
骨ばった、けれど綺麗な手がのびてきて、容赦なく髪をくしゃくしゃにする。
「やめぇや!」
「聞いたけぇな! お前、もう問題起こすなよ! ナナのためにも!」
1年生の友達が出来たなぁ、良かったなぁ、と勝手に喜んでいたら、力が入り過ぎたようで、虎哲が結構切羽詰まった声で「いてぇよ!」と言った。
「あんた、なんでそがぁに加減を知らんのん! ていうか、あいつのためじゃねぇ」
賢治は、不機嫌そうに言う虎哲から手を離して、階段を振り返った。
管理人とはいっても、10歳くらいしか年は離れていないので、お兄さん役みたいなもんである。しかし、それを職としているからには、締めるところは締めなければならない。
「(もう何年もやってるのに、ああいう子を叱るのは慣れないなぁ……)」
例えば雪弥や直哉のようなタイプなら、ふてくされながらも反省して、それでお終い。後腐れはない。
けれど、七緒のような真面目な生徒を叱ると、その後が気まずいのだ。彼のようなタイプは、気に病みやすい。
「雪弥たちが真面目じゃないっつってんじゃないけどさ……わかるだろ?」
ため息をつくおっかさんに、虎哲は頷く。
そして、こんな弱音を吐かれるのは珍しいな、と思った。
「じゃあ、ナナ呼んできて。405号室だから」
「はぁ?」
「ついでに他の子たちも呼んできて。ちょっと遅くなったけど、飯出来たから」
なんで自分が、と言いたげな虎哲を制し、ピッと階段を指す。
「行ってやって。俺は立場上、出来ない。あの子叱るの初めてだから、責任感強い子だから。それにまだ、ナオもいないんだ」
要領を得ない言葉だけれど、何を言われてるのかわかった虎哲は、一瞬だけ迷ったが、仕方ないとばかりにため息をつくとようやく靴を脱いだ。
「……管理人なんてガラじゃねんだよ、あんた」
呆れたように言うと、おっかさんは「知ってる」と苦笑した。
「あとさ、ひとつ聞いていい?」
「なんじゃ」
「そのぬいぐるみ、何」
「あのなぁ」
部屋に戻った七緒の視界に飛び込んできたのは、少年のロウの姿だった。
「オレはなんだっけ?」
唐突な問いに、後ろ手にドアを閉めながら、首を傾げる。
「ロウは……天使……?」
「そう、で、お前の補佐。サポート役。オレが何言いたいかわかる?」
ロウの、貼りつけたような笑顔に、七緒は身をすくめた。
彼がお怒りの理由はなんとなくわかったが、言い訳くらいさせて欲しい。
「だって、ロウ、いなかった……」
「お前の全部はわかんないよ。プライベートってのも必要らしいからな」
遮るように言い募られて、七緒は黙るほかない。
「でもなぁ、呼ばれればわかるんだよ、どこにいるかくらい。そんで、お前が困ってるなら、飛んでゆくんだよ。でさ、中途半端に、お前が怯えてるとか、困ってるとか、そういうのはなんとなくわかるんだよな」
「ご、めん」
「途中からそういうのはなくなったから、大丈夫なんだろうとは思ったけどさあ」
長い長いため息をつかれ、多分これがお説教終わりの合図かな、と思う。
なんだかごちゃごちゃ言っているが、ロウはどうやら、心配してくれていたらしい。
「ありがとう、ごめんね、ロウ」
「いいんだ、けど。サポートの存在、忘れるなよ」
「うん、忘れてなんかない、」
けど、と小声で言って、七緒は困ったように笑った。
―――ごめんね、わたし、助けてもらうのが、怖い。
昨日、ロウが沖田たちを眠らせていたとき。凄い、と同時に、少しだけ怖いとも思った。
「(助けられることに慣れたら、わたし、どうなるんだろ)」
そう思いつつも、今日はさすがにちょっとビビったなぁ、と目を閉じた。
「寝んの?」
「寝ないよ。もうすぐご飯だもの、着替えて……ん?」
サイレントモードにしていたケータイが、ちかちかと光っているのに気付き、手を伸ばす。
「……うわ、ハチと圭介から着信とメールが」
「あっそう。じゃーオレ寝るから」
ロウはぐぐっと伸びをすると、次の瞬間、ケータイにウサギのストラップがついていた。
―――「ケータイは、携帯しろよ」
念を押すように言われ、はいはいと頷く。何も考えず、着信履歴の一番上にあった圭介に電話をかけ―――『ナナぁ! もーお前何してんの!? いきなり飛び出してったと思ったら、全然戻ってこないし! 荷物とかどうした? 教室戻った? つーかあいつら知り合いなの?』―――繋がった途端、堰を切ったようにケータイから聞きなれた声が溢れ、少しの間茫然とした。
そういえば、ろくに説明もせず、慌てて教室を飛び出していったっけ。
『ってゆーかバカでしょ! ケータイも持たずに! 電話かけたらお前の机の上で光ってるし! 携帯しないと意味ないんだよ!?』
それ、数秒前にロウに言われました……と顔を引き攣らせながらも、詳しいことは月曜に話すと言い包め、通話を切った。
次にかけた栄人にも、同じように(圭介よりは落ち着いていたが)ケータイ携帯についての説教を受け、大丈夫なんだな強請られてたりしないよなと10回くらい念を押されて、七緒は死んだ魚のような目でため息をついた。
―――「そんな顔するなよ、愛されてんだから」
「いやいや、愛とか言われても。心配してくれるのは嬉しいんだけど、なんか今日……」
怒られてばかりだ、と呟いた。じわり、と視界が歪むのを感じて、俯く。
―――「……えっ、おい、なな…」
お、とロウが続けようとしたとき、ノックが鳴って、返事を待たないままドアが開かれた。
「おい、飯……」
暗い部屋で、うずくまる七緒に、虎哲は当然驚く。
振り向いて、それが虎哲だとわかった瞬間、七緒はぴええと泣き出した。
「もおおおお、みんなっ、そんなに怒らなくていいじゃあああん! 悪いとはっ、お、思ってる、けどっ、」
小さな子供のように泣く七緒に狼狽して、立ち尽くす。
「わ、たし、だって、びっくり、したしっ! こ、わくて。やくそくっ、わすれたの、すごくっ、わるいと、おもっ……!」
声をかけることが出来ないまま、虎哲は「こいつ、一応怖かったんだなぁ」とぼんやり思った。
最終的には仲良くなっていたけれど、沖田たちには悪いが、あの訪ねて来方は勘違いされても仕方のないものだ。
ぴええ が びええ になった頃、直哉が帰ってきて、ようやく七緒は泣きやんだのだった。