40、難しいひと
「えっ?」
えっ、って言うしかないよこれは、と七緒は思った。
「テツ……さん?」
「…なんじゃ」
1年3組。朝の騒がしい教室で、思いがけぬ人と顔を合わせた。赤い髪が、明らかに浮いている。
―――えっ? テツさんって……え? 同級生!?
餌を待つ鯉のように、ぱくぱくと口を開けたり閉じたりを繰り返す七緒に、虎哲は盛大な舌打ちをした。
彼の、中に何か入っているんだかいないんだかわからないスクールバッグが、七緒の隣の席に置かれる。
「え、え!? うそ、隣……」
しかも、ずっと空いていた隣の席は、どうやら彼だったらしい。
「……お前、そこの席かよ」
睨まれて、びくりと肩をすくめる。
「(い、や…だめだわ、同い年ならなおさら、仲良くしなくっちゃ。しっかし、なんでこのひと、いちいち睨むかなぁ! 気にしたら負けだー!)」
そう自分に言い聞かせたところで、栄人が教室に入って来た。
「はよー」
「ハチ、おれの隣ってテツさんだったんだ!?」
思わず、窓際からドアまで通る声量で、問いかける。
教室に入って来たとたんに、そんなことを聞かれた栄人は、当然きょとんとした。
「は? テツ? ……えーと、ナナの隣は水城だよ」
「テツさん、みずきっていうの?」
「……水城 虎哲」
そういえば、転校初日に「隣は水城って奴だよ」的なことも言われたし、銀杏寮でも、自分と同じクラスの寮生がいると聞かされていた…はずだ。すっかり忘れていたけれど。
「はぁーっ、虎哲でテツかぁ……同じクラスとは思わなかった…」
葵や彰人に対しては敬意が見え隠れしていたが、雪弥には随分尊大な態度だった。それに、なんとなく、年上特有の威圧感を感じてもいたのだ。
しかし、よく考えてみれば、ラファエルや直哉を始め、1年生も「テツ」と呼んでいたのだから、彼が1年生であることもわかったはずだ。
「(先入観怖いなぁ)」
感心したような七緒に、虎哲は居心地悪そうに眉をひそめた。
栄人は席につくと、不思議そうに問いかける。
「ナナと水城は顔見知りなの?」
「あ、うん。銀杏で…寮で一緒なの。ね、テツさん」
精一杯の笑顔で同意を求めるが、華麗にスルーされ、頬がひきつった。
―――え、ちょお、無視ですか
虎哲の態度が、七緒の、普段は隠れている負けず嫌い精神をくすぐった。
「……虎哲さん? テツくん? こてっちゃん?」
「……何の真似じゃ」
「返事がないから」
にっこりと笑う。
このひとは、不良で、喧嘩っ早くて、口の悪い威圧感のあるひとだけれど、同い年の子供なのだ。
「なんて呼ぼうか? みずきちゃん? あ、おれのことはナナって呼んで」
「……喧嘩売っとんのか?」
「きょとん?」
「……自分できょとんって言うなや」
「ナイスツッコミ、テツくん」
おいおいおい、と栄人は戸惑う。何、この微妙な雰囲気。
「(水城も寮の奴なんだ……ていうか、なんでナナはあんな挑発的な態度なの)」
そして、何故、短気で有名なクラスメイトが、怒らないのか。
突っ込みづらいので、とりあえず放っておくことにした。
「じゃあ、テツくんて呼ぶよ」
「勝手にせぇ」
「うん。テツくん、職員室ちゃんと行った?」
「……行った」
「今日さぁ、多分帰ったら黒染め用の絵の具が用意してあると思うから、染め直してね」
「いや、絵の具と違うじゃろ! 染め直さんし」
「アオさんが染め直させるって言ってたよ。逆らえないでしょう?」
うふふ、と笑う七緒が、どことなくサドっぽい。
―――ナナ、ちょっとテンション違うなぁ……
寮ではいつもあんな風なのだろうか、と思いながら(実際はそんなことないのだが)、背後の会話にに耳をすませる栄人。
虎哲の方は、完全に対応に困っているようで、しかめっ面になっていた。
「……染め直す理由がわからん。校則は守っちょる。……髪に関しては」
不服そうな虎哲の言葉に、苦笑する。髪に関しての校則は、ほぼ無いといっても良いのだから、赤だろうがピンクだろうが、注意はされないのだ。
「絡まれやすいじゃん、目立つと。どうして赤なの?」
「なしてお前に言わんとあかんがか!」
がた、と椅子をひく音がしたので、慌てて振り返ると、仁王立ちした虎哲と、座ったまま背筋を伸ばす七緒が睨みあっていた。
一瞬怯んだように見えた七緒だったが、すぐに虎哲の視線を受けて立つ。
「怒るのやめてよね。忘れないで、おれはあなたと喧嘩するつもりないから。あなただって、喧嘩して良い立場じゃないでしょ」
叱りつけるような口調のあと―――
「……っていうか、なんで赤なのーって聞いただけじゃん……」
子供のように頬を膨らませた。
俯いた彼が、微妙に涙目なことに気付いてしまった栄人は、仕方なしに間に入る。
「ナナ、今のはお前が意地悪な口調だったよ。水城も座りなよ」
七緒の様子と、栄人の穏やかな口調に毒気を抜かれた虎哲は、ため息をついた。
「なんだってええじゃろうが。ひとの頭のことなんて」
「理由くらい聞いたっていいじゃない」
うっとおしそうに言う虎哲。が、七緒はめげない。
負けず嫌いかと聞かれれば、そうではないはずなのに。やけに突っかかる七緒を不思議に思って、栄人が問いかけた。
「ナナ、なんか今日意地悪くない?」
「意地悪いって何! 悪くないよ! ―――……しいていえば、」
昨日、年上だと思って敬語を使ってたのが悔しくて。
思ってもみない理由に、栄人と虎哲は唖然とした。
「みんなもさ、教えてくれたって良いのに……誰も何も言わないし! すごく恥ずかしいじゃん!」
「……っ、そりゃ、お前が勝手に勘違いしただけじゃろ! 俺のせいにすな」
「やー、よくわかんないけど……水城に賛成だわ」
「ハチさん!? まさかのアウェイ!? やだー、そこはおれの味方してよ!」
「どっちにしてもめんどくさいわあ。そういえば、水城が来るの久しぶりだよな。どこか行ってたの」
話題を変えようとした栄人だが、どうやら地雷を踏んだようだった。
目を細めた虎哲は、すっと立ち上がったかと思うと、なんの迷いもなく教室から出て行った。
たっぷり数秒、茫然としたのち、かすれた声を漏らしたのは、七緒の方だった。
「…え!? 何、さ、サボり…?」
「流れるような動きだったな……カバン持ってっちゃったぞ」
「……え、え、うそぉ……」
おっかさんの「退学寸前」の言葉が思い浮かび、慌ててドアの方に駆け寄る。
廊下に顔を突き出してはみたが、もう赤髪はどこにも見当たらない。
「ええーー!! 本当に行っちゃったぁ! うそぉ、おれのせい!? どっどっどっ、どうしよ……!」
「お、落ち着け。あのひと、前からよくいなくなってたから。この学校、割と出席に関しては緩いし」
それを放っておいてるのもどうなの、と思ったが、ようやく落ち着く七緒。
ぽかんとした表情で、2人は顔を見合わせる。
「……正直、水城が立ち上がった時、超びびったよ俺……」
「おれもだよ! ていうか、まじで行っちゃったの……!?」
「何が起こったのかわかんなかったわ。あー、俺、変なこと聞いたかな」
がしがしと頭を掻く栄人に、首を振って見せる。
当然疑問に思うことを聞いたまでで、栄人は悪いことをしていない。何も言わずに出て行った虎哲が、子供なのだ。
「ハチは悪くないと思うよ。実家に帰ってたんだって。理由は知らないけど。だからおれ、昨日初めて会ったのよ」
「はぁー。で、先輩だと思ってたと」
だって背ぇ高いし威圧感半端ないし! 目一杯主張して、大きなため息をつく。
多分、今のは自分が意地を張ったのが悪い。
でも、だからって、出て行くことはないと思うのだ。
「難しいひとだ……」
七緒が呟いたとき、場違いな明るさで、圭介が教室に入ってきた。
「おっはー! って、暗い! ナナハチさん、暗いぞよ?」
「うるせえ奴きた」
「でも、このぐらいのテンションのが、今はほっとする」
急にありがたがられて、きょとんとする圭介だった。
結局、4時間目が終わっても、虎哲が戻ってくることはなかった。
「……で、掃除当番は7班。はいHR終わり。解散!」
解散、と生徒たちが復唱すると、緒方先生は気だるげに教室を出て行く。
この、1年3組独特の挨拶にも、最近ようやく慣れてきた。
「(解散! って……ホームレス中学生じゃないんだから。でも、緒方先生らしいっちゃらしいなぁ)」
7班である七緒は、立てつけの悪い掃除用具ロッカーを開けながら、ひっそりと笑った。
「うわっ、思い出し笑いしてる。思い出し笑いってえろいんだぜぇ」
楽しそうに言う圭介を軽く叩いて、ちりとりを押しつける。彼は掃除当番ではないが、午後から部活があるので、暇つぶしで教室に残っているのだ。
掃除好きらしい栄人が、黙々と黒板を消しているので、構ってもらえそうなこっちに来たのだろう。
「お昼ご飯食べなくてもいいの?」
「おう。2時からだから、まだいい」
「半ドンの日に部活って嫌じゃない?」
「やだやだ! オレなんて補欠でもねえのにさー」
たわいもない話をしながら、ゴミを掃いていると、米子独特の、語尾を伸ばす声が聞こえてきた。
「ねーぇ? なんか下、騒いでない~?」
「え、何々」
彼女の視線を追って窓辺に寄る2人。指された方向を見やる。
「本当だ。なんかあったのかな」
好奇心をくすぐられているらしい圭介の横で、七緒は眉根を寄せていた。
「あ、ナナくん、もしかして見えてない? なんかねえ、校門あたりで人が集まってるみたいなんだよぉ」
「ありがと、ヨネちゃん。何かあったのかなぁ」
そこまではわかんないけど、と言う米子の隣で、圭介が窓から大きく身を乗り出したまま、言った。
「なんか、他校生がいる…制服違う。あと、髪がすげぇ派手」
「え~、明石くん目ぇ良いね」
感心する米子と照れる圭介を眺めながら、七緒は既視感を感じていた。
―――わたし、最近、髪の派手なひとに会った気が
「なにいろ」
「え?」
ひきつった顔で問いかけられ、圭介は一瞬戸惑ったようだったが、すぐになんのことか思い当ったようで、答えた。
「青っぽいのと、緑」
あ、そのひとたち、十中八九 知ってます。