閑話
今日は美味しいハンバーグ…のはずなのに。
「…………」
「…………」
なんだろう、この雰囲気は。
七緒と、隣に座る戸野橋は、顔を見合わせた。
この妙な空気の中心は、あの赤髪である。雪弥に無理矢理連れて来られたらしい彼は、怒ったような顔で、野菜をほおばっている。
なんとなく、彼に対して、どんな態度をとればいいのか、みんなわからないらしい。
おっかさんがお怒りになったことはすでに周知の事実で、それ以上説教しようと思う先輩はいない。
かといって、心配しているそぶりを見せると、本人は怒るだろうというのも、なんとなく予想できた。
さらに、彼に声をかけにくくさせているのは、彼が10日間、寮にいなかったことだ。
その理由は、おっかさん以外知らされていないようで、そこからも「なんかヤバいことあったんじゃ…」なんて予想できてしまって、聞きにくいのだ。
「難儀だなぁ…戸塚、おかわり」
そう言ったのは、七緒の右隣を陣取る緒方先生だ。
茶碗を受け取る七緒を見て、由良は目を細めた。
「つーか、なんで先生いんの? なんで食ってんの?」
「あんだけ尽力したんだからこのぐらい良いだろ。戸野橋ぃ、お前冷てえな」
理不尽な悪口を言われる由良に、七緒は苦笑してみせた。
「おう、さんきゅ。冷血戸野橋と違って、戸塚は優しいなぁ」
「このオッサン、ひとんちで偉そうな…」
「……もうおかわりナシですよ。まだバスケとテニスと右代くんが帰って来てないんですから」
そっぽを向く七緒に、由良はあれっと思う。
いつもなら、先生の言葉にツッコミか、かぶせてボケるか、するはずなのに。
七緒が立ちあがったその時、玄関の引き戸が開く音がした。
「テツーーーっ!!」
叫びながら食堂に飛び込んできたのは、3年生の若松 彰人だ。
くりんとした瞳に、ころころ変わる表情。子供っぽい顔立ちの割に、寮内では赤城やおっかさんに次ぐ、背高のっぽである。
彼はお目当ての人物の姿を見つけるやいなや、満面の笑顔で―――ヘッドロックをかけに行く。
「お前ぇ、帰って来たならメールくらいしろやーー!」
「箸、箸! まっさん、俺今箸持ってんじゃけぇヤメロ!」
嬉しそうな彰人に、ぶすっとしていたはずの青年が、初めて表情を崩した。
「こら、お前ら。食事中なんだから、埃たてるんじゃねーよ」
素早く注意する葵だが、その表情は、どこかほっとしているように見えた。
「あ、ゴメン葵。とゆうか、みんなゴメン。で、テツはいつ帰って来たん?」
「夕方に強制送還されて来たんすよぉ」
にやにや顔で横から口を出すのは、言うまでもなく雪弥だ。彼は青年の隣に座り、特に構うでもなく、普段より静かにしていたのだが、彰人の登場によって、テンションがあがってきたらしい。
「強制送還? なんで?」
「喧嘩して」
「っ、てめー、チクるな!!」
ぎょっとした青年が雪弥の膝を蹴ろうとして、彰人に止められる。
「……虎哲。喧嘩したのか」
真摯な問いかけに、青年は蚊の鳴くような声で「……ちぃとだけじゃ」と言った。
怯えたような表情が、妙に七緒の印象に残った。
「喧嘩に、ちっとも何もあるかよ……怪我は?」
「かすり傷とタンコブくらいっすよ。まっさんも知ってるでしょ、テツが超合金で出来てるの」
「出来てねえよ。お前一回黙れよ」
ものすごい顔で睨まれているのに、雪弥はビクともしない。
彰人は少し息をついて、それから怖い顔を作ってみせた。が、雪弥を睨む青年に比べたら、子犬のようなもんだった。
「気をつけろよ、怪我だけは。てゆうか、喧嘩するなら口でやれ。前にも言ったろう? 周りに心配かけるなって―――」
お説教し始めた彰人に、「まっさん、まっさん」と雪弥が笑いかける。
「こいつ、さっきおっかさんにたっぷり説教されてたから、優しくしてあげて」
「え、おっかさんに!? …………そりゃあ、お疲れさんだなぁ」
途端に、彰人が労わるような態度になったことからも、どれだけお怒りモードのおっかさんが恐れられているか、わかる。
ちなみにそのご本人が壁一枚隔てた台所にいるので、声をひそめた方がいいような気もした。
「(……ていうか、テツさん、普通に喋るひとなんだな…ちょっと怖いけど。彰人先輩とは、仲がいいんだろーか)」
先程の、頑なな態度に比べて、彰人が来てからの雰囲気は、目に見えて柔らかくなっている。
「ね、戸野橋くん…あの辺ってどういう…?」
小声でたずねると、すぐに察した戸野橋は、肩をすくめた。
「あんまし知らないんだけど、テツが素直に言うコト聞くの、アオさんと彰人先輩くらいだぜ」
「へぇー…」
―――アオさんはともかく、彰人先輩はなんでだろう
失礼な話だが、七緒は素でそう思った。
葵の場合は、銀杏寮では満場一致の「頼れる兄さん」だ。管理人のおっかさんと比べても、勝るとも劣らない。
しかし、彰人は、3年生の割に落ち着きがないというか、意気込んで料理に挑戦したは良いものの失敗したうえ後片づけは親に丸投げしちゃう小学生、というイメージなのだ。
「(ナオをそのまま3年にした感じ……優しいけど、頼れはしないよなぁ)」
さらに言えば、彼は生粋のバスケ少年だ。この学校にも、スポーツ推薦で入ってきている。
そんな彰人と、見るからに不良の青年は、全く接点がないように思えた。
「はー、食った食った」
「先生、本当にがっつり食べましたね…ひとの分まで」
あの後、多少雰囲気の和らいだ食卓は、部活組の帰宅もあって、いつものように騒がしく終わった。
ほとんどの子供たちがそれぞれの部屋に戻ったが、七緒に加え、陸部1年3人組が食堂に残っている。
満足げな緒方先生を、4人揃って呆れた顔で見つめた。
「つーか、なんで緒方先生がいたわけ? 極々自然に座ってらしたけども」
騒いでいた時にいなかった岩平は、食事の間中、不思議そうにしていたのだ。
「戸塚のおつかいを手伝ったから」
「うん、まあ…手伝ってもらったから、おっかさんに頼んでみた。ら、あっさりオッケーだった」
「それ絶対、おっかさんの弱みとか握ってるよね、先生」
「教えてたんだっけ」
「教えてたよ」
「おじさん、いつから倫葉学園にいんの?」
「忘れた」
「ていうかもう帰れば?」
「さよなら、せんせー」
「お前らなんでそんなに冷たいの!!?」
いいよおじさん帰るよ! と拗ね出す先生に、戸野橋と直哉は爆笑する。
「あ、戸塚。あいつに言っとけ。明日朝、ちゃんと職員室来いよって」
帰り支度(といっても、彼は手ぶらだが)をしながらそう言われ、七緒はきょとんとした。
「あいつってテツ、さん? なんで?」
「だって1週間以上登校出来なかったんだから、とりあえず報告は来てもらわないと」
「あー……」
「ナナ、言いにくいならオレから言っておこうかぁ?」
そう申し出たのは岩平で、今度は緒方先生が首を傾げる番だった。
「オレ、テツと部屋隣だもん。言っとくよー」
「絶対来いって念押しとけー。じゃ、俺帰る」
「ばいばーい、おじさん」
「え、ナナ行くの」
緒方先生に続いて、食堂を出て行こうとする七緒に気付き、直哉が声をあげる。
「え? うん、見送り」
「いいよー、せんせえにそんなのいらないよー! ゲームしようぜえ」
「…お前、絶対単位やらねえからな…」
「うおっ、まだいた!」
そういえば、転校初日から、直哉とこの先生のやり取りはこんな感じだったなぁと思って、七緒はくすくすと笑った。
心地良いなぁ、と呟いた。