4、のん気な男体化
「……まじか…」
朝、起きると。
やっぱり奈々子は、男の子になっていた。
胸もぺったんこだし、足の間になにやら要らんモンがついているようだ。
「…あ、髪がない」
そしてさらに、背中の中ほどまであった髪も、さっくり男の子ヘアになっている。
慌ててメガネをつけ、鏡を覗き込んだ。
「(ほ…スポーツ刈りにはされてないっぽい)」
オタクっぽくもキザっぽくもない程度に長くて、でも男の子仕様に耳はでている。癖っ毛なので、ぴょこぴょこ跳ねていてかっこよくはない。
せっかく伸ばしたのにな、と思っていたら、ふと、顔も変わっていることに気がついた。
「(たかあき…? いや、わたしか! うっそ、男のわたしって孝明そっくり! てか母さんにそっくり!)」
うおお念願の二重まぶた! なんて騒いでいると、どこからともなく昨日の2人がでてきた。
「のん気な奴だな、性転換したってのに」
「奈々子さん、おはようございます」
「おはよう、いやー魔法ってすごいね。めちゃくちゃぐっすり眠ったよー」
声も幾分か低くなっているが、多分これなら弟の方が低いだろう。
昨晩、興奮状態だった奈々子に、彼らは、安眠出来るという魔法をかけてくれた。
「(…魔法、とは違うんだっけ? まあ、おまじないでもなんでも良いんだけど)」
ふと、鏡の横の時計を見ると、まだ早朝だということがわかった。窓からは日の光もはいってこない。
「あれっ、まだ日の出前? わたし目覚まし無しで起きられたの初めて」
「これからのことを説明する時間が欲しかったので、起こさせてもらいました」
説明、という言葉に、奈々子は心の中でため息をつく。
―――相談、ではないのだなあ。
「まず、申し訳ありませんが、名前を変えて頂きます」
「奈々子なんて、バッチリ女の名前だからな。男でも通用するようなのを考えろ」
「か、考えろって君ねえ……」
―――天界に抗議出来るものならしたいよ、本当。
にしても、名前まで変わってしまうのは、寂しい。
どこかに自分を残しておきたい、という気持ちもあって、奈々子は金髪にこう問いかけた。
「わたし、ナナってよく呼ばれてたから……ナナって入る男の子の名前ってある?」
「な…な…あ、ありましたよ。どれがいいですか?」
金髪は、小脇に抱えていた、辞書のように分厚い手帳から、すぐに調べだしてくれた。
名前の一覧を、奈々子は覗き込む。
―――なな、ななお、ななき、ななせ、ななみ……うーん、どれが良いだろう
「どれがいいと思う?」
天使たちの意見も聞いてみたい、と問いかけたが、金髪には困った顔をされ、黒髪には「自分で考えろ」と一蹴された。
「うーん、じゃ、この「ななお」ってやつで。母音が一緒だし。漢字はなんでも良いの?」
「ええ、名前に使えるものなら」
「「なな」はなんでもいいや。「お」は、男とか雄じゃなければなんでも」
「わかりました。
では…あなたは、今日このときから「戸塚 奈々子」ではなく、「戸塚 七緒」さんです」
戸塚、七緒……口の中で何度か呟いてみて、頷いた。
「七緒って、良い字ね! ありがとう」
すると、金髪は、まん丸い目を見開いた。どうやら、被害者である奈々子がお礼を言ったことに驚いたらしい。
黒髪も、不思議そうな顔で奈々子を眺めた。
―――お、落ち着かないぞ。美形2人に見つめられてるこの状況は…
「(ああでも目の保養だな…天使なら羽とか出してくんないかな…)」
「え、えーと、では次は…まわりの皆さんのことですね」
気を取り直した金髪が、また手帳をめくりだす。
「ご家族、ご友人の方々には、奈々子さ…あ、いえ、七緒さんはもともと男性だった、という記憶をもってもらいました。ですので、男性の七緒さんと付き合ってきたと思っているはずです」
「…じゃ、わたしが女だから起きたことって…例えば、お母さんに生理の相談をしたとか、そういう記憶は?」
金髪は、申し訳なさそうに首を振った。
「そういった記憶は、申し訳ありませんが、消させて頂きました。さらに、男性としておかしい付き合い方の記憶も、修正させて頂きました」
友達との記憶は、男友達として変じゃない程度に直されてるんだ。
まあ確かに、付き合ってもいない男の子と2人でプリクラは撮らないだろうし、連れションなんてもってのほかだ。
そこで、ちらりと頭をよぎる、嫌な予感。
「男…って、わたし、高校は女子校だよ? 高浜さんとか瑠璃ちゃんとかとは、高校で出会ったんだよ? その辺はどうするの?」
そう聞くと、今度は黒髪が偉そうに答えた。
「お前が、女子校に入ってから出来た友人の記憶は、完全に消した。男のお前があの高校に入れるはずないんだからな」
「そ、そうか…。せっかく、友達出来たのにな…あれ? わたし、転校するんだよね? 4月から今までの間、どこにいたことになんの?」
考えれば考えるほど疑問がわいてくる。同時に、不安も。
「そこは難しかった。やっぱり俺たちが勝手に「4月からここにいた」なんて記憶を植え付けるのはよくないからな。そんなの、家族やら友達やらだけでこりごりだ。最初っからないもんを作るのも難しいし。転校って形が一番いい。
お前は、親父さんの出張について行ったってことになってる。今度の親父さんの出張、確か三年の予定だったろ」
そう。なんの仕事をしているのか知らないが、彼女の父はちょくちょく出張する。
今回ほど長くて遠いのは初めてで、いっそ家族で引っ越そうかという話もでていたくらいだ。
しかし、奈々子も推薦で女子校に入れそうだったし、来年度は孝明が受験生だということで、ひとりで行ってもらった。
「お前は、親父さんについて、高校三年間を熊本の高校で過ごすつもりだった。だがそこであまりに上手く行かなかったため、生まれ育ったこっちに戻ってきたというわけだ」
「ウワー、嫌な設定になってんな…逃げ出したってことじゃん、それ」
「まあ、こっちに戻ってきた理由はなんでもいい。とにかく、お前がこの1ヶ月ほどいたのは、熊本県立第一高校ってことになってるから」
「はいはーい」
忘れそうだからメモしろメモ、と促されて、机の引き出しから手帳を引っ張り出す。
と、それは見慣れたお菓子のイラストではなく、戦隊モノの表紙に変わっていた。
「………………」
「ああ、そうそう。七緒さんの服や持ち物も、男性用に変えておきました。…ちなみに、その手帳を選んだのは私ではありませんよ」
黒髪天使に視線をうつすと、彼は、どや顔で奈々子の感想を待っていた。
「文具は全て、彼に選んで頂きました」
―――金髪ちゃん、それってまさか!
奈々子は慌ててペンケースをひっくり返す。
「………………」
―――オーマイガッ! なんてこったい、全部戦隊モノのグッズじゃないか!
―――しかも何、このペンケースについてるキーホルダー。竜が巻きついた…剣? …あ、これ、移動教室のときとかにお土産屋さんでみた奴だ!
―――…ヤバいぞ、黒髪くんは小学生男子の趣味だ。
無言のまま、タンスを開ける。
奈那子は男物の流行なんてわからないが、そこには、イケイケすぎなくてダサくない程度の、無難な服が揃えてあった。
「…そちらは、私が」
「ありがとう大好き!」
半泣きで金髪天使に抱きつくと、彼女はちょっと赤くなった。
「全部金髪ちゃんが揃えてくれたら良かったのに…」
「おい! それどういう意味だ!?」
黒髪天使が騒いでいるが、放っておいた。
「…えー次は、これから行く学校についてですね」
「朝日ヶ丘高校がいいです」
即答されて、天使たちはぎょっとなった。
朝日ヶ丘高校。通称朝高は、家から一番近い都立高校である。
奈々子はもともと、その朝高を受けていた。今までの女子校は、滑り止めのB推薦だ。
あっさり朝高には落ちてしまったけれど、男になって行けるというなら、ぜひ行きたい、と奈々子は力説した。
「朝高ならチャリ通圏内だし、中学のときの仲良しもいるしー…あれ?」
ひとりで盛り上がっていたら、天使たちが、顔を見合わせている光景が見えた。
「え、えーと…何?」
「あのう、本っ当に申し訳ないのですが、七緒さんにはこの中から学校を選んで頂くことになります」
どさ、と布団の上に積まれたパンフレットの山に、奈々子は飛びつく。
もうどこからだしたとかは一切考えない。多分天使は四次元ポケットとか持ってるのだ。
「………ちょっと待って! これ…男子校ばっかじゃん!」
悲鳴に近い声をあげる奈々子に、黒髪が怒鳴り返す。
「よく見ろよ! 共学もあんだろ」
「圧倒的に男子校のが多いんですけど! どういう基準で選んだらこうなるわけ!」
騒がしい2人の間に割り込むように、金髪が答えた。
「七緒さんには、寮に入って頂きます! なので、東京都・千葉県・埼玉県の中から、男子寮のある学校をピックアップさせてもらいました!」
寮? と奈々子は首を傾げる。
「記憶の修正・忘却っていうのは、完璧なものではないんです。修正した記憶が定着するまでに時間を要するのです。
だから、孝太さん、奈津美さんや孝明さん…つまりあなたのお父様、お母様、弟さんのような、あなたにとても近しかった方には特に、記憶が定着するまでボロを出せない。修正した記憶が剥がれ落ち、もともとの記憶が戻ってしまいますからね。
ですから、これから三年間、出来る限り、家族・親しい友人とは、直接会わないでもらいたいのです」
自他共に認める、マイペースで能天気な奈々子も、さすがに怒りが湧いたらしい。
性転換され、転校を余儀なくされ、さらに家族とまでも引き離される。
拳を固く握り、天使らを睨みつけた。
「…あのさ。わたし、それってちょっとひどいと思うよ」
「オレたちだってそう思ってるさ。性転換しちまうのだって充分ひどい。お前にとっては理不尽以外の何物でもない」
そんなのはわかってるんだ、と黒髪は言った。
「でも、どうしようもないんだ。オレたちには、何も出来ない」
元・少女は黙り込む。彼らも、自分と同じように無力なのだ。
ゆっくり息を吸って、吐く。
「…その代わりといったらアレですが、今後の生活については、私たち天使がそれぞれあなたについて、完全にサポートします」
遠慮勝ちに金髪が言うと、奈々子は閉じていた目を開いた。
「え? どういう意味?」
首を傾げた奈々子の表情からは、もう先ほどまでの怒りはない。
心の中では、この理不尽に嘆き怒っているだろうに、自分たちに気を使わせないよう顔にはださないでいてくれるのだ、と思うと、金髪は奈々子に好感を持った。
「学費や生活用品、この性転換に関して生じた出費は、天界持ちですし…あなたが困ったことがあれば、担当の天使が飛んできます。むしろいつもそばにいます」
文字通り、「飛んで」くるのだろうなあとのんきに考えて、奈々子はふっと笑う。
すっかり感覚が麻痺した。もともとマイペースではあるけれど、やっぱりこの状況はキャパオーバーらしい。
「…そう。わかった。学校なんだけど、ここにしていい? この中じゃ家から一番近いもの」
目に付いたパンフレットを手に取り、ぱらぱらとめくる。
「共学だし、わりとゆるい校風みたい。女子の制服可愛いなー。着れないケド」
「いいじゃんか、学ラン。男らしくて」
「や、ここ男子ブレザー」
「いいじゃんか、ブレザー。学ランは重いらしいぞ」
言い換えた! 何その情報、どこから仕入れたの、なんて笑いながら、奈々子は読み進める。
「寮の写真でてないけど…わっ、綺麗な並木道。あ、最近校舎建て替えしたみたい」
「七緒さんの学びたいものは学べますか?」
「あー…うん、わたしまだ特に進路決めてなくて…文系だとおもうけど。ここ偏差値もそんな高くないし、レベル的にも大丈夫みたい」
「あっさり決めてるけど、いいのか、そこで」
「うん」
本当にあっさり、彼女は決めた。
「なんて読むのかな、これ。…りん、―――?」
「りんよう、ですね」
「私立だけど、いい?」
「いいよ。じゃ、決まりだ」
私立倫葉学園。
そこで、彼(元・彼女)はこれから三年間、過ごすことになった。




