38、相談と階段
ノックの音に返事をする。すぐに後悔した。
「ああ怖かった超怖かった」
どやどやと部屋に入って来た人々を見て、驚くラファエル。
人数もそうだが、上級生やら理科教師やらが混ざっていることに困惑した。
「は? ……何、大人数で」
「あー、すまん、シュタイネル。ちょっとうるさいけど」
葵にそう言われると、それ以上つっこむことが出来ない。ぱくぱくと口を開け閉めして、ルームメイトと5人の客人が居場所を作るのを眺めていた。
「座っていい?」
七緒がベッドに寄って来て首を傾げた。言いかえす気力もなかったので、大人しく本を閉じ、場所を空ける。
年長者たちに床を譲るため、戸野橋と直哉は上段に上がった。高校生男子が2人、二段ベッドの上段に座るなんて狂気の沙汰だ。ぎしぎしと軋む音が、下段の2人にちょっとした恐怖を降らせる。せめて戸野橋でなく、七緒が上がるべきだった。
「超たわんでるけど。大丈夫かなぁ、これ」
「……お前ら暴れんじゃねーぞ」
下段組の言葉に、上段2人は顔を見合わせる。
「暴れねーよ。それよりシュタイネル、聞いて」
「テツが帰ってきて、おっかさんが怒った」
緑色の瞳を思いきり細め、ラファエルは椅子に座る葵に、説明を求めた。
「葵さん、何があったんですか」
「ああ、4階だからさすがに聞こえないよな。テツがさ、帰って来たんだけど…早速商店街で喧嘩したらしくってさ。居合わせた緒方先生とナナが、なんとか連れ帰ってきてくれたわけ。で、反省の色が見えないテツに、おっかさんがお怒り中なんだ」
「オレらは怖くて逃げてきた」
呆れた顔で、ため息をつくラファエル。
「なんで懲りないんですか、あいつ。前も同学年の奴と喧嘩してたし」
「あ~、そっか、シュタイネルってテツと仲良くないよな」
思い出したように言う直哉。戸野橋も頷いて、ラファエルは眉間にしわを寄せた。
「あいつと仲の良い奴なんていんの?」
「オレオレ。テツとは仲良いぜぇ」
緒方先生にもたれて、本棚を眺めていた雪弥が手を挙げる。しかし、速攻で斬られた。
「あんたが一方的にまとわりついてるだけだろう」
「超刺さったよ。ラファエルお前、なんでオレに対してそんな冷たいかね! 敬語はどこにいった!?」
騒ぎたてる2年生を、金髪の一年生は冷ややかな表情で見つめた。
「気易く名前呼ぶな。初対面の同性をナンパするような奴に払う敬意はない」
「……お前、そんなことしたんか」
「ちょっとおがちゃん、その目やめてくれません?」
「ゆーきゃん先輩はラファエルくんみたいな子がタイプなんですねえ」
七緒ののんきな反応に、噴き出したのは葵と緒方だった。一方で、困惑するのは雪弥とラファエルである。
「…ナナさあ、意味わかってる?」
我慢出来ずに、口をだす直哉。上段から逆さまに覗きこむ。
きょとんとした七緒。
「意味って何さ」
「…意味って、意味は意味だよ…」
「意味わかんないけど!?」
まあまあ、と声をあげたのは、やはり葵だ。
「それはまあ置いといてさ。脱線もいいとこだ。つまり、これからどうするかってことだよ」
「どうするって、何を」
「とりあえず俺は、テツの髪を染め直させるつもり。とにかく、あいつが喧嘩すると、おっかさんが怒るだろ。俺たち、とばっちりで恐怖じゃん」
ああ、そういう話し合いか、と七緒は納得する。彼の髪は悪目立ちし過ぎるし、多分絡まれやすい。
とりあえず軽い理由を挙げているが、葵はきっと、純粋にあの青年が心配なのだろうと分かる。
納得した少年たちが、次々に発言する。
「オレ、ピアスの数減らしたらいいと思うー。ゆーきゃん先輩より多いんだもん」
「俺は…うーん、あの、いかにもな服装を変えたらいいんじゃないかな」
「あのひでぇ目つきが駄目なんだろ」
「シュタイネル、お前は可愛い顔して言うコト酷いよな。つーか、おっかさんにばれなきゃいいんじゃねー?」
「解決になってねえだろ、そりゃ」
ついには緒方先生も混ざり、わらわらと好き勝手な意見が飛び交う。ここに本人がいたら、絶対怒鳴っているだろう。
しかし、「テツ」のことをほとんど知らない七緒は、黙って見ているしかない。
―――そ、疎外感…
これだから転入生は、とため息をつく。
「(……でもなぁ、寮に入って、もう10日も経ってるのに……どうして一度もあったことないのかな)」
ずっと気になっていた。例えば雪弥は、寮内で断トツで外泊が多い。部屋にこもりっきりのラファエルのような人もいるし、部活が忙しくていつも夕飯は皆と一緒でない人もいる。七緒が入寮した日は、バスケ部は合宿中でいなかった。
しかし、そうは言ってもたったの28人だ。10日も暮らせば、全員の顔はなんとなく覚えられる。
一度も会ったことがないのは、おかしいのだ。
「(そういや、さっきアオさんが「帰って来た」って言ってた……どこかに旅行でもしてたのかしら)」
そんなことを考えながら、ふと時計を見やる。
「……あっ…」
「どうした?」
唐突に声をあげた七緒を、全員が振り返る。
彼の声は、泣きそうだった。
「おれ…そろそろ夕飯作りに降りないと……」
「このね。オレの運の無さよ」
七緒の隣を、ぶつぶつ言いながら歩くのは、雪弥だった。
下が今どんな状態かもわかんないのに1人で行けって言うんですかーみんな薄情だよぅうわーん! と七緒が騒いだので、その場にいた全員が、じゃんけんをしたのだ。
そして、付き添いに選ばれた敗者が、彼なのである。
「ゆーきゃん先輩、もうちょっと早く歩いて下さいよ」
亀のような速度の雪弥を、七緒は困り顔で引っ張る。もうこんな人置いて行きたいが、1階でまだおっかさんが怒ってたら怖いので、引きずってでも一緒に行くつもりだ。
「付き合ってあげてんだから、先輩に合わせなさいヨ」
「もうっ。先輩の分のハンバーグ、小さくしますよ!」
「……なっまいき~! 七緒くんは、いつからそんなに偉くなったのかね!」
そういうが早いか、雪弥の手が伸びてきた。咄嗟に目をつむって、気付いたときにはもう遅かった。
「ちょっと! 返して下さいよっ」
「やーだー。ナナちゃんがオレに生意気言うから、やーだー」
眼鏡を取り上げられた七緒は、ぼやける視界に戸惑いながらも、雪弥の腕を乱暴に掴む。
しかし、視界が安定しない七緒と、細身ながらも年上の雪弥では、勝敗はわかりきっている。
「いじめ! これいじめですよ!」
「先輩を敬わないナナが悪い~」
「もおおおおお!」
手を伸ばすが、元々の身長で負けているうえ、一段下にいるのだ。
「ほ~れ、取れるもんなら取ってみろーい」
「悪役! ゆーきゃん先輩悪役! ……ってゆか、もうほんとに返して下さいよ」
そろそろ本当に時間がない。七緒は真面目な声をだす。
しかし、雪弥は呑気に眼鏡をかけてみたりしていた。
「うわっ、度ぉキツっ! お前どんなけ目ぇ悪いの」
「両目ともに0.1です……もう、せんぱ…っあ!」
無理矢理むしりとってやろうと身を乗り出した七緒が、お約束通り足を滑らせる。
「わっ、ナナ―――!!」
七緒以上に驚いたのは雪弥である。そして、雪弥以上に驚いたのは―――
「うおわっ!!?」
「きゃうっ!」
どしん、という音と振動が響き、慌てて雪弥は階段を駆け降りる。七緒は8段ほど転げ落ちたらしい。
「大丈夫かっ? ナナ」
「いてて…あれ、なんか割と大丈夫だ」
多少腕やら脚を打ったものの、予想していたような痛みが訪れないことに、きょとんとする七緒。
雪弥は安心して、いつものにやにや顔を浮かべた。
「そりゃ、いいクッションがあって良かったな」
クッション? と首を傾げた七緒は、振り向いて視線を下にやり―――固まる。
お尻の下には、未だに驚きが抜けきらない表情の、赤髪不良さんが、倒れていた。
―――お約束すぎるッ!!