37、目覚めた不良
「う…」
起き上がろうとして、青年は顔をしかめた。
このひとに関して言えば、青年と言うよりは少年に近い。どうやらロウは、一番小柄な子を選んで起こしたようだ。しかし、髪色は一番派手な、青色に銀のメッシュだ。
遠慮勝ちに声をかける。
「あの…大丈夫…ですか?」
ようやく七緒の存在に気がついたらしい。少年は目を見開くと、痛みも忘れて素早く身体を起こした。
「なっ、お前、誰……!?」
「ひゃっ、あぶな…っ!」
勢いが良すぎて、貧血を起こしたようだ。ぐらりとかしいだ身体を、慌てて抱きとめる。
「いきなり動いたら危ないですよ」
「……何、ここ。あんた誰……あの野郎は?」
体中の痛みに気付いたのか、少年は特に抵抗もせず、七緒の胸にぐったりと凭れ続けた。
「ええと…ここは、駅からちょっと入ったとこの、小さい公園です。あなたたちは、ここに倒れてました」
棒読みにはなっていないかと不安なりながら、精一杯「僕は通りすがりです」という顔をして見せる。
「……公園…!?」
きょろきょろと辺りを見回し、倒れ伏す仲間たちに気付く。
ぎろ、と至近距離で睨まれて、七緒はびくりと肩を震わせた。
「お前…お前、なんかしたのか」
「してませんよ。人が倒れてるから、驚いて…」
これ以上この話をしているとボロが出そうだ、と思った七緒は、ゆっくりと青髪の少年から身体を離す。
「ちょっと待てよ、聞きたいことが…」
「ハンカチ濡らしてきますから、大人しくしてて下さい」
少年の顔は、鼻血が乾いてこびりつき、大変グロテスクなことになっていたのだ。
さっきまではそれどころじゃなかったので放って置いたが、面と向かって話すとなると、気になる。
「(良かった、いつもはハンカチなんて持ち歩かないけど…)」
たまたま、今日はいつもより暑かったので、タオル生地のハンカチを持って出る気になったのだ。
小さい公園なので、水道はすぐに見つかった。淡い青色のそれを流水に浸け、軽く絞る。、
小走りで戻ると、青髪の少年は、同じ体勢で七緒を眺めていた。
「痛かったら言って下さい」
少年の頬に手を添えて、出来るだけ優しく血を拭きとる。一瞬、彼は身を引いたが、そのまま固まった。
「……オレ、商店街にいたはずなんだけど」
「おれがあなたを見つけたのは、この場所ですけど? …喧嘩でも、したんですか」
固い声でだが、ひょうひょうと問いかけてみる。少年の眉間に、盛大に皺が寄った。
「……喧嘩を売られたんだ。やるしかねぇだろうが」
えっ、と声をあげそうになって、慌てて、くしゃみのフリでごまかした。
―――喧嘩を仕掛けたのは……あのひとの方なの?
てっきり、4人に絡まれたあの赤髪が、正当防衛をしたのだと思っていた。
「(うわぁ、なんか、このひとたちに悪いことした気がするなぁ…まあ、喧嘩を買う方も買う方か)」
素知らぬ顔で作業を続けるが、内心ドキドキしっぱなしである。無理もない。今までの人生で、こんなにあからさまな「不良」と接点はなかったのだ。
「(うわーん、ピアスいっぱいついてる! ダメだダメだ、外見で人を判断しては…でも怖いってばー! 喧嘩は売られても買っちゃいけないよ! うう、余計なコト言わないようにしなきゃ)」
手が震えそうなのを抑えつつ、ちらりと少年の目をみやる。
まだこちらを凝視していたので、慌てて目を逸らした。
こんなに至近距離なんだから、そこまでガン見しなくたっていいだろうに。
しかし、少年は七緒の心情には気付くこともなく、目を瞬かせて、言った。
「……その辺にコンタクト落ちてねえか?」
「え?」
「ないんだ、両目とも……」
もう場所のことは聞くのを諦めたらしい、唐突にそんなことを言われ、きょとんとした七緒は―――すぐに青ざめた。
コンタクトだったら、喧嘩の現場に落ちている可能性が高い。っていうか、そうだろう。しかし、あの場所は、
―――水で流した…ッ!!
ところどころに落ちていた血を流すため、あの場所はホースを使って流してしまったのだ。
今更戻って探してみても、コンタクトが見つかる可能性は無に等しい。
変に思われないために、一応辺りを探すフリをしてみせた。
「……ないみたいですけど…」
「まじかよ…一万もしたのに…」
うわああああごめんなさいごめんなさいと心の中で絶叫する。
瞬間、少年の方が大きく揺れた。
「……ッ」
「あっ、ごめん! ここ、怪我だったんだ…」
慌てて、ハンカチを離す。左頬骨あたりが、擦り傷になっているようだ。
「ごめんなさい、気をつけるね」
七緒がそういうと、少年はふと、何故大人しく顔を拭われていたんだろうと思ったようだ。バツの悪そうな表情で、目を伏せる。
「……もういい。放っておいてくれ」
明らかに草食系な七緒には、あまり強く出る気になれないらしい。口調は乱暴だが、軽く肩を押すくらいで、あまり抵抗らしい抵抗はしない。
「そんなわけにいかないよ」
―――だって、コンタクト流したのわたしだしっ! このままじゃ良心が痛む!
もとはと言えば喧嘩していた彼らが悪いのだろうが、ロウは何も言わないでおいた。七緒は、どっちにしてもお人好しだ。
お人好し、という点については、出会って5分のこの少年も、痛いほど感じていた。
「消毒液とかあればいいんだけど…」
「チッ……舐めとけば治るっつーの」
「え……っ。それはさすがに…」
口ごもる七緒を見て、少年ははっとした。
「馬鹿っ、違うぞ! お前に舐めろっつってんじゃねーよ!」
「あっ、だよね。びっくりした」
「……ったく」
ため息をついた瞬間、ようやく、少年は自分が無防備に寄りかかっていたことに気がつく。
「っ、近ぇ!」
「わっ」
思わず七緒を突き飛ばすと、あまりにも簡単に彼は転がった。
少年の胸に罪悪感がよぎったが、砂場だったので、七緒に大したダメージはない。
砂を払いながら立ち上がる七緒を、少年は見上げた。
その瞳に不安を見てとった七緒は、ハンカチを振ってみせる。
「一回すすいできます。あなたはもう大丈夫みたいですけど、他の人も少し血が滲んでるので」
「……別に、そこまでしてくれなくても」
あんた関係ないだろう、と言われ、曖昧に笑う。彼が知らないだけで、関係はあるのだ。
「おれがしたいからするんです」
そう言って駆けて行く七緒の背中を、困惑を隠そうともせず見つめる少年。
再度濡らされたハンカチを受け取ると、言いにくそうな顔で七緒を見上げた。
「……おい、」
「はい? ……あっ」
声をかけられて振り返った七緒は、遠くからの呼び声に表情を輝かせた。
「おー…い、戸塚ぁ」
緒方先生が迎えに来たのだ。立ち上がると、笑顔で少年に言う。
「ごめんなさい、おれもう行かなきゃ。他の人も、もうすぐ目を覚ますと思いますよ」
さよなら、というと、先生の元へ走り出した。後ろから、小さく「ちょっ、待てよ」という声が聞こえたが、寮に運んだ怪我人のことも気になる。
背中に視線を感じながらも、七緒は入り口まで駆けて行った。
「あいつら、起きたのか?」
心配そうな先生の口調に、不思議と笑顔が浮かぶ。
「ええ。1人だけ起きました。…大丈夫でしたよ?」
歩きながらじっと見つめられて、首を傾げると、ふいに、緒方先生の手が顔の方に伸びてきた。
ぎょっとして身をすくめる。
「……砂ついてるけど? ていうか何びびってんの」
どうやら、髪についた砂をはらってくれたらしい。七緒は赤面すると、先生の腕を押しやった。
「これは、自分で転がっただけです。とにかく、早く寮に戻りましょうよ。おっかさん居たでしょ?」
「米といでた。つーかお前馬鹿だろ。田中さんちに買った物全部置きっぱなしだったからな」
ほら持て、と米を押しつけられて、七緒は顔をしかめた。
「あー、車に積んどけばよかったのに…重い…」
「馬鹿、俺はもっと重い玉ねぎ持ってるんだからな。曲がり角で交代しろよ」
「えー」
「えーじゃないっての。ったく、誰のせいだと…」
2人はぶうぶう言いながら、銀杏寮へ向かうのだった。
「ただいまー!」
からからから、と戸を開けると、直哉と戸野橋があっという間に駆けてきた。
「ナナ!」
「喧嘩に巻き込まれたって!?」
「巻き込まれてないよ!? 緒方先生、どんな説明したんですか?」
「それなりに普通の説明したけど」
どうやら、気絶したままの青年に気をとられ、直哉たちには「喧嘩」と「戸塚」のワードしか心に残っていなかったらしい。
「2人とも、陸部は?」
「今日はコーチいないから自主練になったんだよ。岩平は真面目にやってるけど……で、帰ってきたらちょっとした騒ぎになってるし」
戸野橋の話を聞きながら、抱きついている直哉をそのまま引きずって、食堂に赴く。
ちゃぶ台は壁際にたてられ、おっかさんと葵、雪弥が、横たわる青年を覗き込んでいた。
葵と雪弥が、七緒に気付く。
「おかえり、ナナ。お疲れ」
「おつかりー。ナナちゃん」
「アオさぁぁん、喧嘩現場、超怖かった! 血とか!」
ぽよん、と葵の腹に抱きつく七緒を見て、雪弥は目を細めた。
「あれぇ、オレは無視なのかな…」
「ゆーきゃん先輩はいじめるから嫌です。アオさんは柔らかくて気持ち良いから好きです」
「…うん、褒め言葉と受け取ることにするけどさあ」
今度は葵が遠い目をしたが、雪弥はにやにやと笑う。
葵に抱きつく七緒に、直哉がくっついており、直哉をいい加減に引きはがそうとしているらしい戸野橋が、彼の服を引っ張っている。
まるで、「大きなカブ」のようだ。
周囲が和みかけたその時、おっかさんが「しっ!」と鋭く声をあげた。
「……テツ? 大丈夫か、テツ」
どうやら、七緒が帰って来たことで、ロウが魔法を解いたらしい。
「(ていうか、このひとまで眠らせてたのか、ロウ…)」
しかし、おっかさんが妙に心配そうだ。不思議に思って直哉を振り向くと、「ああ」という顔をされた。
「あいつも、銀杏の奴なんだよ。一応」
「え…?」
入寮から2週間近く経っているのに、全く見たことがないなんて―――。
七緒がさらに追及しようとしたとき、青年が、小さく身動ぎした。
「う…ん……?」
目を開いて、それから、青年は、ぱっと飛び起きた。痛みに顔を歪めるところまで、青髪の少年と全く同じ反応である。
「な、んで……ここ、寮か? どうしてここにいるんだ?」
訳がわからない、というふうな青年に、いつの間にかおっかさんの隣にいた緒方先生が、簡潔に説明した。
「俺と戸塚が運んできた。感謝しろ」
緒方を見た瞬間、青年はかなり嫌な顔をし、七緒の方はちらりと一瞥しただけだった。
「さいたらことすな!」
迫力のある怒鳴り声に、びくり、と肩を揺らす、七緒含め3人の1年生たち。雪弥と葵も一瞬驚いたようだったが、すぐにそれぞれ、目を三角にした。
一方、緒方先生はさすがに冷静である。
「商店街で喧嘩なんてやってんじゃねーよ馬鹿。どんだけのひとに迷惑かけてんだよ。その上、お前を助けるために奔走した俺らにその態度か? ガキじゃねんだから礼くらい言えるようになりやがれ」
……今のうそ。かなりムッと来ているようである。
「そがぁなこと頼んで……!」
なおも言い返そうとした青年を制したのは、おっかさんだった。
「……テツぅ。何回言ったらわかると?」
子供たちは、一瞬ののちに顔を見合わせる。
自然と、5人は緒方先生を中心に、身を寄せ合った。
「人に心配かけといて、謝りのひとつもなかとはどがんことだ。助けてもろうて、「頼んどらん」て? わいがなんば言いよっとか。ふうけんなよ」
あくまでも、その口調は静かだ。しかし、普段の完璧な標準語でなくなっていることから、彼が怒っているのがわかる。
「…静かすぎて怖い」
雪弥の消え入るような呟きに、全員が小さく頷く。
同じくたじろいだ青年は、しかし、おっかさんを睨み続けた。
「うずろーしいわ、あんた」
七緒には、はっきりとした意味はわからなかったが、良い意味ではないことは確かだった。
空気が震える、感覚がした。
「せからしかっ! そがんふうだけん、喧嘩なんてすっとやろうがぁっ」
だん、と、おっかさんの拳が畳を殴る。
傍観する6人も、怒鳴りつけられた青年も、全員が、青ざめていた。
―――おっかさん、怒る。
方言については詳しい訳ではないので、間違ってたらご指摘下さい。
ふうけんなよ → ふざけんなよ
うずろーしいわ → うっとおしいよ
せからしか → しゃらくさい