閑話
すぱ、という音が気持ち良い。
二宮 由希は、リングやボードに一切触れさせないシュートが好きだった。
ネットをくぐる音だけが、どんなに周りが騒がしくとも、耳に残る。
夕暮れに染まる裏庭は、校庭で練習しているであろうテニス部の声が響いていた。
「ひゃほーっ、3本連続スリーポイント! なっ、見た? 最後のノータッチ……」
ガッツポーズをして振り向く―――が。友人は、あらぬ方向を向いている。
「……孝明ー、オレ、独り言みたいだからさ、こっち見ててくんないかなー…」
「へ? ああ、何? マックは奢らねーよ?」
「言ってませんけどそんなこと!?」
由希渾身のツッコミを、孝明は華麗にスルーして、無造作にボールを放った。
すぱん、と小気味良い音をたて、シュートは決まる。
「(ちっくしょー、嫌みなヤロー…)」
今日の孝明は、どことなくぼうっとしている。普段も抜けているところがあるのだが、最近は特にそれが顕著にあらわれていた。
しかし、どこか違う場所を見ているようでも、簡単にシュートを決めてしまう。それも、由希が必死で練習している、ノータッチのシュートをだ。
「…キャプテーン、お前最近おかしくね?」
「うるせーな。練習しないなら退けよ」
今日のバスケ部のメニューは、ロードワークだけだ。しかし、孝明と由希は、裏庭の隅にある古いゴールで、シュート練をしている。
2人は3年生だ。夏の大会が終われば、受験のために引退である。
出来るだけ長く、朝日ヶ丘第二中学校バスケ部として、バスケをしていたい―――そう思っているからこそ、部活の無い日も、こうして自主練に励んでいるのだ。
「……お前こそ、集中しないなら帰れよ」
苛立ったような声音に、ようやく孝明は目を合わせた。
「えっ…ごめん」
上の空である自覚はあったのか、バツの悪そうな表情で、ゴールの下に落ちたボールを拾う。
孝明は、意地っ張りのようで、自分が悪いと思ったらきちんと謝るタイプだ。
由希は由希で、もともとそんなに怒っているわけでもないので、小さく肩をすくめる。
「で、何? なんかさ、この前からぼけっとしてない? 連休んときくらいからさ……」
「……じゃあ質問です。お前が…兄にメールをするとしたら、敬語? タメ語?」
「は?」
ドリブルをやめ、由希は孝明に歩み寄る。
「何? なんて?」
「…………もーいいよなんでもねえようるせえよ黙れ」
「ちょおちょおちょお、待って待って、兄って、七緒さんだろ? 何、メール出すの? えーっ、めっずらしいこともあったもんだね!」
由希と孝明は、幼稚園からの腐れ縁である。なので、当然のように、彼の兄とも顔見知りだ。
「なんだよなんだよぉー、七緒さんが熊本行って、やっぱ寂しかったのなぁ!」
「……帰って来たよ。この前の連休に。こっちの高校行くんだってさ」
「はあ!? 初耳ですけど」
「お前に言う必要はないだろが」
「あるよ! オレ、七緒さんと仲良しじゃん! ってゆーか、高校行って忙しいのかなーって思ってメールしてなかったんだけど。なんだよ、じゃあお前んち行かせろよー!」
テンションが上がる由希に対し、孝明の方はすでにぐったりしている。
「つーか、お前らメールしてたのかよ…」
「たまにだけどね! で、お兄ちゃん大嫌いな思春期タカちゃんは、なんでまたメールを? 口で言えば良いのに」
「おっまえ、本当いっぺんぶん殴るぞ。……母さんに頼まれたんだよ。あいつ、寮入ったから」
「えーっ、寮? どこの?」
「もう黙れ。とにかく、文面考えろ。「たまには帰ってきてねってメールしといて」って母さんに言われた」
ぶっはー、と噴き出した由希は、その勢いで、ゴール下に置いてあるカバンに飛びついた。勝手に孝明のケータイを取り出し、メール作成画面を呼び出す。光速でキーを打ち、出来た文面を突き付ける。
「とりあえずこれじゃね?」
『お兄ちゃんへ。たまには帰って来ないと寂しいな。風邪とかひかないでね!(はあと)』
クリアボタンを押し、孝明は低い声で言った。
「…………死ねっ」
罵倒をもろともせず、もう一度文字を打ち始める由希。
「大体さぁ、敬語とかタメ語とか言ってる時点で不思議だよ。お前、七緒さんには口悪いじゃんか」
「……文章、苦手なんだよー」
かなり困っているらしい友人をみて、おふざけはやめ、真面目に相談に乗ってあげることにする。
「七緒さん、いつ出て行ったの?」
「木曜」
「………先週の!? 一週間前て! おまっ、どんだけ悩んでたの…!?」
試行錯誤の末、『たまには帰ってこい。風邪とかひくな。だとさ』という本文になった。
練習中は息切れすらしなかったくせに、この30分のメール作成により、孝明はぐったりとゴールに寄りかかっていた。
「これさー、命令形なのはいつものこととしてもさあ。題名でわざわざ「母さんから伝言」とか言わなくていいんじゃないの?」
「そこは譲らん。俺は別に、思ってないからな。帰ってこいとか。…あー疲れた、送っといて」
意地っ張りだなぁ、と思いながらも送信ボタンを押す―――のを、躊躇う。
「(……じゃあせめて、文末の「だとさ」を消すか。そっちの方が、多少可愛いげがあるもんな)」
―――こうして、あのそっけないメールは送られたのである。
送信ボックスを見た孝明が、由希にヘッドロックをかけるのは、10分ほど後の話。
「怒るほどのことでもねえじゃんかー!」
「この最後の3文字がないと、俺の気持ちみたくなるだろおぉ!」
「題名であんだけ主張してんだからいいじゃんかー!」
ちなみに、同時刻。
「…………あーーーっ!」
「うおっ、どうした、ナナ」
「わあ、わあー! 弟からメールがきたんですー! 先輩、見て見て!」
「あっ、トランプ落ちた!」
「ぎゃっ、コーヒーこぼれた!」
「暴れるなっ! 資料が崩れ…あーーーっ」
お茶部は、一時騒然となったらしい。