閑話
「……なんでそんな機嫌良いんだよ」
「ふふふっ、分かる?」
「分かるよ。いつにもましてうぜぇ」
ラファエルの毒舌にも、七緒は笑みを崩さない。
今日も今日とて、彼は夕食を持って、404号室を訪れた。
毎日食事を運んでくれるお隣さんは、もうそれを当たり前だと思い始めているらしい。
―――俺も、か。
鼻歌を歌いながら勝手に雑誌をめくる七緒を、こっそり眺める。
「(嬉しそうな、顔をするよなあ)」
一週間前に銀杏寮にきた戸塚七緒は、あまり少年らしくない少年だった。
穏やかで、細かいことを考えない性質らしく、あっさりと寮に溶け込んだ。
「(そんでもって、物好きなおせっかい…)」
管理人がうるさくないのをいいことに、ラファエルは入寮からひと月が経った今でも、数えるほどしか食堂で食事をとっていない。
一度、「栄養とらないとだめだよ」と諭されたが、「サプリメント飲んでるから」と答えた。
悲しそうな顔をされたが、おっかさんはそれ以上何も言わなかった。
「(きっと呆れられた、のに。こいつは、いくら煙たがっても、懲りやしない)」
飽きずに、うどんやお粥なんかを持ってきては、ラファエルが食べ終えただろう頃に、もう一度部屋を訪れる。
完食出来ることもあれば、残すこともあった。同室者の戸野橋が居る時は、残りを食べてもらったりもした。
戸野橋は、あまり他人に頓着しないタイプの人間だった。ラファエルが周りに馴染もうとしなくとも、それに関してとやかく言うことはない。
けれど、冷たいというわけでもなく、のろのろと食べているラファエルに、「食えないんだったら残り食うよ」と申し出たりする。ありがたく食べてもらった。
熱くもなく、冷たくもなく、そんな関係が割と心地よかったりする。
―――少なくとも、隣みたいな関係は面倒だ
目の前にいる七緒と、1年生の中でも一番騒がしい直哉の405号室は、寮内でも仲がいいコンビである。兄弟のように(どっちが兄か弟かは、その時々だ)仲が良く、部屋以外でも一緒にいるところをよく見かける。
ラファエルは、同室者と仲が良すぎると色々面倒だろうなぁと考えていた。喧嘩したら、お互い行き場がなさそうだ。
「むふっふふふ、むーふふー…かき集めー…テレッテー探し物ぉさーがしーにー行くのぉさあー」
「……歌うな!」
七緒の鼻歌が熱唱に変わり始めた頃、ラファエルはとうとう声をあげた。
「えっ、歌ってた?」
「歌ってたよ。ていうか、なんで今日はここで待ってるんだ?」
「理由はないけど…迷惑なら出てくよ?」
「……歌われると迷惑」
「じゃあ歌わない」
にっこり笑いかけられ、ラファエルは身を引く。いくら彼がおっとりしているからって、今日はなんだかおかしい。
「……なんか良いことでもあったのか?」
しぶしぶ問いかけると、眼鏡の奥の瞳が、きらりと光った気がした。
七緒は、素早い動きでケータイを取り出す。
「あのねっ、今日ねっ、部活んときにね! 弟からメールが来たの!」
掬ったチャーハンを口にいれると、ラファエルはれんげを置いた。
「ふーん、それで?」
輝かしい笑顔のまま、七緒が首を傾げる。
「え?」
「……いや、こっちが え? だよ。それで? ……え、まさかそれだけか?」
「それだけってなに! 大事件なんだもの、おれにとっては!」
驚くような内容なのかと思いきや、つきつけられたケータイの液晶画面には、こんな文があった。
5/13木17:46
送信者:タカ
件 名:母さんから伝言
本 文:たまには帰ってこい。風邪とかひくな。
「……超普通の文だけど? 若干そっけない」
「それが孝明から来たんだよっ! 初めてのメールだもん、嬉しいよー」
初めてぇ? と顔をしかめる。
「…………初めてがアレって…なに、嫌われてんの?」
「そうなんだよね、なんでだか嫌われてる」
笑顔のまま、あっさり肯定するものだから、ラファエルはどきりとした。
「……何故」
「さあ、わかんないんだけどね。だからもう、おれを気遣うようなメールがきたの、嬉しくて仕方ないんだ!」
気遣う、って言っても、それは母からの伝言だと書いてあるのに。
あまりに七緒が嬉しそうなので、そこはつっこまず、肩をすくめてチャーハンを掬った。
「……お前が、嬉しいなら、良かったな」
「うん、ありがと」
笑う七緒に―――何故か、胸がしめつけられる。
これは妬みだ、と思った。
家族を愛することができる彼を、ずるいと思っている。
「……うざい」
思わずそう呟くと、七緒は自分に向けられた言葉と思ったのか、思いだしたように立ち上がった。
「ああ、そうだっけ。ラファエルくん、食事中にいられるの、嫌なんだったっけ」
それは、そうだけど。緑色が細められる。
言った覚えはないが、確かに、食べているときに他人が近くにいるのが嫌いだった。
「(……ああ、だから、いつも飯置いたらどっか行ってたのか…)」
幾重にも、気遣われている。―――それが酷く、いらだたしい。
「…もういい。もう、食いきれない。……ごちそうさま」
「お粗末さまでした。ね、ラファエルくん」
特に嫌な顔をするわけでもなく、皿を持ちあげると、七緒は言った。
「ケータイ持ってる? したら、アドレス交換しようよ」
「持ってるけどやだよ」
「即答っ!? ……ううう、悲しい…」
とぼとぼとドアへ向かう七緒の背中を見て、ラファエルはさすがに可哀そうな言い方だったかな、と思った。
口を開きかけた、瞬間。
「おう、ナナ」
「あ、戸野橋くん。お邪魔してまーす」
戸野橋がタイミングよくドアを開けた。
がくりと肩すかしをくらうラファエルを、戸野橋は不思議そうに見つめる。
「…あ、なに、シュタイネル、残したの? 俺、食ってもいい?」
「いいけど、さっきもめちゃくちゃ食べてたじゃん。……あ、そうだ、由良くん! 見てみて、これが弟からのメールー!」
皿を戸野橋に押し付け、先程と同じように、ケータイを突き出す七緒。戸野橋はそれを一瞥し、もう一度読み返した。
「―――はあ? え、こんだけ?」
やっぱりそういう反応であってるんじゃないか、とラファエルはため息をつく。
……それにしても、七緒はみんなに「弟からメールが!」と言いまわってるのだろうか。
ちなみに、七緒が部屋に戻った後、直哉にもそれをみせたのか、壁の向こうからこんな会話が聞こえてきた。
「幸せレベル低っ! なんだよ、めちゃくちゃ騒ぐからどんな可愛いメールがきたのかと思ってたのに!」
「いいんだよー! 嬉しいんだもーん! ああっ、タカくんに会いたいな。でも、いざ帰ったら、孝明、無視するんだろうなぁ!」
「……聞いてて切ないわぁ」
「……ブラコン」
「だなぁ」
独り言のつもりで吐いた呟きに、同じく呟くように戸野橋が答えた。