33、お茶部にて(下)
「赤のスキップ! 木下先輩どーぞ」
「あっ、ハチ酷い! またおれのこと飛ばしたぁ」
「そういうゲームなのだよ」
「赤の4。北原ぁ」
その後、北原は黄色の4、葵は黄色の6、栄人は赤の6を出した。
ここで、七緒が勝負に出る。
「黄色ドロー2! 木下先輩」
「赤のドロー2! 北原」
「ふっふっふ、青のドロー2! 葵さん」
「舐めるな、ドロー4! ほい、中村」
「さらなるドロー4乗せ! しかもUNO! ナナ」
「嘘でしょぉー!?」
不満げな表情で、七緒は山札から14枚のカードを引く。自分から仕掛けた勝負が、一周して、さらに7倍になって帰って来たのだ。
彼以外の4人は、げらげらと笑った。
UNOも5回戦を過ぎたころ、6時を告げる鐘が鳴った。文化部は基本的に6時終了である。
「あ…終わりだ。ちょうど俺、上がり」
葵の上がり宣言に、北原が戦績メモを覗き込んだ。今回の点数も手早く加算すると、一番点の多い者は、七緒だった。UNOは、点数の多い者が敗者なのである。
「戸塚 弱ぁ! オレの倍以上じゃねえか」
1位である北原が、勝ち誇った顔で言った。子供扱いを相当根に持っているらしい。人見知りの段階は超えたらしい彼は、すっかり七緒のボケにも栄人のツッコミにも慣れていた。
「じゃ、片づけは戸塚な」
「は~い。ハチ、待っててね」
「待ってる待ってる」
「中村っ、戸塚を甘やかすんじゃないッ」
「いや、北原先輩はナナの何っすか…」
七緒が片づけをしている間に、栄人は気になっていたことを切り出した。
「ところで、部員って…?」
「あと2人いる。3年2年1人ずつ」
木下の答えに、栄人は眉をしかめる。
「(―――ということは、ギリギリなのか…)」
部活として認められるには、最低5人の部員が必要だ。部室棟に部屋をもらっていないとはいえ、多少なりとも部費は配られる。
「(来年、新入生が入らなければ潰れちゃうのか……やだな)」
栄人は、お茶部のアットホームな雰囲気が気に入り始めていた。男子ばかりで遠慮がいらない、という点も。
なにより、同学年が他にいないというのは魅力的である。彼は、上級生よりも、同級生とのコミュニケーションが苦手なのだ。
「(タメって、なんか緊張する。2・3年は、学年の壁がある程度在るから良いけど、クラスの奴とかにはそれが無い。ずかずか踏み込まれんのが、一番嫌だ)」
例えば圭介は、色んな人と等しく親しい。だからなのか、相手の望む距離をとることが得意である。
「(ああ見えてあいつ、色々考えてるし。「友達」であることを強要しないトコが好き)」
例外は、七緒だ。すっかり、教室移動から何から、行動を共にするようになっているが、それでうっとうしいというわけでもなく、何故だか落ち着ける。一緒にいると、ほっとするのだ。
多分、波長が合うのだろうなぁと栄人は思っている。
「(だから、同じ部に入りたい、けどなぁ。ナナは茶道部なのかなぁ)」
彼が茶道部に惹かれているのは、昨日から知っていた。栄人も、昨日の3つの内では断トツで茶道部が良い。
茶道経験のある七緒が入れば、茶道部のひとたちも喜ぶだろう。
「どうした?」
いつの間にかため息をついていたらしい。隣で壁にもたれてケータイをいじっていた木下に声をかけられた。
「あ、いえ……ナナは、お茶部入るのかなって…」
「ふぅん。中村はどうなの?」
直球で問われ、栄人は咄嗟に本音を漏らす。
「…俺は…割と…このぐだぐだ感とか……遠慮しなくて良い感じ…好きですけど」
言ってから「しまった」と思ったが、木下が、嬉しそうに「そうかー」と言ったので、ここは素直に照れておく。
「でも…ナナがどう思ってるかわかんないんす。あいつ、どの部の見学んときも、大体楽しそうにしてたし…」
「ああ、戸塚は割とどこでも生きていけそうな感じするなぁ」
今日初めて会った木下にここまで言われるとは、七緒も大したもんだ。
「クラスでも…部活でも……きっと寮でも…ナナは、ナナのまんまだけど、俺は、」
その先が言葉に出来ず、栄人は困惑して俯く。何より、会ったばかりの先輩に、甘えそうになっている自分が嫌だった。
木下は特に追求せず、けれど、優しい声で言う。
「戸塚と一緒でもさ、中村だけでもさ、オレたちは歓迎するよ。誰も来なくったって、のんびりやっていける。そーゆー部なの、ここは。
…それに、中村はさぁ、1年なんだから、部の事情とか考えなくて良いの。自分の入りたい部に入れって」
人数を聞いた時点で、栄人が何を思ったのかわかったらしい。苦笑気味に付け足された言葉に、栄人は赤面した。
「…すいません」
「謝ることじゃないよ。少人数でいーの。人がたくさん入っちゃったら、オレはめんどうだと思うから」
話し過ぎたと思ったのか、木下はふと壁を離れた。
「片づけ終わったなら、鍵かけるぞー」
「あっ、終わったんですけど、これはどこに…」
「ああ、それはそっちの…」
ドアの影から、紙類の崩れるような音と、慌てた声が聞こえてくる。
「きゃっ!?」
「うわっ! …あらら」
「あーあ! 葵さーん、戸塚が山崩した!」
「「きゃっ」て…ナナちゃん…」
「うわーん、ハチーー!」
ふっと笑う。
彼は、自分の名を呼んだ。
「はいはい、今行く」
栄人は、壁から背中を離し、騒いでいる4人の中へ入っていった。
「雨だぁ」
「雨だなぁ」
昇降口で、栄人と七緒は立ち尽くした。
葵と木下は職員室に、北原は自分の教室に、それぞれ用があるようで、理科室を出たところで別れた。
「ざざ降りだぁ…」
「騒いでたから気付かなかったんだな」
途方にくれる七緒の横で、栄人はカバンから折り畳み傘を取り出す。
「えっ、ハチ、傘持ってんの?」
朝チェックした天気予報は、1日中晴れマークだったはずだ。
驚く七緒に、なんでもないことのように栄人は言った。
「や、俺、面倒だから朝テレビ見ない。ずっと折り畳み持ち歩いてる」
「横着なんだかマメなんだか…」
呆れた顔の七緒を軽く小突いて、靴を履き替える。
「ナナ、傘は?」
「ないけど、寮近いから」
「送るよ」
返事がないことに顔を上げると、七緒は上履きを手に持ったまま、なんとも言えない表情でこちらを見ていた。
「どした?」
「……ハチってさ、女たらしって言われない?」
「言われないけど!?」
なに言ってんのオマエ、という目で見られて、七緒は慌てて靴を履きかえる。
「(そうかー、わたし男だから、別に照れることではないんだよね……。にしても「送るよ」とか)」
弟の存在や、男友達のおかげで、男子が苦手ということはない。あまりに粗野で無分別な男子は苦手だけれど。
しかし、つい最近まで女子校にいた七緒は、そっち方面の免疫が、全くと言って良いほどなかった。中学時代、友人たちが色恋沙汰で騒いでいる間も、恋バナにちょっぴり参加するくらいだったのだ。自分が男の子とどう、という意識はなかった。
―――超イマサラだけど、ハチって男の子なんだっけ……
だからこそ今一緒にいてくれるのだろうけど。
圭介や直哉はともかく、栄人はあまり「男の子」という感じがしないのだ。
俯いて赤面する七緒には気付かず、栄人は昇降口をでていく。振り返って、きょとんとした。
「おい、入るだろ?」
「ああ、うん、入れて…」
―――これだってよく考えたら相合傘じゃんよおぉぉぉ! 意識することないんだけどね! 男同士だもん!
―――でも、でも、わたし、まだ全部男の子じゃないし! …だって、涙が出ちゃう。女の子だもん!
隣で七緒が葛藤して(多少混乱もして)いるとは知らずに、栄人は小さく呟く。
「あのさ……ナナはさ、何部に入りたい?」
「へ?」
ごめん聞いてなかった、と慌てる七緒に、栄人はがくりと肩を落とした。
「…明日も部活見学続ける? って聞いた」
「うーん、どうする? 栄人が続けたいなら…」
「ナナは?」
やけに強い口調で問われて、七緒は歩みを止める。一瞬遅れて栄人も止まり、じっと見つめあった。
「ナナの意見が聞きたい。だってさ、俺がなんか言っちゃうと…ナナはそれに続いちゃうだろう?」
今まで考えていたことが考えていたことだけに、七緒は慌てて目を逸らす。真剣な表情で真っ直ぐ見つめられるのは、心臓に悪い。
「ううう、そうなんだけど……でも、続けても続けなくても、おれはいいんだ」
「それじゃダメだよ。じゃ、俺だって、どっちでもいい」
「そんな…」
唐突な栄人の態度に、七緒は困惑する。
「ナナ、顔上げて。ちゃんと目ぇ見て話せ。
……俺、ナナのこと、流してない? 俺が部活見学しようって言わなきゃ、ナナはやらなかっただろ? 無理してない?」
「―――してないッ!」
どうして、栄人がいきなりこんなことを言い出したのかはわからないが、それだけはきっぱりと否定した。
噛みつくような七緒の返事に、栄人はうろたえる。
「おれ、流されるタイプだし、部活もやんない気でいたけど、絶対無理なんかしてないよ。
流されてんのは、おれが優柔不断なだけだし、ハチが誘ってくんなきゃ、部活見学なんて思いつきもしなかった。楽しいよ、見学!」
だぱだぱと、雨が傘を打つ。その音に負けないように、七緒は大声で言った。日が短い季節ではないのに、辺りは真っ暗だ。
双方、肩と背中を濡らしながら、しばらく睨みあい―――目を逸らしたのは、ほとんど同時だった。
「ご、めん。いや、無理に付き合わせてたら悪いなって…部活決めるのも、俺に合わさせたら悪いなって…」
「ううん…。……あのさ、言っても、怒らない?」
八の字に眉を下げ、七緒が首を傾げる。栄人が怒らないからと促すと、彼は恥ずかしそうに言った。
「昨日も、言った気がするんだけど……わたし、じゃない、おれは、ハチと一緒がいいなって、思ってんの。…出来れば、って言ったけど、それウソ。そんなに控えめじゃない。
…ずるいんだけど、ハチが入るって言った部に、一緒に入りたいって思ったの。だから、おれから意見言いたくなかったの。ハチと違ったら、嫌だなって。元々、部活やる予定なかったし、ハチがいなきゃ…。
……だって、部活でもハチが一緒にいてくれたら、すごい、楽しいだろうなって…。
―――うざいよね、甘ったれでごめんなさいっ!」
勢い良く頭を下げた七緒。…………沈黙が、落ちる。
栄人の顔が見られなくて、七緒は顔を上げられない。
「(…小学校のときも、友達にべたべたしすぎて、「うざい」って言われたことがあった。あれから気をつけてたのに……きっとハチも、それが嫌だったんだ―――嫌われた)」
そう思うと、鼻の奥がつうんとした。
一方、栄人は、七緒の言った意味がわからなくて、頭を下げたままの友人を、唖然と見つめていた。
「(うざいって……何、誰が? ナナが? …なんで?)」
確かに、七緒とは学校にいる間、ほぼずっと一緒にいるが、別にそれを「うざい」と思ったことはない。むしろ居心地良いと思ってるくらいだ。
「(それに……)」
彼は、自分と同じ部に入りたいのだと言った。一緒にいたいのだと言った。
自分がいるから、やるつもりのなかった部活動を、やる気になったのだと。―――それは決して無理しているわけじゃないと。
―――それは、なんか、とても、嬉しい。
けれど、なんと言ったらいいかわからず黙っているうちに、七緒が鼻を啜り出した。
「ずっ……うう、ひっ…」
「……ナナ? え? ちょっと、ナナ!? 何、なんで泣くの!?」
震える肩を抱いて、慌てて顔を上げさせる。七緒は、ぼろぼろと涙を流していた。泣き顔を見られたくないのか、すぐに彼はしゃがみ込んだ。
何が理由で泣いてるのか、確かなのは、自分が泣かせたらしい、ということだ。
「おい、濡れるぞ? なぁ、ちゃんと傘入れ?」
「ごめん……男、なのに。泣くの、ずるいよね。…依存しちゃ…いけないって、わかってる。でも、」
「ナナ、立ってくれ」
語気を荒げると、七緒は素直に立ち上がった。しかし、その表情は、明らかに何かに怯えている。
「……なんで泣いてんのかわかんないんだけど。俺、そんなに問い詰めたか?」
どうしたらいいのかわからずに、自然と無愛想な口調になってしまう。一瞬後、それがマズイのだと、七緒の表情を見て気がついた。
「違う、今のナシ! 俺、怒ってないから。落ち着いて欲しいだけ」
2人同時に深呼吸をして、七緒は涙を拭いた。なにかを決意したような瞳に、栄人は見とれる。
七緒は、掠れた声を絞り出した。
「―――嫌わないで」
「は?」
「嫌われたくないの、あなたに」
何を言われたかわからない、という表情の栄人に、さらにまくしたてる。
「わた…おれ、友達作るの下手で、ようやっと出来た友達には、必要以上にべたべたしちゃうみたいで……それで一回、友達失くしたことあるから、気をつけてたんだけど。
…本当にごめん、ハチが嫌なら、おれ、おんなじ部に入ろうとなんてしないよ。だから、お願い、」
「(友達作るのが下手だって? ウソつき、たくさん友達いるじゃないか。俺よりもよっぽど)」
茫然としたまま、鈍く音をたてて、頭が回る。
「(―――違うのか。寮の先輩とか、見学先の先輩は、友達ではないんだ。その場で上手くやりすごせるだけで、知り合い、の域からでてないんだ。
女子とも男子とも話せてて、それは、友達でもあるけど、それ以前にクラスメイトなんだ……友好的なのは、ナナの性格か)」
馴染み過ぎて忘れていたけれど、彼は転校生だ。周りに馴染もうとして、普段以上に友好的なのだと、栄人はふと気がついた。
そして、その中でも、自分は今、もっとも親しい「友達」だと思われていることにも、気がついた。
―――嫌わないで、なんて、言うなよ
もうすこし自惚れてもいいのに、と思う。
そうして、それは自分にも当てはまるのだと思い当った。
遠慮して、不安になって、当たり前じゃないか。だってまだ、友達になったばかりなんだ。
「……ならないよ、嫌いになんてならない」
七緒の頬に残った涙の後を、セーターの袖でぐりぐりと拭いてやる。
少々乱暴なその手を、けれど彼は、ほっとしたように受け入れた。
気付けば、さっきまであんなに強かった雨は、すっかりやんでいる。
晴天、というには雲ばかりの空模様だが、その隙間から、控えめな一番星が輝いていた。