3、記憶の改竄
「は? 何?」
姉と弟は、二人同時にそう問い返した。
「聞いてなかったのか? 戸塚奈々子、お前の、性別を、変えに、やってきたんだ」
―――いや、そりゃ、誰だって「は?」って言いますよ。
ゆっくり言い直して欲しいわけじゃない、というと、金髪の少女はたしなめるように黒髪をにらんだ。
「すみません、きちんと説明させて下さい。
…話は十六年前に遡ります―――」
とても簡単に要約すると。
天界の仕事の中に、これから生まれる魂たちの、振り分け先や性別などを決める部署があるらしい。
ある程度位の高い天使が、それぞれ区域を分担してやるそうな。
16年前の12月10日。その日、この辺りの区域を担当していた天使が、こっそりと男女の魂を入れ替えたというのだ。
もちろんそれは大罪なのだが、つい最近まで露見しなかったらしい。
「何故?」
「誕生の部署もあれば、死亡の部署もあるわけで…。ひとの寿命は生まれたときから決まっております。が、ごく稀に、決められた寿命より長く生きるひとがいるのです。その逆も。
しかし、ここ15年程、寿命の通りに命を落とさないひとが多く……そこでようやく、誕生の部署が履歴を調べたわけです。
すると、とある日のとある区域、そこで生まれた子供たちの性別が、見事に逆になっていたことが判明したのです」
「女は強いからな。例えば、男として生まれ、死んでいたはずの者が、女として生まれてくれば、生き延びる確率は大幅に上がる。逆に、女として生まれるはずだった男も、何割かは死ぬ」
「……ええと、で、わたしは男に生まれるはずだった…てこと?」
毛色の違う天使たちが、同時に頷く。
奈々子は孝明と顔を見合わせた。
「どうする…? 孝明、今更わたしのこと「兄さん」とか呼べないよねえ」
「…だから奈々子ズレてるって……」
「お前の姉貴頭大丈夫か」
「お前に言われたかねー…」
―――……ひどい言われようだ。
奈々子が「泣いてもいい? わたし泣いてもいい?」と叫ぶ横で、しっかり者の孝明が、ぎろりと天使たちを睨みつける。
「でも、それって、今更変える…つか戻す必要あるわけ? 16年も経ってから変えたって…」
「死んだ奴は、生き返らせることはできない」
孝明の言葉を遮るように、黒髪が呟いた。
きょとん、と姉弟は、そろって怪訝な顔になる。
「言いましたよね、男児と女児の死亡率の違いについて」
「女の子のが強いんでしょう? 男で死んでたはずの子が、女の子で生き延びるって…」
「ええ。ですから、その逆もあるのです。女として生まれ、天寿を全う出来るはずの人が…男として生まれ、命を落とす。
そのひとたちはもう、還ってくることが出来ない」
孝明は、反論しようとしていた口を閉じた。
「輪廻、ってわかりますか。死んだ生き物の魂は輪廻の輪に戻り、また生まれ変わるのです。
もちろんその、天界の不備で死んでしまった魂たちには、すぐに生まれ変わることが出来るよう手配されました。
そのひと達がすぐに生まれかわるには、歪んでしまったバランスをもとに戻さなければならないのです。
……ですが、それはあくまで「生まれかわる」です。死んだことに変わりはない。
記憶だって、その場合残すことはできないのです。」
「……きおく、そうだ、記憶! なんで、このことを伝えにきたんだ?」
思い出したように孝明が問いかける。
「だってそうだろ、このまま奈々子が記憶持ってても、障害にしかならないじゃん。女だったのが男になるわけだし。
性転換なんて荒技ができるんなら、どうして「最初から男だった」っていう記憶に変えないんだよ」
「そうして欲しいか?」
黒髪が、孝明の後ろの奈々子に問いかけた。
「記憶の改竄だって、やろうと思えばできるんだ。周囲の奴の記憶は変えるわけだし。
でも、「自分」についての記憶っていうのは、どうしたって残る。前世の記憶まで残っちゃうような人間がいるんだからな。
だから、断片的に思い出すかもしれない。それよりは、はっきりと残って、現状を把握できた方がいいだろう?
ま、そこは本人の意思に沿うことになってるんだ。戸塚奈々子、お前が記憶の改竄を望むなら、俺達はその希望を叶えるだけの準備がある」
静かに聞いていた奈々子は、うつむき加減の金髪の手をとって、しゃがんだ。
小さい子好きの彼女は、目線を合わせるのが大事だということを、経験から知っていた。
ふわふわの髪を、ゆっくりと撫でる。
「そっか。性転換はしちゃうけど、そのまま生きていられて、記憶もなくさないわたしのほうが、もしかしたら幸せなのかもね」
「…なら、いいんだな」
「うん。わたし、忘れたい記憶より、残していたい思い出のが、いっぱいある」
「姉ちゃん…」
感動しかけた孝明だったが、赤面した金髪の天使に、「可愛いッ!」と抱きついた姉を見て、きらきらした気持ちは霧散した。
「もうっ、かわいいなあ! ねえ、君たち天使なんだよね、羽とかないの!?」
「奈々子!! おっまえなあ、緊張感持ってくれよ!」
「だってえ!」
姉弟漫才を始める二人をみて、黒髪が一歩前にでる。
その紅い瞳には、少しの迷いが浮かんでいた。
「話が進まない。―――戸塚孝明、お前はこの件に関しては部外者だ。出て行ってくれ」
「なっ……なんだと!? ざけんな、奈々子の問題は俺の問題だ! 姉弟なんだから―――」
孝明の言葉遮るように、黒髪が腕を振りあげる。
瞬間、孝明の瞳がかげり、その場に崩れ落ちた。
「たかあきっ!? ちょっと、なにしたの!?」
揺さぶっても殴っても起きない弟を見て、奈々子は黒髪を睨みつける。
「話が進まないんだよ、こいつがいると。姉弟だけど、この話は対象者以外には伏せておかなきゃなんないん―――…」
「たかあきに!!」
天使たちが飛び上がる程の声量で、奈々子が叫んだ。
「たかあきに、わたしの弟に、何をしたの!!?」
衝撃的な宣告をされたにも関わらず、一度も声を荒げなかった少女が―――
「なにを、したのって!! きいているのよ!!」
驚くほどの速さで手を伸ばしてきたかと思うと、あっという間に、黒髪は少女に胸倉を掴まれていた。
「うあっ、おい、……!」
すっかりパニックに陥った奈々子と、困惑しきって言葉がでてこない相棒の天使との間に、金髪は慌てて割り込んだ。
「奈々子さん!!」
「黙ってて!」
先程までの「のんびりしててちょっとズレてる女の子」はどこへいったのか、と問いたくなるような豹変ぶりに、金髪も一瞬怯む。
「おっ、落ち着いて下さい、孝明くんは眠らせただけです! よく見てください、寝息たててるでしょう!?」
これでもかと大声で叫ぶと、ようやく奈々子は黒髪を解放した。
「……ねむらせ、た?」
きょとん、と擬音がしそうな表情をする少女をみて、天使たちは息をついた。
少し咳き込んでから黒髪が頭を下げる。
「すまねえ。ちゃんと予告してからやるべきだった。おまえの弟は眠らせた。そんで、夕食後の、つまりオレらと会ってからの記憶も消した。このことは、本人以外に知らせちゃいけないことになってるんだ」
「そ、なの……」
一気に力が抜けたのか、奈々子は座り込んで、へにょりと笑った。
「ごめんね、黒髪くん。痛かった?」
「痛かった。けど、オレの方が悪かった」
金髪は、珍しいな、と思った。黒髪は、いつもなら例え自分に非があろうとも、決して自分からは謝らないのだ。
やはり彼も、さっきの奈々子の様子には何か感じたのだろう。
「わたし、たまに言われるんだけどさ、ちょっとカホゴみたい。孝明のがしっかりしてるのにね」
そういって、奈々子は弟の体を引きずり、自分のベッドに横たえた。
「重っ。くっ、孝明め、背ばっかり伸びやがって」
「あ、いいですよ、奈々子さん。私が彼の部屋まで…」
「待って。お話してる間は、ここに置いといていい? 寝てるんだし」
彼女も心細いのだろうと思い、金髪は頷いた。
「ええと、今夜はこのお知らせのみなのです。明日、あなたが起きた時には、あなたは男になっていますから」
「びっくりしないようにってことね…どうしたってびっくりはするだろうけど」
「今後については明日、で良いだろう? ……顔色、悪いぞ」
奈々子は思わず頬を両手で押さえた。
自他共に認めるマイペースな彼女も、さすがに混乱しているようだ。
「そうだね…。明日、朝、来るの?」
「時間はあなたの都合のよい時間で…。でも、朝のうちのが良いですよね」
「うん、むしろ朝じゃないと色々困りそう。多分転校の準備とかしなきゃいけないんでしょう?
ちょうどゴールデンウィークで良かったよ」
心からそう言っているらしい奈々子を、天使たちは不思議そうに眺めていた。