31、お茶部にて(上)
「お茶部、ねえ…」
「うん、で、ここが部室代わりらしいよ」
放課後、七緒と栄人は、第1理科室の前に立ち尽くしていた。
理科準備室は、第1理科室内にあるドアから入る。しかし、その第1理科室の鍵がかかったままなのだ。
「…活動日、今日なんだよな?」
「そう聞いたよ。あと木曜日…」
「お前ら、何してんの?」
突然真後ろから声をかけられて、何か悪いことをしたわけでもないのに、2人は飛び上がった。
「ぎゃーーごめんなさい!」
「ぅおわっ、ごめんなさい!」
「なんで謝られてるのかわからん」
呆れた顔で立っていたのは、1年3組の担任・緒方先生だった。
ほっとして笑いだす2人。
「あー、びっくりした! 緒方先生、いきなり後ろに立たないで下さいよ」
「ほんとだよ! こんなとこで何してんの? 先生」
「戸塚はともかく、中村は俺に対して敬語を使う気がねぇよなぁ…」
遠い目をした先生は、自らの纏う白衣を指差した。
「お前さんらは忘れてるのか知らんが、俺は理科の教師だから。で、お前たちはなんでこんなとこにいんの」
七緒と栄人は顔を見合わせる。超マイナーな部活、と何度も言われたので、彼が「お茶部」を知っているかわからなかったのだ。
相手の出方を見ようと、栄人が遠慮がちに言った。
「部活の…見学っすよ。ナナも俺もまだ未所属だから」
「ふーん、何部」
「…おれの寮の先輩が部長らしいんですけど…先生、お茶部って知ってます?」
「あー、それ俺が顧問」
「ですよね、超マイナーって…………へ?」
言われた意味が理解できずに、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
緒方先生は、いつもの気だるい口調で、もう一度言った。
「俺が顧問」
「びっくり第2弾だよねぇ、ハチ。緒方先生が顧問だなんて」
「ああ…多分あの先生が顧問になったから、漫才研究をほっぽって、お茶部なんてもんになったんだろうな」
「ハチ助、お前本当に俺が大好きだな」
「いやいやいやいや! そんなことない! つーかハチ助ってなんすか。なんかちょっとたこ焼き屋ぽい!」
「肯定されても困るが、全力で否定されても悲しいな…」
緒方先生は、目を細めながらも、戸棚からカップを3つと、インスタントコーヒーを取り出す。何故そんなところにそんなものが、というツッコミは、栄人がきっちり入れたのでお構いなく。
顧問登場のおかげで、無事、第1理科室の中に入ることが出来た2人は、理科準備室に一番乗りし、のんびりと寛いでいた。
理科準備室は、一言でいえば「乱雑」な部屋である。実験器具は理科室の方にあるが、資料うんぬんがそこら辺に置いてあったり、何故か小学生くらいのサイズの人体模型があったりする。
部屋の真ん中に置いてある大きな机の上にも、どっさり資料(らしきもの)が置かれている。普段その机を囲んでいるのか、資料は真ん中にうず高く押しやられていた。
「あ、せんせ、おれがやりますよ。場所だけ教えてもらえれば」
いつものくせで立ち上がった七緒は、驚いた栄人に止められる。
「やめとけよ! 粉こぼしてカップ割って、あげく火事を起こすぞ!」
「ハチくん、ハチくん、君はおれのことどう思ってんの…!?」
友人の自分に対する評価に不安を感じながら、七緒は緒方先生からカップを受け取る。
「あー、さんきゅ。えーと、コンロかアルコールランプか、どっちがいい?」
やかんを持ちあげる先生の指す先を見ると、古ぼけた持ち運びコンロと、アルコールランプが置いてあった。
「…あの、3人分ですし…コンロでお願いします」
「ほいほい。あ、左側壊れてるから、右使って」
「はーい」
カップとやかんをさっと流し、やかんを火にかける。その間にカップ(よく見たら計量カップだった)にコーヒー粉を入れ、七緒は顔をあげた。
「砂糖とかミルクって…」
「俺、砂糖なしミルク入りでよろしく。そっちの小さい戸棚にあるから」
もはや完全に七緒に作業を任せた先生は、イスの背もたれを鳴らして、完全にリラックスモードになっている。
「ハチは?」
「はぇ?」
妙に手際の良い七緒の動きに見とれていたため、栄人は情けない声をだした。
「砂糖とミルク」
「あ、はー…はい、どっちもお願いします。砂糖は一杯で」
「なんで敬語? ……あれっ…せんせ、まさかこれ、実験用の砂糖なんですか?」
「大丈夫、食える奴だから」
「ていうか、学校の備品なんじゃ…」
言いつつも、七緒の手は滑らかに動く。スプーンの突っ込まれた砂糖の容器を開けると、2つのカップに砂糖を、白いミルク粉「クリ○プ」は全てのカップに、ぱっぱと入れた。
その慣れた手つきを、栄人は感心したように眺める。
「ナナって割と器用?」
「え、コーヒー入れてるだけで 器用? とか言われても…インスタントだし」
「いや、絶対こぼしそうだなって思ってたから」
「そんなにドジっ子に見えますか…」
七緒が目を細めた瞬間、やかんがしゅんしゅんと音をたてはじめた。
火を止めて、沸いたお湯をカップに注ぐ。
「はい、先生。熱いので気をつけてくださいね」
「おう、さんきゅう。戸塚はあれだな、良いOLになりそうだな」
「…せんせ、それ、褒めてるの? ほい、ハチもドウゾ」
礼を言ってカップを受け取り、まじまじとそれを見つめる。
「先生、質問。これ、この注ぎ口? のとこから飲むの?」
「好きなように飲めば良いけど、そこから飲むと多分こぼすぞ」
「だよなぁ」
ぞぞぞ、と同時にコーヒーを啜って、更に、息をつくのまで同時だった栄人と緒方先生は、苦笑した。
その光景に和んだ七緒が、カップに傾け―――熱くて慌てて唇から離す。
「あひっ!! けほけほっ、けほっ」
叫んで咳き込んだ七緒を、栄人がぎょっと振り向いた。
「あーあー、もう、何してんだよ。熱いから気をつけろって言ったの、ナナだろう? 充分ドジっ子じゃないか」
「ふえぇ~、こえ、ひぇったいひたやへろひはぁ」
「大丈夫か、戸塚。今ので日本語を忘れたか?」
心配しているのかいないのか、先生も自分のカップを机に置き、七緒を見た。
「これ、絶対 舌 火傷したぁ! って言ってるんですよ」
「なんで今のでわかるのか不思議だな…。戸塚ぁ、こっち来て口開けろー」
「あうぅ」
涙目で席を立って、緒方先生の前まで行くと、七緒は口を小さく開ける。
「舌べぇーしろ」
「れぇー」
「…小児科医と患者が目の前にいる…電気つけようか?」
「あー、頼むー」
目を細めた先生は、何故か立ち上がって、じっと七緒の舌を見つめた。
「あはいれふは?」
「何?」
「赤いですか? だって」
「だからなんで中村はわかんの!? ……角度的に良く見えない…」
そう言うと、緒方先生は白衣のポケットにつっこんでいた右手をだして、七緒の顎を掴み、くいっと上を向かせる。
おいおい、とつっこみそうになった栄人だが、本人たちは全くもって気にせず「あーちょっと赤いな。まあ舐めときゃ治るだろ」「ふぇー」なんて言ってるので、喉まででかかった声を飲み込んだ。
「(まあ、おっさんと男子高校生だからなあ、色気なんて全くないわ)」
と、そのとき、がらりと理科準備室のドアが開いた。
「こん……っ!??」
ドアの向こうにいた2年生(ネクタイが緑だった)は、目の前の光景に身体を強張らせた。
「あ……」
この場で唯一、状況を把握していた栄人は、思わず彼に同情した。タイミング悪すぎだろう!
「ん? おー、木下ぁー。こいつら見学の1年な」
訪問者に気がついた緒方先生が、七緒を離し、イスに座りながら言った。
七緒は七緒で、「うー、今日の夕ご飯、餃子なのになぁ、醤油しみるぅ」なんて呟きながら、自分の座っていたイスに戻る。
「…………」
「…………」
状況が見えたらしい、ようやく敷居をまたぐことが出来た先輩は、同じく呆れた顔の栄人と顔を見合わせた。
全くもって面識がない者同士なのに、こんなにも以心伝心できるんだなぁと感心する。
「…えーと、中村です」
目を合わせたついでに、ぺこりとお辞儀した。栄人に続いて、七緒も会釈する。
「戸塚です。あの、アオさんに…野村先輩に誘われて」
「あー、葵さんね。新しく寮に来た子誘うかもって、先週から言ってた」
先週から、ということは、ここに来てすぐだということだ。寮内での勧誘は禁止なはずなのに、そんな早いうちから誘うつもりでいたとは。
考え込む七緒をよそに、2年生は、主に栄人に向けて自己紹介した。
「ええと、オレは木下。一応、ここの会計って立場」
木下は、特に背が高いわけでも低いわけでもなく、中肉中背、と表すのがちょうど良い青年だった。
スポーツ刈りではあるが、それほど筋肉がついてるようにも見えないので、根っからの文化部タイプだろう。
「よろしくお願いします。えーと…」
「…………」
特に社交的でもないらしい彼は、それきり黙ってしまった。1年生2人は、顔を見合わせる。
「(おいおい、なんか喋んないとまずいんじゃない、これ)」
「(えっ、喋るったって、何を…)」
戸惑いながらも、七緒は勢い良く立ち上がった。
「木下先輩も、コーヒー飲みますよね? おれ、淹れます」
「え? いいよ、別に…」
礼儀として一度は遠慮する木下だが、「後輩だから」と押し切られ、大人しくいつも自分の座っているイスに座る。
―――ずっりいぃぃぃ!!
表情には出さないが、栄人は心の中で絶叫した。
七緒にはお茶くみという役割が出来た。思いのほか近くに座った初対面の先輩と、ただ黙ってそれを待つことは出来ない。なにかしら喋らなければならないというわけだ。
「(ナナめ…確信犯だろ、お前! ……くっ)」
沈黙が更に重くなる前に、口を開く。栄人たちの担任は、我関せずとコーヒーを飲み続けていた。
「え、っと……ここの部ってどんなことしてるんですか? いつも」
「え? えーとね…大体、集まったら飲み物飲んで…それから、ドンジャラとか人生ゲームとか、あとトランプとか…で、遊んでる」
予想以上のカオスっぷりに、栄人は顔を引き攣らせた。
「あ、去年はゴールデンウィークに合宿したよ」
「合宿!?」
「学校に泊まって、天体観測みたいなことした」
「なんでもアリなんすね…」
呆れたような感心したような栄人に、木下は薄く笑う。
「その場のノリと勢いだけでやってるから…普段あまりにも皆テーブルゲームばっかりやってるから、ゲーム部に改名しようかなって話もでたんだけど」
…………すればいいじゃないですか。
そっちのが、部の活動がわかる名前だと思うけどなあ、とは、思っても言えない栄人だった。
「戸塚ぁ、ついでに俺もおかわり」
「あ、はい」
「……で、なんであんただけそんなに寛いでるんだよ!」
スポーツ刈りって言います? 言いますよね?