27、漫研にて
「えーっ、中村って案外マンガ詳しいんだぁ」
「姉貴がマンガ好きだから、うちにたくさんあるんだ」
「ナナくんも割と知ってるねー」
「おれは、弟がジャンプ買ってたんで…あ、銀杏寮でも回し読みしてるんだ」
「寮!? 君、寮生なの!?」
「え、はい。そうですけど……」
「こら、ナナ。おびえるなおびえるな」
「茜ちゃん、寮だって寮! どどど、どんな感じなのか聞いても良いかな…!」
「ショウちゃん、食いつき方が怖いです。確かにオイシイけど」
「え?」
「なんでもない! あっ、ナナくん、こっちのお菓子食べる?」
「わーい、いただきまーす」
「ナナ、お前それでいいのか…」
午後4時15分。漫研部部室には、割と楽しそうに喋る栄人たちと漫研の1年生たちと、それを眺める、哀愁漂う圭介の姿があった。
ちなみに、部長の立花含め上級生たちは、ちょっと彼らを気にしつつ、各々の作業やお喋りに戻っている。
「(寂しい。超寂しい。誰かオレとも話してちょーだいよ…)」
1年生全員が、彼の無言の訴えに気がついているが、漫研所属のオタクっ娘たちは圭介のようなタイプが苦手であったし、味方のはずの栄人と七緒も、雰囲気を壊したくなくて放って置いている状態なのだ。
「(ちくしょう、薄情者たちめっ…)」
所在無さ気にうろついていたら、ふと、話の輪に加わっていない1年生を見つけた。
「(赤いリボン、だから、1年だよなあ)」
じりじりと近寄ってみる、が、彼女は一生懸命に何か描いているらしく、話しかけたそうな圭介に気付かない。
先程の「うわっ」な空気が軽くトラウマになっている圭介は、もじもじと3mの距離を保つ。
これ以上近づいたら、彼女の描いてるものが見えてしまうし、多分それはマナー違反なのだ。
圭介は小さくため息をつく。
「(ナナハチの馬鹿野郎…! 普段社交性あるのはオレの方なのによう)」
栄人が言ったように、彼は「誰とでも話せる」男である。
七緒は一見積極的に見える行動をしているが、多分「転校生だから」と気を張っているのではないかと圭介は思う。
「(普通ならもっと受け身型な奴な気がする、ナナは)」
それは栄人にも言えることで、七緒が転校してくるまでは、特に仲の良い友達がいなかったことからもわかる。
「(案外あいつ内弁慶だからなぁ…)」
無難な言葉で逃げる癖がある栄人は、きっと一度も本気で人とぶつかったことはない。
―――なのに! なのに!
「誰とでも話せる男」と称される自分が、何故こんなに弾かれてるのかわからない!
基本的に輪の中心になることが多い彼は、極端に言うと、他人といて寂しい思いをしたことがなかった。
同じクラスの友人もいて、ひと部屋に10人以上が集まっている状態で、なのにどうしてオレは一人ぼっちなのよ! と心の中で叫ぶ。
これが男相手ならなんとかして輪に入っていくのだが、女の子だと敷居が高い。それも、普段はあまり交流のないタイプだ。
喋るより前に弾かれては、手も足も出ない圭介だった。
しょんぼりしつつ、ふと目に入った本棚にかかっている布を、持ちあげようとした―――その時。
「ちょっと。そこは開けないで」
作業に没頭していた少女が、小声で、しかし鋭く注意してきた。
「あ、スミマセン…」
ハンズアップで謝る圭介を一瞥すると、また彼女は手元に視線を戻す。
話しかけられたことでちょっぴり勇気を得た圭介は、距離はそのまま、彼女にきちんと向き直ってみた。
「何描いてんの?」
少女がまた、顔をあげる。
ぴょこんと結んだ前髪が印象的な、そう、なんていうか、
「(じゃりン子チエちゃん……)」
「……漫研だからね、マンガくらい描くよ」
そっけなくそう言った声は、口調に反して可愛らしいものだった。
「へー、どういう系? ファンタジー? スポ根?」
「何故その2択…」
「はは、好きだから。見てもいい?」
「……どうぞ」
口調に同情が混じっていたので、彼女もこの空気に気付いていたのだろう。
居た堪れない気持ちになりながら、圭介は彼女の隣に座った。
「ルーズリーフに描いとん?」
「これはネーム……下書きより前の段階だから、汚いよ」
確かに、ざかざかとシャーペンで描かれたそれは、見やすいとは言えないものだった。
「この丸いのが人でしょ? ここが顔の真ん中でさ…」
「そう。……あんまりじっくり見ないでくれる?」
「あ、スイマセン。へーっ、バトルものなんだ。あ、何、このドラゴンかっけー」
「…………」
少女はいきなり無言になった。見れば、無表情である。
―――えっ、何、マズイこと言った!?
「ごめんなさい謝るから許して気まずくならないで!」
「は!? 何? 怖い!」
いきなり頭を下げた圭介に、少女はぎょっとして声をあげた。
「えええええ! こ、怖いって何だよ、オレのどこが!」
「えっ……」
初めての形容詞に驚く圭介、に驚く少女。
じぃっと見つめられて、圭介はうろたえた。
「な、何だよ」
「……そうだよね、自覚はないよね、フツー…」
なにやらブツブツ呟いてから、少女はキリリとした表情で圭介を見上げる。
圭介の座高が高いわけでなく、彼女が極端に小さいのだ。
「(小学生みたいだなぁ)」
「あなたは、私たちから見るとちょっと怖いよ」
多分150センチもいってないんだろうなあ、なんて考えていた圭介は、まともにパンチを食らったボクサーのような表情をした。
「…なんで? オレそんなこと言われたの初めてだぞ」
「金髪だし、いかにも運動部だし」
「…だからって怖いかぁ? 別にそんなに不良みたいな感じじゃないし」
「そういうわけではないのよ」
もちろん不良ルックは怖いがな、と彼女は言った。
「タイプが違うでしょう。傾向として、うちの漫研にいる女子及び男子は、あなたのような、集団の中心にいるような人を苦手としている。もちろん不良やギャルのようなタイプも。理由として、私たちオタクはそういうタイプから下に見られることが多く、同時にこちらも全く違うタイプの人間として初対面から受け入れることを拒む傾向にあることが挙げられる。
だから、私も、多分みんなも、ちょっとあなたが怖いと感じている」
ぽかんとした。
「怖い」理由をこんなにきっちり説明されるとは思っていなかったし、それを、一見小学生(圭介に言わせれば、じゃりン子チエちゃん)の同級生に、淡々とした口調でされたのだ。
「……ごめん、オレ、今どんなリアクションとるべきよ」
「……知りません」
「ていうか君はそんなにズケズケ言っちゃって、オレのこと怖いと思ってなくね?」
少女はきょとんとした。
「いや…第一印象が、という話だよ。話してみたらあまり怖い人じゃないように思った。でもまだよくわからない」
「ああ……そう」
またも淡々と言われ、反応に困る圭介。なんともリズムの掴みにくい子である。
とりあえず、手元に目線を落として、「ねーむ」と言われた描きかけのマンガを眺めた。
「なあ、これ、1ページ目どこ?」
「何、本格的に読む気になってんの?」
「面白そうなんだもん」
「…………」
再度、無表情で押し黙った少女に、ふと、圭介はあることに思い当った。
―――え、照れてんの?
そうか、さっきも確か、ドラゴンがかっこいいとかなんとか、褒めた気がする。
さっきの淡々とした説明口調より、それはよっぽど人間味のある行動ではあるけれど。
「(無言無表情でいられると怖いよ!)」
そうは言えない、世渡り上手な圭介だった。
「あ、圭介がなんか話してる」
「ほんとだ」
ああ、と茜もそちらを向く。割と仲の良い部員が、圭介の相手をしているのが見えた。
「明石…さびしかったんだね…」
「悪いことした気分だね…」
圭介が見た目が派手なだけで(性格も割と派手好きだが)、良い子なのを知っている3組の3人は、良心がちくちく痛んだ。
「あ、このお菓子、あのひとにあげていいよ」
「いいの? ショウちゃん。ごめんね、明石、話せば良い奴なんだよ」
「あはは、ごめんはこっちだよ。多分あのひと、空気読んであんな端っこにいるんだから」
部員たちにもその自覚はあったのか、それぞれに苦笑を浮かべる。
ショウちゃん、と呼ばれたショートカットの少女は、ころころ口の中で飴を転がしながら言った。
「でも、ああいう人種は苦手なので、あとであげてね」
「ハッキリ言うね…」
「私、明るいひと苦手なの」
「……それは、オレらが暗いということですか」
遠い目をする栄人を見て、彼女は慌てて「違う違う」と手を振った。
「君タチはホラ、人畜無害な感じするのよ。見た目だけで判断するのは悪いってわかってるけど、ああいう眩しいひとは近寄りにくいの」
一理あるなぁ、と栄人は思った。見た目だけで、「ああ、このひとは苦手だ」と思ってしまうことはたまにある。
そして、自分と七緒が「人畜無害」と表された理由も、なんとなくわかる気がする。
「(ナナも俺も普通に地味だからなぁ)」
「ハチ、これ美味しいよ。ほら!」
「お前本当マイペースだな! さっきから食ってばっかりだぞ、何しに来てんだ」
笑顔でクッキーを勧めて来る七緒に呆れつつ、甘いものが嫌いなわけでもないので、そのクッキーの箱に手を伸ばした―――が、
「空じゃん!」
「あ、これが最後の一個だ」
「ぅおい。…野村、すまん。ナナが全部食い尽くしそうなので、こいつの手の届かないところに」
「ちょちょちょちょ、食べてたのおれだけじゃないよ? ねえ?」
同意を求められた女子たちが、ハッとしたような表情になる。
―――しまった、この子のペースにつられて、バクバク食ってた…!
七緒はと言えば、どうやら奈々子のときよりも太りにくい体質になったらしく、何も気にせずに好きなだけ食べている。男体化して良かったなと思えることのひとつだ。
「ごめんって。これはハチにあげますよ。はい、あーん」
持っていたクッキーを名残惜しげに、けれど栄人の顔の前に差し出す。
「あーんって、お前」と軽く突っ込んで、特に何も考えず、クッキーをくわえる栄人。
「美味しいでしょう?」
「んー」
咀嚼しながら頷いて、漫研部員たちを振り返った。
そろそろ、ちゃんと部活動について聞いておかないと、と思ったのだ。
「あのさ、漫研ってどんな……なんだ、どうした?」
1年生どころか、散っていた上級生までもが、微妙な表情でこちらを見ていることに気付き、栄人は困惑した―――何、この空気。
がん、という音に驚いて見やると、ショウちゃんと呼ばれていた少女が、イスごと倒れていた。
「ええっ! 池上さん、大丈夫?」
またお前はいつのまに名前を、と思いながら、茜とともに池上を助け起こす七緒を眺める栄人。
起き上がった彼女は、何故か涙目だった。絞り出すような声で、茜に声をかける。
「あ、茜ちゃん……なんてこった」
「だめだよ、ショウちゃん。彼らに他意はないんだから…!」
「え、え、何?」
きょとんとする七緒に振り向かれ、栄人は「俺もよくわからん」と首を振った。
「鼻血がでそうです私」
「右に同じだ畜生」
「無自覚怖い」
「なんという不意打ち」
まわりの声にちょっと恐怖を感じながら、2人は立ちあがった。
「―――そろそろ帰ろうか」
「―――うん、他の部活も回るし…」
なんか変な空気になってるし、と七緒が囁いたので、「俺の勘違いじゃないんだな」と栄人も小声で返す。
「あ、そう? そーね、もう40分くらいいるもんね。何のお構いもできませんで!」
「…茜ちゃん、なんで目ぇ合わせてくれないの…」
「気のせいっす。明石ー、もう出るってよー!」
テンション高めで圭介を呼ぶ茜をみて、七緒と栄人は顔を見合わせた。
―――なんだろう、この、言い様のない不安…
茜に名前を呼ばれた圭介は、ぱっと顔をあげた。
「あ。なんかもう帰るぽい。行くわ」
立ち上がる圭介に少女は小さく手を振る。
「じゃあね」
「またな、チエちゃん」
完成したら読ませてくれよ、と出来る限り人当たりのいい感じの笑顔で、圭介は言った。
「勇気、ありがとね」
見学組が去った後、茜は野々宮 勇気に声をかけた。
「明石の相手してくれてさ。なんか変な雰囲気になっちゃって」
「うん、それは感じてた」
苦笑気味の勇気は、ペンを置いたついでに、机に手をついて猫のように伸びをする。
「だよねー。漫研にリア充男子が! って感じ」
「あはは、そうそう。でも、あのひとに彼女はいないと見たな。女の匂いがしなかった」
「女の匂いて。勇気姉さん、何を見てそう思った」
「えー、女の勘?」
「テキトー!」
ケラケラと笑いあって、息をつく。
「まあ、どこかと言えば、やっぱり立ち振る舞いかな。私との距離を測りかねているような感じだったし。あとさ、彼女とかいたら、こういう女だらけの場所でもう少し余裕があるんだと思うんだよね」
出ました勇気理論、と茜は笑う。
勇気には妙に理屈っぽいところがあり、外見とのギャップに戸惑うが、慣れてしまえば笑ってお終いである。
「あ、ところでさ、茜ちん。あの…あかし? 私と話してたひとにさ、私のことなんか言った?」
「へ? 何も言わないけど…何故に?」
「そうよねえ…なんか知らん、あの子去り際に私のこと「チエちゃん」って言ってきてさ…」
茜は目を細めた。もし圭介が勇気の名前を知っていたとしても、「チエちゃん」は「ののみやゆうき」に掠りもしない。
「……だ、誰……」
「謎……」
3人は、大きな興奮と小さな謎を残していった。