2、性転換宣告
その日は、普通に始まって、普通に終わろうとしていた。
戸塚 奈々子は、いつものように学校へ行って、帰ってきて、夕飯を食べていた。
「おかわり!」
空になったお茶碗を差し出す娘に、母さんは顔をしかめた。
「もう三杯目よ? 明日体調悪くなったりしない?」
奈々子は、普段少食だ。食べ過ぎると翌日に影響がでるタイプなので、セーブしている。
「大丈夫、明日っからゴールデンウイークだし。気分悪くなったら寝てればいいんだもん」
それに、今日はとりの唐揚げにほうれん草のバター炒め。彼女の大好物ばかりである。
母さんは苦笑しながらもご飯をつけてくれて、ほくほく顔でそれを受け取る。すると、横から思わぬ一撃が放たれた。
「奈々子、肉ばっか食ってるから太るんだよ」
ぐさり。
―――……おい、弟よ。
―――今のは刺さったぞ。
「たーかーあーきー…女の子にそういうこと言う? フツー。ていうかほうれん草もちゃんと食べてるよ!」
「炭水化物に肉にバターという名の脂肪分…その中でどれほどほうれん草が自己主張できると思うかね」
「うるさいなあもう! せっかく気兼ねなく食べられるんだからほっといてよー」
奈々子の弟、孝明は、ただいま生意気盛りの中学3年生だ。
孝明は、姉と違って体育会系である。バスケ部の部長で、視力も良いし、頭もどちらかと言えば良い。
精悍な顔立ちで、「かっこいいけど近づきにくい」というなんだかオイシイ印象を与える。
そのイメージを守るためか、学校では「寡黙」という猫を被っているようだが、その実態は、生意気で子供っぽい、普通の中学生だ。
一方、姉の奈々子は、大体なにをやっても平均の、ごくごく平凡な高校1年生だ。
父似の彼女は、母似の弟より穏やかな顔立ちである。
そのため、一見控えめな印象を受けるが、その性格は「控えめ」とは程遠く、どちらかといえばインドア派というだけで、割と行動的だ。
かといって、皆を引っ張っていくタイプではなく、おっとりとしつつ、やることはやる性格である。
二人は似ていない割に、いや、だからこそなのかもしれないけど、仲が良かった。
性別も、得意分野も異なっていて、お互いの足りない場所を支え合っていたのだ。
小学校までは、ご近所でも仲良し姉弟だと有名だったらしいが、孝明は中学に入ってから、なんとなく変わってしまった。
「おねえちゃん」と呼ぶのをやめ、「奈々子」と呼び捨てするようになった。
おおっぴらに仲良くしているのが恥ずかしくなったようで、学校ではほとんど話さなくなった。
家でも軽口を叩き合うくらい。前みたく、一緒に遊ぶことはなくなった。
奈々子は、それがちょっと寂しかったりする。
「ごちそうさまでしたー。あー久しぶりに食った食ったぁ」
「オヤジか! 奈々子、ほんとにそれで女子校でやってけてんの? おかわり」
「孝明こそ何杯目よ。ていうかあんたの受験のが心配だしねー」
「俺は朝高余裕だから」
「むかつく…」
朝高とは、都立朝日ヶ丘第一高等学校のことだ。
奈々子はそこを受けて見事に落ちている。
―――やっぱり、ちっともさみしくありません。
「あー、本当久しぶりにたくさん食べたなぁ…明日はまじで何も出来ないかも」
ため息とあくびが混ざったような声を出して、奈々子は自分の部屋に入った。
……が。、
ぱん。
開けた障子をそのまま閉める。
―――あれ? ここって…ここって、わたしの部屋だよ…ね?
―――でも今、2人分の影がゴソゴソしていたような、気が。
部屋の前で呆然としていると、孝明が「何してんの」と怪訝な顔で話しかけてきた。
「あ、孝明、今何か部屋に…」
そのとき。
障子がひとりでに―――いや、内側から、すすすっと開けられた。
「おい、さっさと入れ」
覗いたのは、漆黒の髪に赤い瞳。
そして、驚く程白い腕が伸びてきて、奈々子の腕を掴む。ひんやりとした、感触だった。
「え、何―――」
「おい、ちょ―――」
意外にも強い力に、奈々子はただ引っ張られるしかなかった。
反対の腕に、孝明がとっさにすがりついたのがわかったが、弟ごと部屋に引き込まれた。
2人が入った途端、今度こそひとりでに障子が閉まる。
「げ、男の方までついてきやがった」
「君の責任ですよ。あんな乱暴なことして…」
明るい廊下にいたものだから、まだ目がなれない。
最初の尖った声は、2人を引っ張り込んだ、黒髪の少年だ。
次の声は、いくらか柔らかくて、そして心配そうな様子だった。
「…何、泥棒…?」
孝明が、姉の手を強く握って、一歩前にでる。
「お前ら、誰? なんでここにいんの?」
姉弟が、叫んだりして助けを呼ばない理由は、目の前にいる2人が、まだ中学生くらいにしか見えないからだった。少年の声も決して低くはなく、どちらの背丈も自分たちより低い。
なんにしても、暗いままじゃ話にならない。そう思った菜々子は、手探りで電気のスイッチを探り当てた。
手を伸ばして電気をつける前に、目を閉じておく。そうすれば、いきなり明るくなっても、眩しくないと思ったからだ。
「わっ」
孝明はいきなり明かりがついたことに驚いたらしく、小さく声をあげる。
奈々子は、目を開けた。
「はじめまして、戸塚奈々子さん」
「まぶしっ! つけるなら一言言えっ」
奈々子の目に飛び込んできたのは、金髪青眼の少女と、黒髪赤目の少年だった。
金髪は、ふわふわとしたショートカット、黒髪はなんと、つやつやの腰まであるストレートだ。
どちらも孝明より年下に見え、それぞれに魅力のある見た目だった。
―――どうしよう、よくわからない状況だけど、とにかくこの子ら、
「可愛い…!」
「ちょっと姉ちゃん!」
目ぇハートにしてる場合じゃねえし、と突っ込まれてハッとなる。
「そ、そうだった。えーと、迷子かな?」
「なんでっ!? なんでそーなんの!? 不法侵入だろ! ってか姉ちゃんの名前知ってたし! なんで
それで迷子という結論がでるんデスカ!」
「え? 名前?」
ああ駄目だ聞いてなかったんだこのひと、という冷たい視線を受け流す。
―――仕方ないじゃんか、目の前にものすごいかわいこちゃんとイケメン君がいるんだから。
奈々子は、年下が大好きだ。
こんなふうに書けば変に誤解されそうだが、つまりは母性本能をくすぐられるということらしい。恋愛とはちょっと違う。
赤ちゃんから孝明の年齢まで、年下ならなんでもいい。とにかく年下は可愛い、という嗜好の持ち主だったりした。
「おい…こいつ大丈夫かよ、本当に」
黒髪が、金髪に話しかけた。
そういう生意気な物言いも、年下ってだけで許せちゃうらしい奈々子は、しまりのない顔で2人に目線を合わせる。
「えと、で? 君たちはどちら様?」
2人は顔を見合わせると、驚いたことに膝をついた。まるで、物語にでてくる騎士のように。
「申し遅れました。私たちは天界からやってまいりました。
戸塚奈々子さん、あなたの性別を変えに」
―――……どゆこと?