20、ばばくさい男子高校生
ノックの音に、シュタイネルは体を起こした。ウォークマンを一度切って、ドアを開ける。
「やっほー、シュタイネルくん」
ルームメイトかと思ったが、そこにいたのは先ほどのおせっかい転入生だった。
反射的にドアを閉める。
「ちょっ!? え? なんで閉めるの? 開けてよ。両手塞がってるんだよー」
捨てられた子犬のような声と、足でコンコンとノックを続けられ、シュタイネルはため息をついた。
「……なんだよ、戸塚」
渋々ドアを開けると、するりと彼は部屋へ侵入してくる。またドアを閉められちゃかなわない、とばかりの素早い動きに、諦めたシュタイネルは道をあけた。
「さっき言ったでしょう。ご飯持ってきた、お粥ね」
お盆にのせられた、湯気をあげる皿を見て、そういえばと思いだす。儀礼的なものだろうと思っていたのだ。
「いらないって言っただろ」
「一口でもいいよ。ちょっとは食べないと、また倒れるよ」
そしてまたお姫様抱っこで運ばれるよ、と笑顔で脅され、仕方なく座り、れんげを手に取った。
「食えばいいんだろ、食えば」
「そうだよ。あ、味付けはしてないんだ、好みがわからなかったから。これ、お塩。好きなだけかけて。かけすぎはだめだよ。梅干しもあるからね」
とろそうに見えて、意外と手際の良い少年である。
シュタイネルは胡散臭げにお粥を見つめてから、塩を一振りかけ、れんげですくった。
ふうふうと息を吹きかけて冷ましていたのだが、あまりに向かいに座る少年の視線を感じるので、顔をあげる。
「……食べにくいよ、そんなに睨まれると」
「えっ、あ、睨んでるつもりはなかったの。その、お粥が口にあうかなって」
あたふたと七緒が慌てている間に、すっかり冷めた一口分を、口にいれた。
「どうお? ゆるすぎ? 水の量多かったかな?」
どうやら本当に食事の感想を聞きたいらしい彼は、身を乗り出した。
答えようにも、シュタイネルは今までお粥を食べたことがなかったので、過去の記憶と比較するわけにもいかない。雑炊みたいなものだと思った。
それに、美味しいかと問われるのが、彼はとても苦手だった。
「……うーん、普通」
「良かった! 前に作ったときは「固い!」って文句言われちゃって、今回は水多めにしてみたんだ」
普通、という評価に安心した七緒は、ようやく部屋を見渡す余裕ができた。
3日前の405号室(直哉の部屋)を鮮明に覚えていたせいか、夕食前にちらりと見たこの部屋は、かなり綺麗な方だと思っていた。
が、落ち着いて見渡せば、脱いだものが脱ぎっぱなしだったり、充電器や本、文房具が、ぽろぽろと点在していた。
「(戸野橋くんもシュタイネルくんも、どっちかっていうと神経質に見えるけど…やっぱりあんま綺麗ではないなあ。ナオよりはだいぶマシだけど)」
直哉の場合、掃除嫌いのうえ整理整頓が出来ないから性質が悪い。
この部屋の住人は、ある程度整理はしているが、ところどころ埃がたまっていることから、掃除自体はこまめにやる方ではないらしいことが見て取れた。
そういう七緒自身も、綺麗好きというわけではない。祖母がそういう部分に厳しかったから、目に付いてしまうのだ。
一方シュタイネルも、「普通」という評価に満足する七緒に驚いていた。
―――こういう場合、「美味しい」って言わなきゃいけないんじゃねえのか…?
お粥をすすりながら、七緒を盗み見る。
本当に、あの評価に気分を害した様子もなく、ただ興味津津に部屋を眺めまわしている。
変な奴だ、と思って、それから、自分がお粥を食べ終わっていることに気がついた。
何も考えなければ、と思う。
「(こうして、他のこととか考えたり、何も考えないでいられれば、オレだって食べられるんだ)」
しかし、普段はそれが出来ない。
食事を作ってくれているおっかさんには、悪いとは思っている。
けれど、何か食べていると、色々嫌な思い出が浮かぶのだ。
気付いた時には、食事すること自体が、ストレスだと感じるようになってしまっていた。
七緒に聞こえないように、少年は、ため息をついた。
「おい、あんまりじろじろ見るなよ。失礼な奴」
「ああ、ごめん……って、もう食べ終わったの?」
すっと目の前に差し出された皿が空なのに気付き、七緒は驚いて声をあげる。
食欲がないと言っていたのだから、残すだろうと思っていたのだ。それをこんなにはやく、しかも完食だなんて。
「食欲ないって言ってたから、少なめにもしてたけど…食堂行く? まだカレー残ってるはずだけど」
「いい。食ってみたら案外食えたけど、もういらない」
「ちゃあんと噛んだの? 早食いは体に悪いんだよ?」
「…あんた、ばあさんみたいな奴だな…コレ、そんなに念入りに噛むものじゃないだろう」
仮にも15歳の乙女にばあさんって! とつっこもうとして、今は「乙女」ではないことを思い出す。
―――…いや、それにしたって、高1男子に「ばあさんみたい」ってどういうことだ。
七緒のひきつった顔には気付かず、シュタイネルはベッドに戻り寝転がった。
「もういいだろ、寝るから」
「食べてすぐ寝ると牛になるよ」
「……」
思わず、体を起こして七緒を見つめる。
―――ばばくさい。こんなにばばくさい男子高校生、初めて見た。
シュタイネルの視線が良い意味ではないことに気付いたのか、七緒は目を細めた。
「…シュタイネルくんさあ、おれのことどう思ってる? 年寄りくさいとかお節介とか思ってるでしょ」
「…超当たってる」
「やっぱりね! 目が雄弁に語っているもの!!」
怒るどころか、笑いだした七緒に背を向け、一応の寝る体勢をとる。
が、彼は部屋から出て行こうとはしなかった。
「そうそう、シュタイネル…って、苗字? 名前? ……あれ、寝るの?」
「寝るっつってんじゃん…」
「歯磨きしなよ。で、名前なの?」
しつこい奴だと思った。同時に、ここまでしつこいからこその、お節介なのだろうなあと妙に納得してしまう。
「名字だよ」
「へえー。名前は?」
本当にしつこいな、と言いそうになるのを我慢する。名乗らずに無視しようかとも考えるが、いつのまにか七緒はベッドの横に座り、黙ったままのシュタイネルをじっと見つめていた。
「……ラファエル」
「え? ラ…何?」
「何度も言わすなよ。ラ・ファ・エ・ル」
「……らーふぁーえーりゅ」
復唱する七緒の発音が、明らかにひらがなだったので、ラファエルは不覚にも噴き出しそうになった。しかも、言えてない。
「りゅ、ってなんだよ。発音しにくい名前じゃねーだろ」
「ごめん…ラファ、エル。聞いたことある気がする、その名前」
七緒がそう言った途端、ラファエルの表情が曇った。
「…天使だろう」
「ああ、そうそう、4大天使…だっけ。ラファエル、ガブリエル、ウリエル…なんだっけ」
「ミカエル。一番有名じゃないか?」
「そうそう、ミカエル。ふふふ、ラファエル…癒しの天使からとったんだ」
「…………もう、帰れよ」
ふいと顔をそむけられ、七緒は笑った。
「ふふふ」
「っ、なんで笑う!」
起き上がりかけたラファエルを押しとどめ、七緒はお盆を持ち立ちあがる。
「ごめん、拗ね方が可愛かったの。じゃあおやすみ、ラファエルくん」
言いたいことだけ言うと、彼はさっさと出て行ってしまった。頼んでもいないのに、部屋の明かりをおとして。
「…………何あいつ…」
そう呟いた瞬間にドアが開いたので、七緒がまた戻ってきたのかと心臓が跳ねあがった。
「飯、全部食えたんだって? 良かったな」
しかし、明かりをつけてそう言ったのは、同室の戸野橋だった。
幾分かほっとして、眉間にしわを寄せてみせる。
「なんなの、あいつ。ばばくさい」
戸野橋は、帰ってきてそのままにしておいた荷物を片づけながら苦笑した。
「女々しいっていうか…男っぽくないっていうか、なんか色々思ってたんだけど…ばばくさいが一番ナナに似合うな。
あいつそこですれ違ったとき、めちゃくちゃ笑ってたけど。なんか話してたん?」
「……何も話してねえ!」
ふいと背を向けたラファエルを見て、この気難しい同室者相手に、七緒はどんな話をしたのだろうなあと思う戸野橋だった。