16、イン・クラスルーム
「戸塚七緒です。よろしくお願いします」
クラスでの自己紹介も特に問題なく終わった。緊張して手やら声やらは震えたが。
しかし、本当に男子ばかりである。5人しかいない女の子とは、上手くやっていきたいものだ。
「じゃあ、戸塚はあそこの席な。手紙配るからなー。保護者にちゃんと渡せよー」
窓際一番後ろという好条件に喜ぶ七緒を、その前の席の少年が振り返った。
多分、直哉と同じくらいの背丈だろうが、彼は直哉より落ち着いた雰囲気だった。
目が合ったので、とりあえず笑ってみる。
「よろしくー。寝ちゃってたら先生から見えないようにガードしてねー」
ふ、と笑った表情が、とても柔らかくて。切れ長の瞳が、細められた。
彼は思ったよりも柔らかい声で、言った。
「初日から寝るつもり?」
「さすがに今日は頑張るよー。ゆくゆくはって話」
「ゆくゆく…」
笑い出したいのをこらえていたらしい彼は、ついに噴き出した。
「え? そんなに面白いこと言った?」
「ふはは、いやいや、良い性格してるよ、戸塚」
「どういう意味…」
「ちょっと中村」
唐突に、斜め前、つまり、笑っている彼の隣の女生徒が、彼を小突いた。プリントがまわってきていたらしい。
「手紙きてるよ」
「お、すまん、野村」
サラサラの茶髪をお嬢様結び(戸塚家でそう呼ばれていた、サイドを後ろでひとつにくくる髪型)のその少女は、いかにも「女の子」という感じで、七緒は見とれた。
―――お友達になりたい!
「あの、なんて名前?」
ちょっと身を乗り出して聞くと、その子は驚きながらもきちんと自己紹介してくれる。
「えっ、私? 私は、野村 茜」
「よろしくね。茜ちゃんって呼んでいい?」
「う、うん……」
若干引き気味の茜を不思議に思っていると、中村と呼ばれた男子生徒が、怪訝な表情で問いかけた。
「…戸塚って結構軟派なタイプ?」
「え?」
そこでようやく、普通の男の子は初対面の女の子に、「名前で呼んでいい?」なんて聞かないものだと思い当たる。
昨日から「積極的に友達を作る姿勢」をイメトレしまくっていので、男女の違いまで思い至らなかったのだ。
「え、えーと…いや、ごめん茜ちゃん、いやならいいんだよ?」
「ううん。いやではないけど、ちょっとびっくりした。戸塚のことは、なんて呼んだらいいの?」
「ナナって呼んで。えへへ、ごめんね。女の子にも馴れ馴れしいって、よく言われちゃうんだ」
そういうことにしておこう、と思ったのだが、妙に納得されてしまい、地味に傷ついた。
「で、君は?」
中村に向き直ると、彼は笑顔で答えた。大人っぽい外見の割に、気さくな性格らしい。
「中村 栄人。ちなみに戸塚の右隣は、水城って奴な」
右隣は空っぽだった。休みらしい。
そこで予鈴が鳴り、ざわざわしていたHRはざわざわしたまま終わった。
「一時間目、何?」
他の女子の方へ行く茜の背中を眺めながら、七緒は栄人に問いかけた。
「現国だからこのまま。二限も社会だから教室移動はナシ。教科書は持ってんだろ?」
「うん、とりあえず辞書以外全部持ってきた」
そんななんでもない会話に、一人の男子生徒が割り込んできた。
金色に染めた短髪で、足取り軽く。空いていた右隣の机に座って、彼は「やっほー」と言った。
「あ、戸塚。こいつ明石 圭介。クラス一騒がしい男」
「…それって誉めてる?」
「そんでもってクラス一馬鹿な男」
なんだよそれひでー! と栄人に噛みつく圭介をみて、中学にもこういう奴がいたなぁと目を細める。
「(馬鹿で、ムードメイカーで、世話好きな男の子。ナオも、どちらかといえばこういう感じだろうな)」
「もうハチなんか知らん! 戸塚ぁ、こいつ本当意地悪だから無視でいいよ、無視で」
「ハチ?」
圭介が栄人をそう呼ぶのを聞いて、七緒は首を傾げた。
「エイトだから、英語でハチだろ」
「なにそれかわいい。おれもハチって呼ぶ!」
「なんでだよ! ハチなんて読んでるの圭介だけだぞ!?」
犬っぽくてやだ、と叫ぶ栄人を、ちろりと上目遣いで見やる。
「だめ? いやなら中村って呼ぶけど…」
「えっ、いや、だめではないけど」
しょんぼりと目を伏せる七緒に、なんとなく女子を泣かせてしまったような罪悪感を感じ、思わずそうなだめる。
と、七緒はにっこり笑って「じゃ、ハチ」と言った。
「なんかハチ、戸塚に甘くねえ? 俺のときはものすごい怒ったじゃんよ」
「お前には怒っても無駄だとわかったがな」
「えっとじゃあ圭介? なんか用だった?」
七緒が軌道修正すると、ようやく圭介は自分が何をしにきたか思い出したらしい。
「あーえっと、もし良ければ、昼休みに校内案内とかするけど? ここ、迷路みたいじゃね?」
予想通りの世話好きさんだ、と思いつつ、謹んで辞退する。
「ありがとう、嬉しいんだけどさ、校内案内はルームメイトがしてくれるって」
「ルームメイト? …え、てことはお前、寮生なんだ!」
「へぇー」
「うん、だから一応転校してきたのは三日前なの」
圭介も栄都も驚いたようで、寮について色々聞いてきた。
二人とも高校からの受験組らしく、寮に興味があったらしい。
そうこうしている間に本鈴が鳴り、圭介は自分の席に戻ろうとした。
「あっ」
「え、何?」
唐突に七緒が声をあげたので、圭介は振り返り、栄人も声の主を見る。
七緒は興奮気味の口調で、言った。
「今気づいた。おれがナナで、中村がハチでしょ。78(ナナハチ)だ!」
大真面目な顔で新発見を語る転校生に、圭介と栄人は顔を見合わせた。
「…………ぶっ」
「…………ふっ」
ほとんど同時に噴き出すと、圭介は豪快に、栄人は肩を震わせて笑い出す。
「えっ? なに? なにがおかしいの?」
「い、いや、なんでもない。ぶはっ、もう、戸塚…じゃない、ナナ、すげえいい性格してる!」
「ボケだ! こいつきっとボケだー!」
「えー! ちょっと二人とも、なんなの!」
授業のため入ってきた教師が、「うるさい!」と怒鳴ったが、しばらく2人の笑いの発作は収まらなかった。