11、新入り
「このくらいかなー。うわあかなりのゴミ」
ようやく、七緒が過ごせるスペースができ、全体的にも小奇麗になったところで、掃除は終わりにした。細かいところは明日以降やっていけばいい。
寮についた時は真上にあった太陽は、ほんのり空を赤く染めていた。
「ふぃー。すっげえ、こんなに床が見えてんの初めて」
「おいおい」
直哉は首にかけていたタオルで汗を拭きながら、苦笑する七緒の横にぐてりと座り込んだ。
「あれ? そういやナオ、おれが来るまでどこ行ってたの?」
「あー、ランニングしてた。それよりさ、ナナ、風呂行かない? この時間じゃまだお湯張ってないけどさ、シャワーなら出来るから。もうオレ汗だく!」
ぎくり、と七緒の体が強張る。
―――キタよお風呂問題!
男になってから二日が経った七緒は、順応性を総動員して、もう自分の体には慣れている。
最初に風呂に入るときは、散々ごねてロウを困らせたのだが、一度割り切ってしまえば頑張れた。
「(孝明もいたし……でも、やっぱり他の男の子の裸なんてキャパオーバーだよ! 荷が重いよ!)」
まだそこまで女を捨てていないのだ。
へら、と作り笑いを浮かべる。
「いや、おれは後でいいよ。まだ自分の荷物の整理してないから」
そう言うと、直哉は「じゃあオレも手伝うよ」と申し出た。
「え…悪いよ……ほら、ナオはおれより汗かいたんだから、風邪ひいちゃう」
「だーいじょうぶだって。そんなにヤワじゃねーよ。それに、これから三年間同じ部屋で暮らすんだから、遠慮とかするなよ!」
七緒は思わず目頭を押さえた。
―――どうしよう、涙が出る程いい奴だ
「どした?」
「いや……ううん……えーと」
仕方がない、と七緒は溜息をついた。出来ればこの手は使いたくなかった。
「実はさ…おれ、体に火傷の痕があるんだ」
唐突な告白に、直哉の目が見開かれる。
「普段はそこまで目立たないんだけどさ、体温があがると浮き上がってくるんだ。あんまり…気持ちいいもんじゃないからさ、見てて。だから出来れば…」
嘘ではなかった。
奈々子であるときに負った火傷の痕は、七緒になった今でも、内太腿と背中に、しっかりと残っているのだ。
本人はあまり見られようと見られまいと気にしていないし、火傷の理由も単なる不注意なのだけれど。
ちらりと前髪の奥から直哉の様子を窺うと、予想以上に効果は抜群のようだった。
「そうなんだ…。悪い、無理に誘ったりなんかして…」
本当にすまなそうなルームメイトを見て、良心がぎすぎすと痛む。
「(……ごめん、ナオ)」
直哉がシャワーからあがってくる頃には、すっかり荷物は片付けられていた。
「はやっ。オレ、15分も空けてねーのに」
「本と服だけだったから」
「あ、ナナの教科書は明日の昼頃に届くって、おっかさんが」
「わかった」
七緒はこっそり、案外自分は男の子の中でも普通に生活出来るんじゃないかと思い始めていた。
「(ナオとは喋れてるし…着替えくらいなら平気だし…そんなに乙女な性格じゃないし)」
一方、直哉は、新しいルームメイトについて、
「(ナナって喋り方とか仕草とか、女の子っぽいよなー。きゃー、とか言うし。まさかおかまじゃないよな…。まあ普通に喋れる奴だからいいけど)」
なんて思っているのだが、七緒はそれを知る由もなかった。
「じゃ、食堂行こう。休日は夕飯早めなんだ」
食堂におりる、つまり、他の寮生とのご対面だ。
さっと緊張に染まった七緒の顔色に気付いたのか、直哉はルームメイトの背中を軽く叩く。
「だーいじょうぶだって。いい奴ばっかだもん」
少し表情はかたいままだが、その言葉に七緒は頷いた。
「きたな、新入り!」
食堂、といっても、長いテーブルにずらっと椅子が並んでいるわけではない。台所と繋がる広い部屋に、大きめのちゃぶ台がいくつか置いてあるだけだった。
実家は和室ばかりだった七緒には、畳に座ることは苦ではない。が、またも期待外れ感が彼を襲った。
そうして目を細めている七緒に声をかけてきたのは、岡を手伝って皿運びをしている青年だった。
「1年3組だって? なら、うちの寮ではテツって奴が一緒だから、色々聞けばいいよ」
少しぽっちゃりめのその青年は、背も高く、しかしとても温和そうな喋り方なので、女の子に一切の警戒心を持たせないだろうという印象を受けた。七緒も、あっさり彼に対しての緊張を解く。
「えーっと、このひとは三年の野村 葵先輩。元・寮長。先輩、こっちは戸塚 七緒」
直哉が自分の分まで紹介してくれたので、七緒は慌ててぺこんとお辞儀をした。
「ナナって呼んで下さい」
「うん、よろしく、ナナ。…あれえ、なんかナナとナオって似てるなあ」
「そうっすか? ナナー…ナオー…「ナ」しか合ってないすよ」
「ナナ…ナナ…うーん、七緒…ナナちゃん?」
どきりとする。奈々子だった頃、親友以外にはちゃん付けで呼ばれていたのだ。
「よし、ナナちゃんと呼んで可愛がろう」
おどけたように笑う葵に、緊張がほぐれていく。
―――優しい人だ、わたしを笑わせてくれた
「あ、ハイ。構いませんよ」
「えー、ナナってばいいのかよ。ただでさえ女っぽいのに」
ん? と直哉を睨むと、彼は慌てて首を振った。
「あ、別に悪い意味じゃねーよ? ナナっていう女いるじゃん」
「そんなこといったら、ナオっていう女の子もいるもん」
「まーまー。俺のことはアオイでいいからね」
「それは無理だよ、アオさん。みんなアオさんって呼ぶよ」
「じゃあ俺のことはユキヤって呼んで」
わいわいと話していたら、唐突に耳元でささやかれ、七緒は飛び上がった。
「きゃあっ」
「うがっ」
文字通り飛び上がった七緒に彼は、囁きの犯人にぶつかり、もろとも倒れこんでしまった。
「何してんすか、ゆーきゃん先輩…」
背中から倒れたため、七緒の下敷きになっている人物を、直哉は呆れたような目で見降ろす。
葵に助け起こされた七緒は、慌てて振りかえる。
そこには、整った顔を痛みに歪めた青年の姿があった。
栗色に染められたふわふわした髪が、後ろでちょっこりと結ばれている、チャラそうなひとだった。
「わ! ご、ごめんなさい…!」
「いってー…頭打った」
うめく青年をみて、七緒はパニックになる。勢いよく彼を抱き起して、後頭部を見ようとした。
「後頭部ですか!? どの辺ですか!?」
ちらりと青年が七緒を盗み見る。その瞳は、ちっとも痛みなんて感じていないようだった。
「あーもう痛すぎて動けない。色々面倒みてもらわんといけないかもー」
青年がルームメイトにしなだれかかるのを見て、直哉はいい加減にして下さいよ、と横から噛みついた。腕が引っ張られた、と思った次の瞬間、七緒は直哉に立たされていた。そのまま、青年から遠ざけられる。
「このひとは他人をおちょくるのがダイスキなだけだから。気にすんなよ、ナナ」
葵も頷く。
「驚かしたのは雪弥だから自業自得だし、こいつはちっとも頭なんて打ってねえよ」
「うわーすごい言われよう…」
くすくす笑い颯爽と立ち上がったその青年は、直哉の後ろにいる七緒に、手を差し出した。
「俺は二年の坂枝 雪弥。寮長の命令は絶対だから、心しておけよ」
握手を求めたのであろう彼の手を、直哉が、押し戻す。
「またそーいう嘘教える! ナナ、このひとはゆーきゃん先輩って呼べばいいから。つーか先輩、オレのルームメイトに気安く触らないで下さい」
「二人は仲が悪いんですか?」
妙にピリピリする直哉を見て、七緒は葵にこっそり問いかける。
「うーん。仲が悪いってわけじゃないんだけどね。ナオは、ナナちゃんを取られたくないんだよ」
「はい?」
「あいつさ、一人部屋なのすっごい寂しがってて。でも一年は奇数人だったから、あいうえお順で一番後ろのナオが、一人部屋になったんだ。ルームメイトが出来るって聞いてさ、弟でも出来た気でいるんだよ」
おとうと…と苦笑する七緒を見て、葵は少し迷ってから付け足した。
「あと、雪弥はバイなんだ」
「ばい? って、なんですか?」
「女も、俺たち男も、恋愛対象ってこと。しかも手ぇ早いから、ナオはそっちも心配してんの」
ハテナマークを浮かべる後輩に苦笑する。
「わからなくてもいいけど。軽蔑だけは、してくれるなよ」
「ケーベツすることなんですか?」
無邪気に聞いてくる後輩に一瞬戸惑って、それから首を横に振った。
「…いいや。でもそうする奴もいるってだけ」
「ナオは?」
「ナオは、普段は普通だよ。中学んときから顔見知りだったから、慣れてるんだ。……まあ、過保護になるのもわかる気がするけど」
「カホゴ?」
きょとんとする後輩は、いかにも「そういうこと」に詳しくなさそうで。ルームメイトとしてナオがかばうのも、わかる気がした。
思わず、ぐりぐりと七緒の頭を撫でる。
「とにかく今は、弟分を横取りされたくないってわけ」
そう言ってやると、七緒はくすぐったそうに笑った。
「ってオイ! そこ二人! 俺を放って夕飯の準備たぁいい度胸だ!」
「夕飯の準備放ってお喋りたぁいい度胸だな、雪弥、直哉」
「さーせん」
「ちょ、アオさん、ゆーきゃん先輩と一緒にしないでえ!」
とりあえず、この中で一番強いのは葵だ、と七緒は思った。