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88、彼女のその時

今回ちょっと、普通は大っぴらに言わないような単語連呼してます。



「どしたの、ナナは」


栄人に問いかけられて、茜と優子は顔を見合わせた。


「知らない。なんか、木吉さんが用事あるみたいだったわ」

「ふうん?」

「なにかな、告白かな!?」


圭介が小声でいうと、栄人は「まさかぁ」と笑った。隣で優子が俯くのを感じて、茜は圭介の足を蹴った。


「痛い! 何!?」

「なんでもいいでしょ。ほら、片付け手伝いに行くわよ」


そろそろ閉会式だった。



「―――なったの?」


体育倉庫に潜り込んで、誰も来ないことを確かめてから七緒は問いかけた。

マリアは泣きそうな、怒ったような顔で、唇を噛み締めている。

少し前、夜中に目覚めたあの時、きっと自分もこういう顔をしていたのであろう。

七緒はしゃがんで、マリアの顔を覗きこんだ。


「生理に、なったのね」


もう一度問うと、少女は頷き―――軽い音と共に天使たちが現れた。


「カイナ、生理用品はある?」

「マリアさんの自宅に」

「取ってこれる?」

「はい。すぐにでも」

「じゃあ袋あけて、ひとつ持ってきて。下着の替えもお願い」


金髪の天使は頷くと、現れたときと同じように消えた。


「ごめん、ロウ。良いって言うまでちょっとどっか行ってて」

「……ん」


ロウも文句を言うこともなく消えた。

天使だし、カイナはマリアの補佐ではあるが、他人だ。何人もいては話しづらい。


「……ねえ、」


声をかけた瞬間、マリアは倒れるようにしゃがみこんだ。


「なにこれすげぇ腹いてぇ、頭痛いし気持ち悪い、なにこれ!」


吐き出すように叫ぶマリアの背を、七緒はゆっくり撫でる。


「落ち着いて、マリオくん」

「落ち着いてられっか! 股から血ぃ出てんだぞ!!」

「病気じゃないから」

「知ってるよ!! けど、けど……っ、」


人は普通血を見れば動揺する。下着についていたならなおさらだ。

しかし、そうも言ってられない。


「マリオくん、ね、落ち着いて。こっち見て」


優しい声音と手つきに、荒かった息が静まっていく。


「びっくりするよね。気持ちわかるよ、ビジュアルきついもんね。でも、大丈夫だよ。わたしもいるし、カイナちゃんも、いるでしょう」

「……ああ、ごめん。動揺してた……」


そりゃそうだろう、と思う。七緒が夢精したときは、その症状を知らず、精神的なダメージは後からきた。

しかし、月経は一応小中高の授業でしつこく習うし、言い方はおかしいけれど夢精より知名度は高い。マリアはすぐに思い当たったのだろう。

下着が赤く染まるダメージと、それが生理であり、女になったのだと、性転換したのだと現実を突き付けられるダメージを、同時に受けたのだ。

けれどいつまでもこうしてるわけにいかない。夢精と違って、汚したものを洗濯するだけじゃ、終わらないのだ。


「ただいま戻りました」


カイナが現れると同時に、ロウも戻ってきた。黙って、二人を見つめている。

七緒は持ってきた下着を受けとり、実際に下着に生理用品をつけてみせた。


「オッケー? 今回はこれをこのまま履けば良いから。まずは手当てしないと説明もきちんと出来ないし、トイレで履き替えてきて」

「……いい、ここで」


そう言って、マリアが立ち上がったので、七緒は慌てて目をつむった。


「馬鹿、こんなとこで、はしたないでしょ!」

「お前女だったんだからいいじゃん」

「違う! そういう問題じゃない、誰か来たらどーすんの!」

「片付けの時間までは来ねえよ。ほら、もういいから」


目を開けて、マリアを強めに叩いた。


「あのねぇ、ここ体育倉庫よ!? 清潔じゃないでしょう、大事なことなんだよ!」

「お、おう、ごめん……」

「いい、真面目に聞いて。デリケートなことなんだよ。病気になっちゃうかもしれないんだから、バイキンがはいって」


叱るのもほどほどに、処置の仕方を説明していると、マリアはだんだん情けない顔になっていった。


「それから汚したものはお湯じゃなくて水で……」

「なあ、なあ。そんなに一気に説明しないでくれよ。覚えられない……」

「……マリオくん、泣き言言わないでまず聞いて」


気持ちは痛いほどわかる。けれど七緒は諭すように言った。


「わかってる? この状態が一週間続くの。そんで、毎月くるんだよ。今乗り越えられれば良いって話じゃないの。50歳とか60歳とか、その辺まで続くんだよ」

「……まじで?」


知識としては知っていても、実際に経験するとそのめんどくささがわかるはずだ。けれど、女性になったからには、嫌でも通り続けなければならない道である。


「明日明後日休みで良かったね。量が多いのは大抵三日目くらいまでだから、家で大人しくしてな?」

「……バイト、ある……」

「……まだ慣れてないし、休んだ方がいいかもよ」

「でも、こんなので休むなんて」


渋るマリアを見て、七緒はため息をついた。さっきあんなふうにしゃがみこんでおいて、どの口がそんなことを言えるのか。


「女の人は、生理痛を理由に仕事をお休みすることが出来るんだよ。病気ではないけど、心身に少なからず影響を及ぼすことだから。「こんなこと」じゃないんだよ」

「でも、バイト先に迷惑が」


なおもいい募るマリアを遮る。


「ね、聞いて。ひと月だけだけれど女子校にいたから、「女性として社会にでる」的な趣旨の授業を受けたことがあるの」


女子校だからかはわからないが、奈々子の通っていた高校は女性教師が多かった。そのなかの、奈々子が好きだった先生が、言っていたことが、とても印象に残っている。


―――「社会に出ると、体調不良をおしてでも仕事に出ないといけないときがあるのよ、でも、本当はそれっておかしいことなのよ。風邪をひいたら、むしろ休ませるような社会でないといけないの。まあ、現実はそうもいかないけど。体調不良で休むことはもちろん、出産や育児で休むことだって迷惑がられるのよ。まして生理痛で休むなんて甘えだっていう社会なの」


まだ若く、優しくて明るくて、ざっくばらんな物言いが人気の先生だった。


―――「私、女だから家庭にはいれとかお茶でもくんでろみたいな考えは古いし嫌いよ。でもね、女の言う、男なんだから荷物持ってよとか奢ってよってのも、おかしいと思うの。性の区別は必要だわ、でもそれは差別よ。

ちょっと話逸れたわ。何が言いたいかってのはね、生理痛で休むってのは、差別ではないわ。あ、でもズルは駄目よ、就業出来ない程度の症状があるときね。あれは病気じゃないけどさ、痛いもんは痛いしそれを根性論で「甘えだ、気の持ちようだ」なんて言われても困るじゃない。

……まあね、私も昔は生理痛軽かったから、学校休んだり体育見学してるの見て、大袈裟だ、なんて思ったけど。高校生になったころから、急激に酷くなってねー。一回、大学行く途中に歩けなくなって、救急車で運ばれたこともあるのよ。

精神的なことで身体のリズム崩しやすいのも女だし、それはどうしようもないの。身体能力が男女で差があるのと同じことなの。だからまあ、それとどう付き合っていくかよ。脱線したけど、無理なもんな無理なの。休まないといけないときに休んで。無理して、身体を壊さないようにして。仕事や付き合いも大切だけれど、なにより大事なのはあなた達自身ってことを、よく覚えていてね」



「―――ってね。先生が言ったの。若い先生だけど、前の仕事場で色々あって、母校だったうちの高校に教師として戻ってきたんだって」


七緒の言いたいことがわからないのか、マリアは黙ったままだ。本当は、七緒自身、自分が何を言いたいのかわかっていなかった。


「毎回なるたびに休めつってんじゃないのよ? でも、マリアは今回が初めてでしょう。外で粗相したら、どうしたらいいかわからないでしょう」

「そ、粗相って……」


下腹を押さえながら、マリアはさらに青くなる。こんな状態になって、これだけ言ってるのに、彼女はまだ甘く見ているのだ。


「あのね。こんなん下着につけただけで、安心できると思ってるの?

多い日は二時間置きに替えなきゃいけないし体育とかあるときはズレたりしないかなモレたりしないかなとかそわそわするし」

「ず、ずれ……もれ……!?」

「生理前だって妙にイライラするし間隔ずれるときもあるからいつ来るかいつ来るかと身構えてなきゃいけないしふとした瞬間にどっと出る感じに顔しかめちゃうしいくら生理痛するからって体調悪そうにしてると友達から心配されたりして相手が女の子ならこそっと言えるけど珍しく男子に言われちゃったりすると腹痛って言って下痢とか思われるのもアレだしみたいな乙女心発動して無理やり笑顔作って「ちょっと眠くて!」とか言わなきゃいけないしお風呂あがるときに急いでパンツ履かなきゃいけないし!! 病気じゃないから安心してねとかゆってほんとめんどくさいし厄介なんだから!!」


熱く語る元・女の現・男に、天使たちとマリアは声も出ない。

七緒が何故こんなにも熱いかというと、菜々子だった頃は生理痛も重い方で、毎月本当に憂鬱だったのである。

マリアが口を開けたまま、美しい顔を歪めているので、脅し過ぎたかなと反省した。


「……ごめん。でもね、あのね、私が言いたいのはね」


言葉を探して、探して、ようやく見つけたのは、ひどく簡単な言葉だった。


「―――無理を、しないで」


女子校にいたのは、たったのひと月だった。そのひと月のうちに二回、総合の時間に「女性として社会に出る」という授業を受けた。その二回で、菜々子は思ったのだ。


「「女」っていうのは、それだけでハンデなんだよ。それを、ハンデに負けるか、男と同じ土俵に立つんだって、頑張るのは、良いんだよ。だってそうするのは女だから。自分のことわかるじゃない。見誤っても、それは自分の責任だよ。

―――でも、マリオくんは、男だったでしょう」


女性の身体のリズムを、彼女は知らない。簡単な話だ。彼女は男だったのだから。


「それをさ、教えてあげるのは、わたしの役目だと思うんだよ。……友達が、崖の近くを知らずに歩いていたら、教えるでしょう。そういうことなんだよ」


だから、今回はわたしの顔を立てて。

真顔でそういう七緒を見て、マリアは一瞬、腹の痛みを忘れた。


「(こいつって、なんていうか、)」


今までに使ったことのない言葉だけれど。


―――誠実、だなぁ


自分だったら、いくら特殊な状況であっても、自分の忠告を聞かないひとを、こんなに必死で説得しないだろう。

カイナは、うちの天使は、それを知っていたのかもしれない。

マリアが状況を理解して、咄嗟に呼んだのはカイナだった。狭いトイレの個室の中で、カイナは言ったのだ。


「補佐としては最低な対処かもしれません。けれど、私よりも、七緒さんの方が、あなたに教えられることは多い」


そして、天使に導かれるままに、七緒の元に走ったのだ。


―――カイナ、最低じゃないよ。最良の判断だったと、思うよ


七緒に相談して良かったのだ、とマリアは思った。



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