85、球技大会一日目(中)
「私、マリアちゃんが王様なんじゃないかと思うな」
秋穂が呟く。
一組側のコートを見れば、マリアともうひとり男子が中心になってなにやら話し合っている。
「だとしたら……やりづらいな、俺らは」
笹原が呟くと、男子たちは頷いた。
一組は特進クラスなので、男女の人数がほとんど同じだ。そのため女子の選手も多い。
そして王様が女子だとすると、やはり男子は遠慮してしまうものなのだった。
弱音を吐いた笹原の背を、洸が景気よく叩く。
「私がいるし秋穂だって戦力よ。やりづらいなら、外野にでたボールは私たちにまわして」
王様がマリアであるという前提で、作戦が進められて行く。それをぼんやり聞きながら、七緒は果たしてそうだろうかと思っていた。
「(確かに……マリオくんはいかにも運動神経良さそうで、今だって中心にあるように見えるけど)」
恐らく、同じクラスの女子との確執はなくなってはいないのだろう。マリアの立ち位置が、きれいに別れた男女の、男子側に近いことから、なんとなくそう察する。
だとしたら、きっと彼女は王様にはならない。例え推薦されても、目立つ位置には立ちたがらないだろう。それだけの分別はあるはずだ。
「(多少まわりを仕切るのはマリオくんの性格だろうしな……)」
「どうした?」
作戦会議も終わり、外野が外に出て試合も始まろうというのに、ぼぅっとしている七緒が気になったらしい。虎哲が肘で小突いてきた。
「あ、あのね、テツくん……」
七緒は迷った。単なる推測にすぎない。
それでも、言うだけ言ってみようと勇気を出して、虎哲の耳に顔を近付ける。
「あのね、おれが思うだけなんだけど、マリアは王様じゃないと思う……」
「……なして?」
「なんで?」
途中で割り込んできたのは、もちろん圭介だ。まるで最初から会話に加わっていたかのように先を促してくる。
「んー、多分だけど、洸ちゃんと同じ理由だよ。マリアは自由に動き回りたいタイプだと思う……」
それも理由のひとつだ。マリアの行動を見る限り、彼女は運動が好きで得意だ。だからこそ、こういう行事も率先してやるタイプだと思う。
「王様って責任より、ナイトっていう役割より、中からも外からも攻めることが出来た方が楽しいタイプだと思うんだ」
七緒の言葉に、圭介と虎哲は顔を見合わせる。
「あのさ……ナナって、木吉さんと仲良いの? 呼び捨てだし、よく知ってるみたい」
圭介が探りをいれるが、七緒は軽く頷いただけだった。
「まあね……あ、始まる!」
ホイッスルが鳴り響き、途端に七緒は縮こまってコートの端に駆けていく。こういうときだけは妙にすばしこいのだ。両チームから一人ずつコートの境界線に進み出て、ジャンプボールの準備が始まっていた。
「……明石、前向きゃあ」
かわされたのか、単なる天然なのか判断しかねて停止している圭介を、虎哲が小突く。
「なー、テツくん、さっきのどう思う」
「七緒みたいな呼び方するな。……あいつがあがぁに言うなら、ほうかもたぁ思うな」
あ、そっちじゃなくて木吉さんとの関係の方、と圭介は言いかけたが、虎哲が完全に目の前の勝負に目が言ってると悟って、口を閉ざした。
「なかなか勝負つかないね」
「うん……これゃあタイムアップまでかかっちゃうんじゃないかな」
コートの端で、七緒と秋穂はのんきに喋っていた。
今ボールは自陣とその外野を行ったり来たりしているので、安全なのだ。
「やっぱりマリアちゃんが王様っぽいね」
「ねー」
3組が最初から彼女に狙いをつけていることを悟ると、マリアは決して前にでなくなった。向こうのナイトも、もうバレたから良いと思ったのか、マリアを中心に守る。何度かナイトをかいくぐってマリアにボールが放たれたが、上手くキャッチされてしまう。
「あんなに運動神経いいのに前出ないってことは、やっぱり王様よね」
「うーん」
違うと思っていた七緒も、1組のマリアを守る様子を見ると、そうなのではないかと思い出した。
「逃げるの上手くてキャッチも上手いひとが王様になると面倒よねえ」
「こりゃタイムアップ待ちだね」
言った瞬間、周囲が沸いたので慌ててボールを探した。相手コートで、マリアが素晴らしいキャッチを見せたのだ。
「ナナくん逃げよう!」
秋穂に急かされたが、七緒は動けなかった―――マリアとがっつり目が合ってしまったのだ。
ヘビに睨まれたカエルのように、身体がすくんでしまって動かない。少女がボールを投げるモーションに入ったのが、ひどくスローモーションに感じた。
「ナナ!」
圭介の声が聞こえた、と思った瞬間、ボールが放たれた。
足元を狙う、鋭い軌道。七緒に避けられるわけはない。
―――ひゃー、みんなごめんっ……!
丸くなって目を瞑った七緒だが、近くで「ナナくん!」と叫ばれて、慌てて目をあけた。
ばちん、大きな音をたてて―――秋穂の腕が、ボールをはじいた。
「あきほちゃッ、」
「いいから下がって!」
よろけた秋穂だったが、すぐに持ち直すとコートの外にでた。当てられた選手はすぐに外野に出ないとチームが失格になるのだ。
そして、秋穂が咄嗟に片手レシーブの要領で対応してしまったため、ボールは相手コートに戻ってしまった。
「―――そいつだ! そいつが王様だ!」
ナイトでもない女生徒に守られた七緒をみて、それがわからない程相手は間抜けではなかった。
ボールを拾った男子生徒が七緒を狙うが、その間に圭介が飛び込んだ。キャッチはし損ね、相手の外野に拾われる。
「ナナ、立てぇっ!」
「はひぃっ」
未だにしゃげみこんでいた七緒は、大慌てで立ち上がりコートの真ん中に行く。
圭介がボールを持つ外野の前に立ちはだかり、洸がさらに七緒とボールの間に入るように立った。
「バレたわね。しょうがない、戸塚、私から離れるんじゃないよ!」
「うちの女子まじかっけぇ! 惚れるわ!」
「笹原うっせ!! 集中しろ!」
そこからの怒涛の攻防に、七緒はてんてこまいだった。
まあ大体圭介や洸が当たってでもはじき、虎哲や笹原がキャッチしてくれたのだが、あからさまに自分が狙われている空気というのは、それだけで神経を擦り減らすのだ。
「ひいぃ、もうやだぁ~」
「アホ、弱音吐くな」
大して運動神経のよくない。意外な人物を王様にするという作戦は、いわば諸刃の剣。バレにくいかもしれないが、バレたら終わりなのだ。一方相手チームのマリアは、しょっぱなからバレていたにも関わらず、逃げるのもキャッチも上手いので、バレたところで大した痛手ではない人選である。今も明らかに劣勢なのはこちらだ。
「こりゃ、タイムアップになりゃあ量で負けるな」
「テツくん冷静だね、っきゃあ!」
ボールが脇をかすめて、七緒は肩をすくませ身を縮めた。
「アホぉ、女みたいな悲鳴あげるな! 一回くらいキャッチしてみぃ!」
「無理、そんなことしたらこぼして負けちゃうって!」
考えただけでも震える七緒だが、虎哲に乱暴に肩を抱かれ、驚いて友人の顔を見た。
虎哲はボールから目を離さないまま、小声で言った。
「わかるじゃろ、もうどっちも人数も少ないんじゃけぇ、大人数の塊を狙うような投げ方はせん。単体を狙うボールは取り易いぞ。向こうはボール持ったらまずお前を探すから、目が合うたら身体をきしゃっと正面に向けろ、縮こまらんで腰を落とせ。その方が逃げるのだってやり易いんじゃけぇな」
「ううう、いっぺんに言われたって分かんないよお」
歓声があがる。洸の放ったボールが相手チームの二人をいっぺんに当てたのだ。
「ダブルだ! 洸すげぇ!」
「拾え拾え! そっちに渡すな」
一組の男子が、外野に転がり出そうだったボールをダイブして止めた。
「いいか、ビビるなよ。こぼしてもわしがとっちゃるから」
ぽんぽん、と肩を優しく叩かれたと思うと、虎哲が七緒から離れた。
「えっ、えーーっまじかっ」
ほら頑張れ、とばかりにスペースを空けられ戸惑う七緒だが、ボールを持った男子と目が合って、覚悟を決めた。
「戸塚っ!」
「ナナーっ、へっぴり腰っ!」
洸は驚いたように、圭介はにやついて声をあげる。
「うっさいっ!」
やけになって叫び返した瞬間、相手が振りかぶるのが見えて、思わず目を―――
「―――つむるなっ、アホぉっ!!」
虎哲の怒鳴り声に、七緒は「やっぱり無理だった!」と心の中で叫び返した。