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余命一年と言われたので好き放題したら、誤診でした

余命一年と言われたので好き放題したら、誤診でした

掲載日:2026/10/06

「余命一年です」


そう告げられた瞬間、私が最初に思ったのは、


――じゃあ、もう我慢しなくていいのでは?


だった。


「……フローラ嬢? 聞こえておりますかな?」


白髭のバーナビー先生が、心配そうに私を覗き込んだ。

眼鏡は額の上に乗っている。さっきから「眼鏡、眼鏡」と机の上を探しているけれど、言ったほうがいいだろうか。いや、今はそれどころではない。


「聞こえております。一年、ですね」

「胸の病でしてな。最初のうちは、何も症状が出んのです。出始めたら、あとは早い」

「症状、特にないんですけど」

「そういう病です」


なるほど。

そういう病なら、仕方ない。


施療院を出ると、春の空がやけに青かった。

私、フローラ・ベルグレイヴ、二十二歳。

あと一年で、死ぬらしい。


◇


ベルグレイヴ伯爵家で、私は「都合のいい娘」だった。


父は帳簿を見ると頭が痛くなる体質で、十五の頃から領地の帳簿は全部私の仕事。

妹のロザリーは「お姉様のそれ、素敵」が口癖で、私のドレスも髪飾りも、気づけば全部あの子の部屋にある。

婚約者のジェラルド様は、幼馴染のヴィヴィアン様が「寂しい」と言えば夜会の途中でも飛んでいく。残された私は、各方面に頭を下げて回る係。


文句を言ったことは、一度もない。

私が我慢すれば、丸く収まるから。


でも。


あと一年で死ぬなら、丸く収めておく理由って、なに?


その夜、私は生まれて初めて、自分のためのリストを書いた。


『死ぬまでにやりたいことリスト』

一、夜会で、言いたいことを言う

二、帳簿を投げる(比喩ではなく)

三、屋台で串焼きを食べる。立ったまま

四、髪を短く切る

五、冷たい海に入る

六、誰の後始末もしない一日を過ごす

七、一度だけ、恋をする


七番目だけ、少し迷ってから書いた。

まあ、どうせ死ぬし。


◇


一番は、三日後の王宮の夜会で叶えた。


「ジェラルド様。婚約を解消してください」


楽団の演奏が、ちょうど途切れたところだった。

広間中の視線が集まる。ジェラルド様は、ヴィヴィアン様の肩を抱いたまま固まった。


「フ、フローラ? 何を急に」

「急ではありません。三年分です。ヴィヴィアン様とどうぞお幸せに。私、時間がないので」


本当に時間がないので、それだけ言って広間を出た。


扉の脇で警備をしていた背の高い騎士と、一瞬だけ目が合った。

無表情な人だった。でも、なぜかその目が、少しだけ笑っているように見えた。


二番は、翌朝。


父の書斎に、三年分の帳簿を積み上げて――投げた。

さすがに父の頭にではない。机の上に、どさりと。


「お父様。今日からこれは、お父様のお仕事です」

「フローラ!? わ、私は数字を見ると頭が」

「存じております。頑張ってください」


妹のロザリーは、私が荷物をまとめているのを見て、目を輝かせた。


「お姉様、その首飾り、置いていくの? 私が欲しいわ」

「どうぞ。全部あげる」

「本当!?」

「ええ。責任ごと」


ロザリーの笑顔が、少しだけ固まった。

首飾りの横に、使用人たちの給金表と、ハーウッド家への詫び状の下書きを置いてきたから。


玄関を出るとき、後ろから小さな声がした。


「……お姉様。どこへ行くの」


振り向くと、ロザリーが首飾りを握りしめて立っていた。

欲しがっていたはずの首飾りなのに、ちっとも嬉しそうじゃなかった。


「遠くよ」

「私も――」


あの子は何か言いかけて、口をつぐんだ。


私は振り返らなかった。

振り返ったら、また全部引き受けてしまう気がしたから。


まあ、どうせ死ぬし。


◇


向かったのは、南の港町ルミエだった。


海があって、屋台があって、私のことを誰も知らない。理由はそれだけ。


宿屋「かもめ亭」の女将マーサさんは、私の少ない荷物を見て「家出かい」と笑った。

「余命一年なので、好き放題しに来ました」と答えたら、マーサさんは三秒黙って、それから私の皿にだけ、魚を一匹多く乗せた。


三番は、着いたその日に叶えた。


港の屋台の串焼き。焼いているのは、ピップという十歳の男の子だった。


「姉ちゃん、貴族だろ。あっちに座って食べなよ」

「いいえ。立ったまま食べるのが、リストの決まりなの」

「変なの」


熱い。しょっぱい。おいしい。

立ったまま串にかぶりつく私の隣で、誰かが同じ屋台に並んだ。


「焼き林檎を、蜂蜜多めで」


低い声。見上げるほど背の高い、騎士団の制服。

無表情な横顔には、見覚えがあった。


「……あ」

「……あ」


王宮の扉の脇にいた、あの騎士だった。


◇


カイル・ヴェインと名乗ったその人は、王都の騎士団の副団長で、海賊対策のためにこの港へ派遣されてきたのだという。


「あの夜会の人だな」

「お恥ずかしいところを」

「いや」


カイル様は、蜂蜜でべたべたの焼き林檎を、真顔で食べながら言った。


「あんなふうに言えたらいいと、思って見ていた」


意外な言葉だった。

この人にも、言えないことがあるのだろうか。


風が吹いて、私の手からリストの紙が飛んだ。

拾ってくれたカイル様は、上から順に目を通して、五番目で眉を寄せた。


「冷たい海に入る」

「はい」

「この時期の海は、一人で入ると危ない」

「でも、時間がないので」


私は、余命のことを話した。

さらりと話したつもりだったのに、カイル様はしばらく黙って、それから紙を私に返した。


「付き合う」

「……はい?」

「俺は先日、健康だと言われた。時間なら余ってる。君の残りに付き合うくらいは」


――それが、私の残りの一年の、本当の始まりだった。


◇


四番は、港の床屋で叶えた。


腰まであった髪を、肩の上でばっさり切った。

鏡の中の私は、知らない人みたいに軽そうな顔をしていた。


店を出て、長い髪を結んでいた紺のリボンをほどいた。

もう、結ぶ髪がない。

海風に指を開くと、リボンはひらりと舞い上がって、桟橋のほうへ飛んでいった。

行方は見なかった。


店の外で待っていたカイル様は、私を見て、三秒固まった。


「……変ですか」

「いや」


カイル様は目を逸らして、耳の先を赤くした。


「似合う」


その晩、マーサさんに「顔が赤いよ」と言われた。

夕日のせいだと答えた。


五番は、初夏の朝。

冷たい海に膝まで入った私の隣で、カイル様は制服のまま腰まで浸かって、黙って沖を見張っていた。


「カイル様まで入らなくても」

「溺れたら困る」

「どうせ死ぬのに?」

「それでもだ」


足の感覚がなくなるほど冷たかった。

なのに、心臓だけがうるさいくらいに動いていて、私は思わず笑った。


「冷たくて、生きてる感じがします」

「……そうか」


浜へ上がったとき、カイル様が一瞬だけ、胸に手を当てた。

冷えたのだろうか。

声をかける前に、彼は何でもない顔に戻って、濡れた上着を絞り、乾いた外套を私の肩にかけた。


◇


夏の盛りに、元侍女のジューンから手紙が届いた。


『旦那様は帳簿の前で三日寝込まれました。

それから、ロザリー様が毎晩遅くまで書斎で帳簿を開いておられます。

わからない、わからないと泣きながら、「お姉様はどうやってたの」と私に聞くのです』


手紙を持つ手が、少しだけ震えた。


書き方を教える手紙なら、三枚で足りる。

でも私は、ペンを取らなかった。


リストの六番目。

誰の後始末もしない一日。


それを叶える前に来た、一番難しい試験だった。


◇


六番は、夏の終わりの、よく晴れた日に叶えた。


私たちは港の桟橋の端に並んで座って、朝から本当に何もしなかった。

帳簿もない。詫び状もない。誰かの機嫌を取る必要もない。

ただ、海の色が少しずつ変わっていくのを見ていた。


「カイル様は、退屈じゃないですか」

「退屈という感覚が、久しぶりだ」


カイル様は、ずっと誰かの後ろを守ってきた人だった。

騎士団でも、家でも。自分のことは、いつも最後。


「カイル様には、やりたいことはないんですか」

「ある」

「リストにしないんですか」

「やりたいことは、いつかやる」


いつか。

そう言える人が、少しだけ、うらやましかった。


「たとえば?」


しつこく聞くと、カイル様は珍しく、少し考えてから答えた。


「子どもの頃、父に連れられて、この港に来たことがある。春だった。あの灯台に灯りがともるのを、見せてやると言われた」

「見たんですか」

「見る前に、父が呼び戻された。それきりだ」


カイル様は、港の端の白い灯台を見ていた。


「だから、いつか見る」


ピップが通りかかって、「まだいる」と言った。

昼過ぎにもう一度通りかかって、「まだいる」と言った。


私はいつの間にか、眠ってしまっていたらしい。


目を覚ますと、空は夕焼けで、私の頭はカイル様の肩に乗っていた。

慌てて飛び起きると、カイル様は少し顔をしかめて、右腕をさすった。


「……もしかして、ずっと」

「動いたら、起こすと思った」

「しびれてますよね!?」

「君の六番目を、邪魔したくなかった」


真顔でそう言われて、私は何も言い返せなかった。


カイル様は、そのあとまた少しだけ胸を押さえた。

聞くと、「古傷だ」と言った。


帰り際、屋台を片付けていたピップが、私たちを見て言い捨てた。


「姉ちゃんたち、もう結婚すれば?」


カイル様は咳き込んで、私は海に飛び込みたくなった。


◇


秋の夕暮れ、私たちは港の端にある灯台の下にいた。


白くて古い灯台は、ずっと灯りが消えたままだ。


「春にしか灯らないんだ」とカイル様が言った。「春漁の始まりを知らせる灯りだから。年に一度、ひと月だけ」

「じゃあ、私は見られないかもしれませんね」


言ってから、しまったと思った。

カイル様が、こちらを向いた。


宣告から、半年がたっていた。

残りは、半年。


そのとき、ふいに気づいてしまった。


リストの七番目。

一度だけ、恋をする。


――もう、叶っている。


でも、言えない。

残り半年の私が「好きです」と言ったら、この人は、半年後に私を見送る役になる。

それは、この人に悲しみを押しつけることだ。

都合のいい娘はやめたけれど、この人を都合よく使うのは、もっと嫌だった。


「フローラ」


カイル様が、初めて私を名前で呼んだ。


「……なんでもない」


結局、二人とも何も言わなかった。

灯りのない灯台の上を、海鳥が一羽、渡っていった。


◇


王都の施療院から手紙が届いたのは、その三日後だった。


『至急、お越しください』


呼び出された診察室で、バーナビー先生は額の上の眼鏡を探していた。

隣で、若い見習い医師のセオさんが、真っ青な顔で頭を下げた。


「申し訳ありません。フローラ様の診断は、誤診でした」

「……はい?」

「あの日、同じ時刻に診察を受けた方がもう一人いらっしゃいました。先生が眼鏡を見失っておられて……お二人の診断書を、入れ違えて封をしてしまったんです」


額の上の眼鏡が、きらりと光った。


「フローラ様は、健康です」


私は、ゆっくりと瞬きをした。


健康。

死なない。

来年も、再来年も、生きている。


「…………全部燃やした後なんですけど?」


婚約は解消した。王宮の夜会のど真ん中で。

帳簿は投げた。父の机に。

妹には、首飾りと責任をまとめて押しつけた。

髪は肩の上。


社交界では今ごろ、「ベルグレイヴの姉は気が触れた」で話がまとまっているに違いない。


頭を抱えかけて――手が止まった。


本当に、後悔している?


夜会で言いたいことを言った夜、生まれて初めてぐっすり眠れた。

立ったまま食べた串焼きは、今まで食べた何よりおいしかった。

冷たい海は、生きている感じがした。

誰の後始末もしない一日は、誰かの肩の上で、夕焼けまで眠った。


死ぬと言われて。

私は、初めて生きたのだ。


「……燃やしてよかった」


小さく呟いた私を、セオさんが不思議そうに見た。


◇


それから私は、聞くべきことを聞いた。


「入れ違えた、もう一人の方は」


セオさんの顔が、こわばった。


「……守秘義務がありまして」

「その方は今、自分が健康だと思っているんですよね」


セオさんは答えなかった。

答えないことが、答えだった。


「その方は、本当は」

「余命、一年です」


セオさんは、診断書の控えを握りしめていた。

その端に見えた名前に、私の心臓が、止まりかけた。


――騎士団副団長、カイル・ヴェイン。


『俺は先日、健康だと言われた。時間なら余ってる』


あの人は、そう言った。

自分の残りを、私の残りのために使った。

冷たい海に腰まで浸かって。しびれた腕で、夕焼けまで動かずに。


胸を押さえる癖。古傷だ、と言った。

違う。古傷なんかじゃない。


宣告は、あの春の日。

あれから半年。


あの人の残りは、もう、半年しかない。


そして、あの人はまだ、それを知らない。


◇


私は走った。


馬車を乗り継いで、二日かけて港町へ戻った。

かもめ亭にも、桟橋にもいなかった。

ピップが黙って、港の端を指さした。


灯台の下に、カイル様はいた。


「フローラ」


私の顔を見て、カイル様は目を見開いた。


「王都に呼ばれたと聞いた。……悪い知らせか」

「いいえ。誤診でした。私、死なないそうです」


カイル様の顔が、くしゃりと崩れた。


「そうか」


そう言って、笑った。

この人が声を出して笑うのを、私は初めて見た。


「よかった。……本当に、よかった」


自分のことみたいに喜ぶその顔を見て、喉の奥が焼けるように痛んだ。


言わなければいけない。

でも、今この笑顔を壊すのは、今夜じゃなくていい。

明日、ちゃんと全部話す。セオさんも、王都の医師たちも連れて。

だから、今夜は。


私は懐から、くたびれたリストの紙を取り出した。

七つの項目が書かれた、私のリスト。

それを裏返して、ペンと一緒にカイル様に差し出した。


「今度は、私があなたのリストを手伝う番です」

「俺の?」

「やりたいことは、いつかやる。そう言いましたよね」

「ああ。急ぐことでもない」

「急いでください」


自分の声が、震えた。


「お願いです。いつか、じゃなくて。今、書いてください」


カイル様は、私の顔をじっと見た。

それから何も聞かずに、ペンを取った。


白い裏面に、角ばった字で、一行だけ。


『一、この灯台の灯りを、フローラと見る。来年の春に』


子どもの頃、見そびれた灯り。

灯台は、春にしか灯らない。


来年の春まで、あと半年。

彼の残り時間も、あと半年。


まあ、どうせ死ぬし――もう、その言葉は使えない。

私は生きる。

だからこの人の「いつか」を、必ず春まで連れていく。


リストの表の、七番目。

一度だけ、恋をする。


私はまだ、そこに線を引いていない。

一度だけじゃ、足りなくなったから。


◇


〈カイル〉


彼女が泣きそうな顔で走ってきた理由を、俺は聞かなかった。

明日話すと、顔に書いてあったから。

待つのは、得意だ。


誤診だった、と彼女は言った。

死なない、と。


それを聞いた瞬間、胸の奥でずっと固く結ばれていたものが、ようやくほどけた。

この半年、俺は毎晩、数えていたのだ。

彼女の残りの日数を。


宿舎に戻って、机の引き出しを開ける。

紺色のリボンが一本、入っている。


床屋を出た彼女が、海風に放したものだ。

桟橋の杭に引っかかっていたのを、俺が拾った。

返すつもりだった。返せないまま、半年がたった。


リストの一行目は、彼女の前で書いた。

二行目は、書かなかった。


引き出しの中の手帳を開いて、リボンを栞にした頁に、一行だけ書き足す。


『二、灯りの下で、好きだと言う』


春まで、あと半年。

急ぐことはない。


俺は、健康だと言われたのだから。


胸の奥が、また少しだけ痛んだ。


古傷だ。


きっと。


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連載版、はじめました。

カイルの残りは、あと半年。春にしか灯らない灯台の灯りを、二人は一緒に見られるのか。

第1話は短編と同じ内容で、第2話から新しいお話です。ぜひみて欲しいです


お読みいただき、ありがとうございます!

「どうせ死ぬし」で全部を手放したフローラと、「いつかやる」で自分を後回しにしてきたカイルのお話でした。


連載版、はじめました。

カイルの残りは、あと半年。春にしか灯らない灯台の灯りを、二人は一緒に見られるのか。


・灯台の下の翌朝、フローラはカイルに真実を伝えます

・今度は、カイルのリストを春までに一つずつ叶えていく番です

・燃やしてきた家族とも、もう一度向き合います

・二人で灯台の灯りを見るために、古い治療記録を追います


第1話は短編と同じ内容で、第2話から新しいお話です。

下のリンクから、続きをどうぞ。


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